個別指導塾における講師と生徒の間の師弟愛がエロス(神愛アガペーと対置される愛という意味)に発展してもおかしくないような状況において、勤務業則との親和性の欠落をどう補填するか。


営利的信義則と恋愛情理のどちらに軸足を置くかという点が問題となる。


まず恋愛情理を人間関係の説明因子として重視する場合、健全育成という教育機関の根本原理(かつ教育の基本理念にして目的)に照らし、講師の側がそれを要求しあるいは強要する事は最大限抑制されなければならない事は当然として、生徒の側が何らかの瑕疵ある合理性(特に結果予測に関して)を根拠に講師とそのような関係を望みあるいは望むかのように振舞うような場合に、勉強の妨げにならない程度にあるいは恋愛関係を構築する事は、健全育成という教育の本旨とも親和する余地を認める事ができる。


次に営利的信義則と恋愛情理の親和性について検討する。


本来恋愛は経済活動の中心的関心事でなく、経済活動全般が(ここでいう「経済活動」を「日常生活」と置き換える事もできる)恋愛的価値に牛耳られる事は健全な営利活動にとって阻害要因になり得、それ自体が経済的なものに限らない信義則全般を衰亡させ結果的に恋愛というものそれ自体をおよそ信義に悖るものと看做すような社会通念を醸成してしまう虞があるが、営利的信義則と両立する形で展開される恋愛情理についてまでも

一律に禁止してしまうのは、営利活動を人間性との親和性を適正でないものにしてしまいかねず、それを実態的に補うものがない限り、営利活動において恋愛を禁止するなどもっての他である。