解読
日本国憲法 第九条 戦争放棄
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としてはこれを永久に放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
1日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。
2日本国民は国権の発動たる戦争を国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する。
3日本国民は武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する。
4前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力は保持しない。
5前項の目的を達するため国の交戦権は認めない。
論点零
1はいかに解すべきか。
正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求しない者は日本国民ではないのか、問題となる。
この点日本国民の要件を規定していると解すれば、憲法の法秩序体系における位置等を鑑みるに他法の規定より日本国民であるとされたとしても、当条項によりそれが否定される可能性がある。
日本人を両親にもつ日本に生まれた者全てが日本国籍を有するとする国籍法の法的性質からすれば、本条項をそのように解することは法秩序体系における憲法の位置を脅かすものになり得、憲法そのものとしてそのような解釈をすることは妥当でないとすることも出来得る。従って、本条項はその意味では注意規定に過ぎないとするのが妥当であるかに思えるが、憲法の条項が注意規定に過ぎない時点で憲法の本来の意義を果たしていないといえる。
それらを斟酌すれば本条項は日本国民の要件を規定したものではなく、九条を活用する前提として日本国民が持つべき態度を規定したものであると解する。
付1:
本項の内容は、日本国憲法の英文を読めばはっきりと読み取ることができる。英文の第九条の書き出しは「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する日本国民は~」となっているのである。
付2:
学者の中には、そもそも本条項に顕されている内容は日本一国のみで達成することはまず不可能であることから、他国民の協力をもって達成されるという点で国際平和主義ひいては真の人民主義の最たるものである、とする者もいる。(佐藤功『日本国憲法概説』/1967)
論点1
4にいう「前項の目的」に1が含まれるか。
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するために、陸海空軍その他の戦力は保持しない」のかどうか。:文理上見れば、それを希求するだけなら武器がない方がよいのは当然だが、実態的には武器がないことは客観的に見て「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求すること」を阻害する。従って1は、4にいう「前項の目的」の前提として内在的に「前項の目的」に含まれるとするのが妥当であろう。
論点2
「国際紛争」に経済的紛争や文化衝突は含まれるか。
文理上は各国家の性質等に大きく影響されるため(それらは国家以外の主体で体現されることが通常である)含まれない余地があるが、実態的には当然含まれる。このように解釈することによって、本項が他国同士の紛争に軍事的に介入することを避けるのを目的とした条項であったと理解することができるが、同時に本論点においてそれが形骸化しているといわざるを得ないことも明らかとなった。そもそも日本国が戦後経済的に発展してきたのは、対外的には他国同士の紛争に軍事的でなく経済的に介入してきたからに他ならない。仮に軍事的に介入していれば、これほどの経済成長は見込めない。「軍事的でありさえしなければ、どのように介入してもよい」という精神さえ背後に感じられる。そしてそれが日本国内の様々な社会問題に直結していることは言うまでもない。
論点3
本条項に見る「国」の在り方について
日本国民・・・法的地位たる日本国籍を有する者。「日本という地域に住む民」と実質的には同義でないと解する。
国際平和・・・文理上は世界の平和は国家単位で語られるという前提をもつ。ここでは単に世界平和という意で使われていると解する。
国権の発動たる戦争・・・テロを全く想定していない。経済戦争や文化的紛争等は想定していないと解する。詳細は「国の交戦権」の欄参照。ここにいう国はアメリカ合衆国を含まず、端的に日本国のみを指す。
国の交戦権・・・大日本帝国憲法と比して「軍の統帥権」ではない点に留意。「戦争を発動する国権」と「国の交戦権」は同義であると解することもできるが、前者を「宣戦を布告する権利」後者を「戦争を遂行する権利」と解し区別した方がより本条項を理解し易いだろう。
論点3ー2
「前項の目的を達するため」に「国の交戦権」を認めないとは?
「前項の目的を達するため」であれば、「国の交戦権」が認められる余地がある。
論点3-2-1
「国の交戦権が認められる」のは、具体的にいかなる場合であろうか。(論点3ー3でまとめて触れる)
論点3-3
自衛隊は合憲か違憲か
自衛隊は合憲と解する余地がある。
日本国憲法は「前項の目的」すなわち「日本国民」が「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」ために、かつ「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使」を「国際紛争を解決する手段として」「永久に放棄する」ことを達するために、「陸海空軍その他の戦力」を「保持しない」としていると解する。
「前項の目的を達するために必要な戦力」についても、原則として合憲と認める余地はない。
ここで、『自衛隊の合憲性』(遠山玲央/2003)は、自衛隊は原則違憲であるとしながらも、直接的には威嚇を伴わない紛争防止の目的で国際紛争を解決する目的に沿って国権の発動でない(国家の上位組織あるいは下位組織による)行使が行われる場合に限り違憲の疑いを免れる余地があるとしている(一部改変)。
現に自衛隊が存在していることを考えればこの考えによるべきかとも思えるが、大日本帝国軍との人的・精神的継続性(日本国以外の主体による運用の困難性:正当性及び統制能力について)、異常なまでに充実した装備によって生じる威嚇効果、非軍事的な「国際紛争」についての認識の欠如等を見れば、憲法の条項と自衛隊の存在そのものとの親和性の欠落はもはや明白である。それらを実質的に補うものがない限りやはり自衛隊は違憲であるとせざるを得ない。
ここまで論理的に究明しておいてこんなことを言うのもどうかとも思うが、そもそもこの論点は実質的には自衛隊を軍隊として機能させないための禅問答としての意味合いが強いと思われる。これだけを以って、日本国憲法が世界に冠たる平和主義を体現したものということができるだろう。
それはさておき、違憲であるか合憲であるかに拠らず、核装備がないことを除けば日本国自衛隊は世界最強の軍隊であることは確かである。