エドワード8世は不倫で退位したものの、実質的にイギリス外交を取り仕切っていた名君主だったのではないか。


「民主主義は最低の体制だ。かつて存在した全ての体制を除いては」という言葉が印象的なノーベル文学賞作家にしてバトルオブブリテン時のイギリス首相だったチャーチルは、幼い頃よりエドワード・ギボン卿の「ローマ帝国衰亡史」を愛読していたが、そのチャーチルの外交観を支えていたのはエドワード8世だったかもしれない。


エドワード8世はアメリカ人女性ウォリス・ウォーフィールドと不倫して退位したわけだが、「大戦間期にアメリカ人のウォーフィールドという名前の女性と不倫した」という事実だけで、エドワード8世の外交感覚がいかに優れていたかが見て取れる。


またナチスに対する宥和政策に反対しておらず(ちなみにナチスの「イギリス国王にする代わりにドイツを助ける」という密約については断っている)、戦後フランスの社交界に出入りしている事などから考えると、彼の外交感覚は一流であるだけでなくある程度の影響力を持っていたことは疑いようがない。


ただ、第二次大戦は第一次大戦後の外交の不始末が原因で外交ではいかんともし難い領域が拡大した戦争であり、武力による総力戦においては彼の一流の外交感覚は清涼剤にはなっても強固な現実の政治的影響力には結び付かなかったのではないか。


イギリスの第一次大戦の戦後処理・第二次大戦の外交及び冷戦期外交の不成功は、20世紀イギリス外交の歯車が20世紀初頭のどこかで狂ってしまっていた事を物語っているが、某は20世紀イギリス外交を狂わせたのは端的には日英同盟だと思う。


彼エドワード8世を我が党の外交担当役員に任命し、安らかな帰天を祈りたく思う。