庭先にチューリップの球根を植えました。 今回は富山産の球根です。(19日)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/2a/35/j/o0480064014591982344.jpg?caw=800)
春の開花をイメージしながら作業をしていたら、「心の旅」、「虹とスニーカーの頃」、「サボテンの花」 などのヒット曲で知られるポップスグループ「チューリップ(TULIP)」のリーダー・財津和夫さんの顔が浮かびました。地元福岡市出身の作曲家でシンガーソングライターですね。
植えた花と同じ名前のグループ名だから、だけではなく、先日のブログで、同じ名前の「カズオ」さん―― 長崎出身で日系英国人カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した話を書いた余韻もあり、財津和夫さんの出番となったわけです。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/56/a4/j/o0640048014591982365.jpg?caw=800)
チューリップのシングル盤「サボテンの花」 「虹とスニーカーの頃」 「夕陽を追いかけて」
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/b5/b9/j/o0640045514591982379.jpg?caw=800)
チューリップのシングル盤 レコードコレクションから
1980年代の頃、福岡市の中央区天神 西通りに、財津和夫さんがオーナーをされていた「Hebe」(ヘーベ) という喫茶店がありました。それはそれは素敵な空間の喫茶店、カフェでした。
珈琲が美味しいのはもちろん、高級ケーキや「ラブオール」製のパイ菓子―アップルパイやバナナパイも人気でした (現在のラブオール店舗:中央区薬院3丁目)。
高い天井から吊るされたお洒落な照明。 洗練されたギャルソンたち。 選ばれし
雑誌と音楽。 最近のカフェ文化を考えれば、時代がやっと「Hebe」に追いついた?
今思えば、早過ぎた出店だったように思います。 そこで出逢い、結ばれた人も 多かったことでしょう。
「Hebe」 が常連客から惜しまれながら閉じるときに、表に飾っていた看板を記念品として頂きました。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/4c/41/j/o0480064014591982394.jpg?caw=800)
わたしのお宝です。
「Hebe」 周辺には、寄り道する場所がたくさんありました。
すぐ近くに、ミニ・シアター「西通キノ」。 親不孝通りにも「シネテリエ天神」がありました。(博多駅横の交通会館内にあった「ステーションシネマ」 、百道浜TNC放送会館「シネサロン・パヴェリア」を含めれば、当時福岡市にあったミニ・シアターは全て閉館しました。現在は、長浜の「KBCシネマ」のみ。)
天神コア6階に最大規模を誇った「紀伊国屋書店」。 地下にはマニアックな漫画専門店「福屋書店」 と、国内外のレコード「文化堂」。 隣のイムズには、輸入レコード「山野楽器」 と画材店「山本文房堂」。 エリア・ドゥの「ブルーノート福岡」 と「KBCタワーレコード」。 ショッパーズにあった「タワーレコード」 と、大型書店「リーブル天神」。
老舗岩田屋デパートが経営していた「ピラミッドゾーン」のCDショップと、ジーサイドの「ヴァージンレコード」。 西鉄グランドホテル前の中古レコード「田口商店」 。
紺屋町で親戚がやっている古道具の「悪徳屋」。 大名だいみょうは、アンティ-ク玩具「キッズクラブ」や古書店「入江書店」、ジャズレコード「キャットフィッシュレコード」。 中古レコード「ボーダーライン」も。 舞鶴には、ジャズレコードの「アーリーレコード」と長浜公園に「ムーンドッグ」。 ロックやブルースに強い「ジュークレコード」は親不孝通り。 いずれの店もオーナーの魅力で通いました。
喫茶店のハシゴは、親不孝通り「屋根裏漠」 と、その近くの「風街」。 大名裏手の「フッコ」 や国体通りと西通りがぶつかったところの「美美びみ」。 福ビルは「ニック/
NIC」 と、同ビル地下の「ロイヤル」。 同じlく新天町1階2階の「ロイヤル」。
「ばん」 「のだ」 「和蘭豆」 新天町「プリンス」 警固の「かうひいや」・・・
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190918/16/jksta-322/77/b4/j/o0548046014591982403.jpg?caw=800)
最後に、大名小学校正門並びの古民家を上手く使った純喫茶「ぷるみえ」 と、そのオーナーの遺志を引き継いだ「櫂」。
「ぷるみえ」 と「櫂」 は、週に2回は通いましたか。 どちらも閉店のお別れパーティー後、看板をいただきました。 その時の仲間たちとは、今もお付き合いがあります。 このことは、後日書きましょう。
今、ブログを書き終えますが、居酒屋は、長浜公園の近所、「晴れたり曇ったり」と「洗濯船」、警固の大正通りにあった「常薫」に大変お世話になったことを思い出しました。 これを書くと きりがない・・・ ここでペンを、いや、マウスを置きます。
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