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コミュニティにおける個人的能力の逸脱による疎外における解決法についての考察。現状
分析・コミュニティにおける噂に対する考察。メソッドを共有しない者に対する排除作用
の発生→排除を受容し解消することは可能か。コミュニティとしての一体感を疎外する者
としての存在は排除される。しかし普遍的な価値観においてはコミュニティに属すること
は人脈の形成が種(ママ)たる目的であった。ミクロとマクロの融合こそ真理である。表
相(ママ)的にくいちがっていることは受容されない。アメリカ的能力を補佐的なものと
して発揮するだけの主を探す旅である。それは力それは私自身であることは可能か。不可
能ではあるまい。自らを批判的に分析することは重要であるしかし、それはあらゆる
Output を阻害するものである。やはりout putは最低限確保されていなければならな
い。
優れている者への畏怖ではなく団結による集団的暴力。これは回避できる。自我を持つこ
とによってのみ。私を排除する集団を崩壊させることを望むことはその時点で我我反自己
をミクロ的視点にとらわれているのである。全てを受け流すことが自我の確立を担保す
る。
nutralはcriticalである。
自我に対する挑戦は表相的(ママ)methodに対する挑戦であって、それは集団的
methodに対する 挑戦に他ならない。自我の確立を最優先事項とする限り、協調という
該念(ママ)は一つの選択の、しかも即時的なtemporalyな状態に過ぎない。大衆は創造
力に乏しい。
エリートとしての自覚が民衆疎害(ママ)関係の原因となる。エリート意識の共有すなわ
ち確固たる自我を持つ者としての相互認識を持てる者が真の共闘者としての能力を有す
る。
その点で彼女はその条件を満たしていると言えよう。私はあらゆる視点を有する分析を行
う。それは多大、人格にとって不用な名誉というものを有することなく多大な影響能力を
発揮することができるのであ。私の求める力は広く深くである。人的なバリエーションが
伴わない学問は容易に征服することができよう。現時的な価値は副次的なものに過ぎな
い。
生活に困窮するしたらギターでも何でもかせげるはずである。あわてる事はない。
真の力とは 対照(ママ)全てを包み込む愛が必要である
→ まず前提として、マクロ的に内向の力でなければならない。
そこで発生する危険性はミクロ的内向の力に転換してしまう可能性があることである。それに対向抗する外向の力を発生させることが必要だがマクロ的な領域を飛び出し他の人格の領域の侵入を試みるようになってしまうことは防がねばならない。
→ 従って、自己人格的マクロ領域の地平線を維持する柔軟性に富む均衡の維持することが必要だった。