僕は自分の女性性に恋している。その名を<王留>奈という。僕が女の子に生まれていたら僕の名前になっていたであろう“ルナ”に恋しているという事である。
それは、現実の恋愛に対して大きな影響を及ぼす。女性とお付き合いする上で、どうしてめその女性(恋愛対象として映った女性)と自分の中の<王留>奈を比べてしまうのである。
自分の中の<王留>奈の「キャラ」は、一言で言うと月のような存在である。何か強い光を放つアイデンティティーに寄り添い、その恩恵を受けつつさりげなく自己主張する。時代がかった呼称を用いるなら内助の功といった風である。
だが、僕は現実の恋愛において女性に対して内助の功たれとは言わない。そこが難しいところなのだが、<王留>奈は僕が現実の女性に対して決して強要しない「古き良き」立場を、僕の中で演じてくれる便利(というと軽いが)な存在なのである。
そんな<王留>奈が表に出てくる時があるのだが、そういう時に男性といると、その男が<王留>奈に恋してしまうことがある。僕は同性愛の趣味はないので、そういう恋が生じないように努力はしているが、これまでの約30年の歳月の中で育んできた自分の女性性たる<王留>奈が表に出てこないようにコントロールするのは結構難しい。
自分の中の女性性をコントロールするのは、男性と接する上で重要な能力である。その能力に精進するよう努力していきたいと思っている。
続
遠山拝