5、統合について

 統合の出発点として、第二次世界大戦による荒廃から立ち直らなければならない、という差し迫った現実への対応が求められたという現実があった。

 それについて、ヨーロッパにおける戦争の最も大きな原因であったドイツとフランスの対立に関して、第一次世界大戦の戦後処理等の教訓を踏まえて積極的かつ柔軟な対策をとろうとしたものがシューマン・プランであり、戦後の荒廃から復興するためのアメリカの援助を受け入れる受け皿を組織しようとしたものがマーシャル・プランであった。

 実際の所、EDCについては組織が確定する前にその組織の意義たるソ連の軍事的脅威が薄れたことによって実現することはなかったが、前者2案についてはその対抗すべき脅威が明確かつ強力であったことから、具体的な組織が現実のものとなった。

 以上のことから考えると、共通の脅威に対して対抗手段を共有する事、これが統合の持つ本質であろう。それを実現するための素地として、共通する価値観といった内的要因が重要になってくると考えられる。

 次の項では、現在進行しているヨーロッパの統合について、どのような統合がなされているのか、それを促進するにはどのような要因が必要なのかなどを考えてみたい。



6、欧州連合へ

 1960年代の最大のテーマが市場の形成、共通農業政策の策定であったとすれば、70年代にはECの拡大とそれがもたらす地域間格差問題への取り組みが重要性を増した。80年代には南ヨーロッパの三国が相次いで加盟し、構造基金による地域格差の是正がいっそう大きな課題となり、同時にそれが域内の「人の移動の自由」システムの完成のための条件としても強く意識されるようになった。

 単一欧州議定書(1986年調印)からマーストリヒト条約(1992年調印)にかけては、内部市場統合の完成、政治協力、共同体の制度構造の改革という三つの主要テーマが取り組まれた。こうして、マーストリヒト条約の中には補完性の原則、地域委員会の創設、ヨーロッパ市民権、通貨統合の実現、といった柱が明示された。いわゆる市場統合を超える動きが始まっており、単一通貨への意向のような政治経済統合の重要な一歩を踏み出している。[1]

 留意すべきなのはヨーロッパ統合の歴史的中核部分であるEUの要、欧州共同体の制度構造について、これまで大きな手直しがなされていないことである。

 また、内的機構・政策決定過程の改編が進まなかったもう一つの大きな理由に、拡大における「アキ・コミュノテール」(長年のヨーロッパ統合の結果として、欧州共同体・欧州連合レベルで達成された種々の規範・ルール等のことで、具体的には数千ページに上る規則・決定等の関連文書を指す)の存在が挙げられる。

 拡大に因る構成国の増大は、制度の内的改革を求める機運が最も高まる時と考えられるが、拡大の「アキ・コミュノテール」の原則はそのような改革を許すものではなかった。

 多少なりとも異質な国々が加盟することは、新規加盟国のみならず受け入れる統合組織や現構成国にも違和感を引き起こすものであり、これまでの一連の拡大過程においては、「アキ・コミュノテール」原則の下、それらの調整責任はすべて新規加盟国側に課せられており、現加盟国およびヨーロッパ統合制度そのものは何らの調整を行なう義務も負っていなかった。

 この原則の結果、拡大に際して委員会、閣僚理事会、議会等の構成人数の変更といった技術的な調整等、現制度そのものには一切手がつけられなかった。確かに、拡大時に内部調整の可能性を残すと、それを理由に種々の政治的対立を再燃させるとして受け入れ側に一切の調整義務はないとする考えはある程度は理解できるが、その結果、欧州共同体はこれまで何回かの内部調整の機会を逃してきたのである。[2]

これらのことから、EUの統合の現状を私は以下のように分析する。

 近時のEUは、統合の規模の拡大よりも内的な統合の深化に重点をおいた政策を進めているといえるのではないだろうか。

 つまり、 EU非加盟国あるいはEUの政策からオプト・アウト(選択的不参加)している国々をターゲットに、それらをEUの内的統合の外的要因に自動生成するシステムとしての「アキ・コミュノテール」等の制度を維持することによって、その統合の内的促進力としているのである。

