私は北朝鮮が言うように戦争好きだろうか。
戦争は組織を純化し個人を洗練するが、暴力の発現である点で忌むべき現象である。
かつて戦前日本の軍人で「戦争は文化の母」と言った者がいたが、確かに戦争で進化・深化する文化はあるとしても暴力はエスカレートすると文化を破壊するものであり、手放しで支持する事はできない。
ゲーム感覚で政治をしていると戦争の反倫理的なリアリティーが薄れてくるのだろう。
私はゲーム感覚で政治をしているわけではないが、「グレートゲーム」とも言われるように大戦略にはゲーム的要素が見られる。グレートゲームを演るに当たりゲーム的要素が本質とならないよう自戒したい。
ただ北朝鮮非核化のための戦争は、政策目的を限定した理性的な戦争を日本国に提案するとともに、私がわざと先鋭化する事で「私が権力を得た方式で次の覇権国が権力を獲得するために」主張しているので、戦争好きが昂じて・・というわけではない。
また私が戦争を題材にしたゲームをよくプレイするのは戦争に対する思想感覚を研ぎ澄ますためであり、好きというよりは職業病である。
私を戦争好きだと思うのは私を戦争する主体と見ているという事であり、私の詐術に引っ掛かった(戦争の可能性に思考容量を割き他のコミュニケーションに費するべき余剰エネルギーを減じた)わけで、北朝鮮は次の覇権国ではないようである。
その点アメリカは、戦争の可能性を提起しても軍備縮小はしない(財政的問題はある)で思考容量を増して対応して来る。やはり米帝が次の覇権国なのかもしれない。
玲央
戦争は組織を純化し個人を洗練するが、暴力の発現である点で忌むべき現象である。
かつて戦前日本の軍人で「戦争は文化の母」と言った者がいたが、確かに戦争で進化・深化する文化はあるとしても暴力はエスカレートすると文化を破壊するものであり、手放しで支持する事はできない。
ゲーム感覚で政治をしていると戦争の反倫理的なリアリティーが薄れてくるのだろう。
私はゲーム感覚で政治をしているわけではないが、「グレートゲーム」とも言われるように大戦略にはゲーム的要素が見られる。グレートゲームを演るに当たりゲーム的要素が本質とならないよう自戒したい。
ただ北朝鮮非核化のための戦争は、政策目的を限定した理性的な戦争を日本国に提案するとともに、私がわざと先鋭化する事で「私が権力を得た方式で次の覇権国が権力を獲得するために」主張しているので、戦争好きが昂じて・・というわけではない。
また私が戦争を題材にしたゲームをよくプレイするのは戦争に対する思想感覚を研ぎ澄ますためであり、好きというよりは職業病である。
私を戦争好きだと思うのは私を戦争する主体と見ているという事であり、私の詐術に引っ掛かった(戦争の可能性に思考容量を割き他のコミュニケーションに費するべき余剰エネルギーを減じた)わけで、北朝鮮は次の覇権国ではないようである。
その点アメリカは、戦争の可能性を提起しても軍備縮小はしない(財政的問題はある)で思考容量を増して対応して来る。やはり米帝が次の覇権国なのかもしれない。
玲央