0、結論
結論:日本刀は、人間にとり最善かつ最高の武器である。故に美しい。
以下、いわゆる一般概念における「刀」を単に刀、私の観念している「刀」を特に『刀』と表記することとする。
1、刀の安全性など
前述の結論あってこそ明治政府やGHQはそれを封印しようとしたといえるだろう。単なる殺戮の道具として機能したこともあり、かつ将来においてそう機能しうるのは厳然たる事実だが、他の武器・兵器と比較してみてもやはり前述した特徴―言うなれば「人間性との親和性」―について突出していると言える。その意味では「空気」「言葉」などよりもはるかに安全である。
また、それ故使用時の殺傷力は使用者の力量に直接影響される。これが封印しようとする潮流の大きな要因ともなっている。
2、刀の特徴など
日本刀が封印の憂き目をみている理由のひとつに、純粋な白兵戦でしか使用し得ないことが挙げられる。(→精神的支柱等、精神面における機能などについては後述する)
命がかかっている実戦においては、達人の剣に対しては(剣や言葉等で対抗することを除けば)銃器等でロングレンジから攻撃するくらいしか対抗手段が無いため、達人が剣を抜いた瞬間に(場合によっては帯刀しているところを)威嚇・損傷あるいは射殺を狙い射撃する手法が最も有効であるのは事実である(ただし実践でこれを実行した場合、その実行者はすぐ死ぬことになるだろう。これを実行することは、同じ理由で殺されることを自ら正当化しているようなものだからである。この意味で、刀は銃器や弓矢よりも通常の状態から殺傷力を生じるまでのタイムラグが長いが故に優れた武器であると言えよう。場合にもよるが、防ぎやすいのである)(使用者が達人である場合はそうもいかないのは前述の通りである)。ちなみに武器としてはおそらくタイムラグは最長であろう。
暗黙のルールとして「刀同士による闘いでなければ真の勝利者は生まれない」(現実として、事実そうであるといえる。さしたる抵抗無く人間の戦いになるからである)といった前提が存在しなければ、日本刀は武器としてはそれこそ鉄の棒に毛が生えた程度のものであると言わざるを得ない。(この前提を日本史において決定的に破ったのは織田信長であるが、これに関しては稿を改める。また、弓矢の存在はこのような前提を補完するものであったと解することができるが、これについても稿を改める)
純粋な白兵戦でしか武器としては機能し得ないために、自らの言動がもたらす結果について主体的か否かによらず自己責任を取ることができる程度に限定することができる公算が比較的高い。
3、鞘の活用など
はじめに言っておくが、「鞘」あっての『刀』である。
端的に言ってしまえば、刀身を抜き身でぶら下げているのは精神的・肉体的に裸の状態でナンパ(適当な言葉が見つからないため、俗語をそのまま使用)しているようなものである。
ついでに記述しておくと、隠語やわいせつな言葉を以て兵器や武器を茶化す(あるいは身近なものとする)のはよくあることだが、この点日本刀はそれらに対して銃のそれに比して親和性があるとはいえない。(その親和性があるからこそ人間性との親和性が生じてくるともいえるが、前述したように刀の場合はこれ意外にも大きな理由がある)
日本刀の文化が隆盛していた時代、そういった概念と直結するのはむしろ自然なことであったともいえるかもしれない。(ちなみに、私個人としてはそういう解釈は好きではない。はっきり言って嫌いである)
唐突なたとえではあるが、日本刀を論じる上でこのことに触れないではいられないと考えるので、あえてこのような文脈を経過させてみた。私の場合こうでもしないと以降の文脈においてこのことに触れる機会はなさそうだからである。
それはさておき、鞘は刀身には持ち得ない様々な機能を有している。
私は多くの役割を「鞘」に期待しているが、それが現実として実現しうるのか判断するには材料が乏しいため、本稿では触れないことにする。(順次加筆していくものとする)
だがいずれにしろ、やはり鞘がなければ前述した『刀』の『刀』たる機能が発揮し得ないのは確かである。