 しかしこの制度はその性格上新たな者を受け入れる事には適しておらず、EUの規模を拡大するには適していないため、EUの統合は大胆な制度的改革を行わないかぎりは単なる地域的な統合に止まる可能性が高い。



7、最後に

 統合の外的要因のもたらす推進力は大きなものがあるが、それが自己に依存するものではないという点で安定性を欠くものであり、その外的要因の消滅によってそれまでの統合が立ち行かなくなってしまう危険性をはらんでいる。

 一方、統合の内的要因は持続的な統合につながるが、他者の排除につながる構造を生みやすく、統合の規模を拡大する障害となる可能性を多分に持っている。

 統合の規模を拡大する力と統合の密度を高める力のバランスを巧く取ることが、外部への拡大と内部の結束にとって最も重要であるといえるだろう。

 ここで、ドイツの思想家 I. カントがその著書『永遠平和のために』の中の「永遠平和のための第一確定条項」において論じている「共和的」体制の条件が参考になる。

カントは同著において「各国家における市民的体制は共和的でなければならない[3] 」とし、「第一に、社会の成員が(人間として)自由であるという原理、第二に、すべての成員が唯一で共同の立法に(臣民として)従属することの諸原則、第三に、すべての成員が(国民として)平等であるという法則、この三つに基づいて設立された体制ーこれは根源的な契約の理念から生ずる唯一の体制であり、この理念に民族の合法的なすべてを立法が基づいていなければならないのであるが、こうした体制が共和的である[4] 」としている。

 私はこの記述について、共和制と王制を両立させた体制をカントが観念していたのではないかと考える。

 そもそも共和制とは人民の連帯を求めるものであると同時に「王制でない体制」と定義されるように、王を認めない体制であるが、カントは「臣民として」という言葉を同時に用いている。共和制と王制が両立する体制とはどのような体制だろうか。

 この点私は元首が王たる和を展開しつつその共和体制の敵たる体制として、ヨーロッパに古くから存在する概念である「公国(principality)」を改めて取り上げたいと考える。

 「(公国)principality」とは、ラテン語の「princeps(同等の中での第一人者、あるいは第一の市民)という語源を持つprince(単なる「王子」という意味だけでなく、将来王になる可能性を持つ者という事である)を元首とする体制のことである。

 ここで重要なのは、princeは王子であって王ではないので、共和体制においては共和体制共通の本当の敵たりえず共通の仮想敵に留まるということである。

 王子が王制のよい所であるところの王たる和を展開しつつ、王子であるため共和体制においては仮想敵であるという体制が成った時、「principality」が観念できるのである。

 その大きな利点として、元首の采配次第では国内のまとまりを人間性との親和性(距離感)を適正に調整することに関して繊細なアプローチが可能となる事が挙げられる。

 歴史上あるいは現在世界に存在する公国がそのような原理を内包しているかは私の資料検索能力不足もあって定かではないが、欧州が共同体として拡大しあるいは深化していくに際してこれほどふさわしくまたわかりやすくかつ機能的な体制はないのではないかと私は考える。

 共和制と王制にはそれぞれ一長一短がある。その折衷案として公国を提唱したい。この点それ自体が行き過ぎてしまわない様に自己抑制的に用いられる必要があるが、その条件を満たせたならば公国は理想的な体制たり得るのではないか。

 その条件として欧州の元首たる者(一人とは限らない)が本当の意味でprince(王子という意味ではない)である必要があるが、欧州連合の将来目指すべき形は欧州公国であるというのが私の結論である。





[1] 宮島喬『ヨーロッパ統合のゆくえ』P.12

[2] 若林広『ヨーロッパ統合のゆくえ』P.32

[3] I.カント『永遠平和のために』P.28

[4] P.29