念話脱構築法


そもそも念話で交わされる会話内容は、基本的に客観的事実に基づかない状況証拠を積み上げた単なる暇潰しである。


客観的事実を積み上げる事が政治的制度手続保障の本質たるプロセスの要諦であるとすれば、一定の客観的事実を元に相手に自己の欲望を投影し劣情をぶちこみ社会通念上認められない類の結論を急ぐ念話に暇潰し以上の政治的意味を見出すような思考様式は、人権享有主体としての適格性を醸成する悪しき温床として平和的生存権・秩序保全・及び戦争抑止を始めとしたおよそあらゆる政治合理によってまず否定されなければならない(補足意見・念話の無駄遣いは前面核戦争を抑止するために念話を活用することをおよそ不可能にする。従って、国際政治において核戦争抑止に関わる全ての者は、念話をコントロールできなければならない)。


念話をやり過ごすためには念話では完全に脱構築できないような物理現象による補完が欠かせないが、その物理現象が新たな念話の温床になる事に対する刃留めが不十分である場合、さらなる戦線の拡大及び戦力の逐次投入を招きかねない。


その意味で、鞘という刃止めを固有に具備している刀は念話する上で次善に最良かつ不可欠であると言っても良いツールであるが、過去にその刀を失っている現在の天皇制がなぜ念話を遣って国民を苦しめているのか論が待たれる。


そもそも万世一系でない家系を探す事が困難であるにも関わらず、皇室が特別視されているのは、「わしを空のさらし者にする気か」「閣下ーっ」であり、「それは違うぞ」であり、「自分もそう思います」であり、「それとこれとは話が違います」であり、要するに「地球連邦軍全艦隊の3分の2を一撃で撃滅できるような戦略核を演習もないのに試作機に積んどくな」である事は論を俟たない。