“あり得たはずの夢”から目が覚めた時のあっけらかんとしたそれでいて呆然とした感覚が僕の心を支配した。早めの朝ごはんを食べ机に向かうと、夢の記憶が少しずつこなれてきて胸にストンと落ちた。

そう、僕は大学生活後半からこっち生活を夢の実現に捧げてきたのだ。周りの心ばかりの制止も聞かずに。夢と言っても、目が覚めたたら消えてしまういわゆるジャパニーズドリームではない。どちらかというと不可能を可能にするアメリカドリームに近い。

僕の夢は政治士官になること。政治士官とは歴史上存在した日本軍将校とは逆で、政治を動員して戦争を止める職業である。大学3年の時、僕はチャンスをもらった。世界に自分の意見をダイレクトに述べることができるチャンスである。

ちょうど発生したイラク戦争とアフガン戦争で、本場アメリカ軍でも到達不能な認識領域に認識を飛ばしていた僕は、大学を留年し精神障害認定(正確には精神障害等級2級重度かつ継続:月六万六千円の年金がもらえる)までされてしまった。今ではインターンシップと奨学金だったと思っているが、冷静に振り返ると経歴に傷をつけたのは疑いようもない。行動を通じて“建国”したGPA(Global Principarity of Armana)が成立している事が救いである。

イラク戦争ではテロリストとテロを通じて対話し、結果的に組織的無差別テロリズムをかなりの程度抑え込むことができた。アフガンではタリバンとの対話が正当であるという事を主張し、アフガン政府は現にそのように動いている。

世界政治を刀を通じて認識することによって、アメリカ軍でも見えない先行き(政治思想の落ち着く先)を見通せたのである。それについて具体的に述べると、20世紀後半は“世界の刀たる日本という刀を遣うアメリカ”という構図だったという事である。21世紀初頭に至り、各地域のprinceがその刀を遣う世界いわゆる「新しい中世」として現前のものとなったのである。

それは戦争をコントロールし政治を律するシステムであり、世界の政治学者が気付けなかった点を突いた、学士上がりの人間が提起するにはできすぎたシステムであった。そうしてGPAを建国し政治士官という天職を為すという夢を実現した僕は、今、“あり得たはずの夢”に衝撃に近いショックを受けたのである。

どういう夢かというと、大学時代のサークルの友人たちが大学時代の雰囲気そのままに一緒に気ままに勉強している夢だったのだが、あれだけ居心地の悪かったサークルなのになぜかそこに僕の居場所を見つけた気がしたのである。

政治士官という職業は、現代日本で自分の居場所を見つけるのが困難な職業である。お金も稼げない(賄賂になってしまう)し、政治的立場がややこしいのでどこかの政党に属するわけにもいかない(政治士官は政党を超越した存在なのだ)



遠山拝