科学と哲学

評点:A- 表現法のちがい



序論 広義の哲学と狭義の哲学

 何か自分が直接感じ取ることのできないものについて考えること、それがすでに哲学といえるのではないだろうか。

 その考えはその人の人生経験によって大きく異なり、またそれ以後の人生に多かれ少なかれ影響を持つものである。これは哲学というより思想といった方がよいかもしれない。

 狭義の哲学は学問分野としての哲学を指し、自分の思想を言葉で表そうとする学問であるといえよう。すなわち、自分の中に浮かんできた考えを出来得る限り正確に表せる言葉を探すことである。

 しかし、人間の数だけ同じ言葉に対する認識も変わるものであり、またそもそも、本人が本当に自分の思想を正確に表す言葉を使えたのかもわからない。

 この点において、数学または一義的な言葉のような認識如何に関わらず結果が一致する媒体を用いることで、哲学のように言葉を再定義する必要がなく、従って迷うことなく発展することができた学問を科学と呼ぶのである。

 本論 哲学の特徴

 前述したように、言葉に対する認識というものは個人個人で違ってくるものであり、またその言葉がその人の考えを正確に指しているとはいえない。

 後者の事に関しては他人が認識することは難しいが、人間が他者との関わりあいから自己を認識する社会的生物である限り、他人に認識され得ない事柄はその段階では無意味なものに過ぎない。

 よって前者について考えると、言葉の認識が異なるために、哲学においては論の前提となるものから説明しなければならない。

 またそれを論ずる人ごとにも大きく異なるため、あらゆる哲学者は自分の考えを述べるために必然的に多くの時間を費やさなくてはならない。

科学の特徴

 それに対して科学は、あらかじめ情報伝達媒体の認識がある程度決められており、それをもとにして論を進めることで自分の考えを理解してもらいやすく、またそれまでに擁する時間も哲学と比べ短いものになる。

 両者の決定的違い

 そして、最も大きな違いは、それによって生じる結果の違いである。

 科学はその論の発展が即現実的な利便性などに直結している点で、行動原理にしかなり得ない哲学とは別物であるといえる。

 頭で理解することよりも、体で理解できることの方が伝達力や持続力が高く、したがって社会全体に及ぼす影響は大きいのである。

 結論

 ある物事に絶対性を持たせ、それに基づいて、あるいはそれに向かって思考をはたらかせなんらかの結果を出す、そういう点で科学と哲学は似ている。その絶対視する対象が、統一された言葉の認識やそれがもたらす結果であるものは科学であり、言葉そのものあるいは自分の考えであればそれは哲学である。

 参考文献 哲学とはなにか



  宗教的議論は討論には持ち込むべきではないとお考えですか。

  私は幼児洗礼を受けているので、完全に排除する、というか触れないのは不可能と言えるのですが、他の人達とは議論がかみ合わないということも起こり得てしまいます。

 こういった場合、やはりマイノリティーである私の方から歩み寄らなければならないのでしょうか。お尋ねしたいのですが。

――歴史文化的特定の宗教について、の議論ではなく、人間の本質にある「宗教観」を問題にするのは必要なことと考えます。