皇族が通常の社会生活を営むことができるか。
相互威力業務妨害に発展しないか、あるいは正常な契約締結ができるかどうかという点が主な問題となる。
第一の論点に関しては国際政治の理論が役に立つと思われる。
国益を第一義とした利害衝突の調整が国際政治の実態であるが、その調整行為を民間個人レベルに適用することを社会及び一般通常人は許容し得るかについて、一般通常人は許容する事を望まないもしくは許容できないと推定すべきところ、皇族はその前提に対する理解とその体得及びその運用について特別な訓練を受けている事が少ない。
従って皇族は、その種の訓練をある程度こなした段階で始めて一般社会において通常の生活が営めるものという自己認識を形成すべきである。
次に第二の論点について、契約締結の際最も重視されるべき信義誠実の原則について、皇族がその事に関してどのように認識しどのような教養を持ちそれをどのように活用するのかという事について、一般通常人の立場から輔弼される必要があるという前提のもと議論を進める(この前提に対する懐疑は本稿では避ける)。
契約締結の相手方や通行人、あるいは同席した客等に信義則に関する輔弼を期待できるかどうかは、社会情勢及びそのパーソナリティー等に強く影響されるため、当然に期待する事は控えた方がよいという事は論を俟たない。
(その任を果たすべき公職は現在の天皇制には建前としては存在しない)
結論としては、皇族は特別扱いされざるを得ず、そのように扱う事は「貴族その他の制度はこれを認めない」という憲法の条文に照らし違憲の疑いを免れないが、貴族制度の否定と貴族的人格の否定が同義でないという点に留意すれば、皇族個人というアイデンティティがシステムに過度に依存することなく生起され自己抑制的に管理・運用される事を条件に、皇族が通常の社会生活を営む事は固有の基本的人権の一環として肯定され得べきものと認む。