次の内閣総理大臣には、安全保障に関して現下日本社会に生じている戦争っ気を完全に無視できるかあるいはそれを受けても戦争に走らない人材が求められる。
具体的には、「戦争するとしても選挙戦まで」とか「(護憲の立場から)憲法を変えないと戦争は出来ない」といった事を口に出来る人材である。
ちなみに在りし日の55年体制下の自民党と社会党はそんな感じであったわけだが、そんな人材が今の日本国政界にいるかというと心許ない。
ちなみに私は、次の首相が指名された際にそれに同意して親政を解除する事もできるが、摂政として拒否権を発動して親政を維持する事もできる。それは前述の観点から決めたい。
世界政治のエートスとしても国内政治のメカニズムとしても学会や出版界のパラダイムとしても経済対策としても「日本から始まる戦争」はあり得る選択肢として現実味を帯びつつある。
私は刀遣いとして、私心なき「冥福を祈るための戦争(拙著「日本から大和へ」参照)」には賛成しないでもないが、殲滅戦には大反対である。
日本国政界に戦争をそのようにコントロールするノウハウが蓄積されていない以上、日本国としては戦争の挙には訴えるべきではないと想う。
遠山拝
具体的には、「戦争するとしても選挙戦まで」とか「(護憲の立場から)憲法を変えないと戦争は出来ない」といった事を口に出来る人材である。
ちなみに在りし日の55年体制下の自民党と社会党はそんな感じであったわけだが、そんな人材が今の日本国政界にいるかというと心許ない。
ちなみに私は、次の首相が指名された際にそれに同意して親政を解除する事もできるが、摂政として拒否権を発動して親政を維持する事もできる。それは前述の観点から決めたい。
世界政治のエートスとしても国内政治のメカニズムとしても学会や出版界のパラダイムとしても経済対策としても「日本から始まる戦争」はあり得る選択肢として現実味を帯びつつある。
私は刀遣いとして、私心なき「冥福を祈るための戦争(拙著「日本から大和へ」参照)」には賛成しないでもないが、殲滅戦には大反対である。
日本国政界に戦争をそのようにコントロールするノウハウが蓄積されていない以上、日本国としては戦争の挙には訴えるべきではないと想う。
遠山拝