欠けた<六華撰> (つづき)

 コートを脱いでタバコをくわえた時だった。
 「京都の村松さんという方からお電話です」
 タバコをデスクに置いた。
 「ジンか、会社ヘ電話してくるなんて珍しいな」
 「お、いたか」
 口調が早い。私の出社時間である十一時を待っていたのかもしれない。
 「ニューな、今朝、ショーベエが死んだ」
 「……」
 「ブックが知らせてきて、俺が連絡係になった。あいつはその事で忙しいらしい」
 「…だめだったのか。で?」
 「まだ何も決まっとらんらしい。また電話すると言ってた。そしたら、報せる」
 「わかった、頼む」
 急にオフィスの中の音が消え、空洞状態になった。
 デスクの上には伝言メモが二枚、FAXが一枚。目に映っているが、読んではいない。置いてあったタバコに火をつけた。そのまま三十分くらい宙を見ていたのかもしれない。
 「あのお、ワールド広告の田崎さんが急用だそうですけど」
 事務の女性が控えめに声をかけてきた。
 「あ、わかった」
 至急打合わせしたい仕事が発生したという。どうしても行けないので、代わりの者を出すからよろしくと謝って、指定された時間と場所をディレクターの刈谷に伝えた。もう一本タバコを吸い、ようやくメモとFAXに目を通した。一枚は今の件。あとのメモとFAXは制作物訂正の確認。とりあえずは問題ない。
 「前島さんという方からお電話」
 ジンの電話から一時間以上過ぎていたのだろう。
 「ニュー、聞いたか?」
 「さっき、ジンから」
 「ブックからの伝言だ。ジンは会議中だそうだ。いいか、お通夜は明日十一日火曜日夜七時。告別式は明後日の午前十一時、場所はホーリカン。どんな字か知らん。俺は今日行くつもりだけど、お前どうする?」
 「今の今だから、まだわからん」
 「わからんじゃなかくて、行こうぜ」
 「お前、今どこだ」
 「新潟」
 「でも、お通夜は明日なんだろう。行くとなりゃ、いろいろと…」
 「とにかく行ってやろう。本日、ソクだ。どうせ仕事も無くて、ヒマなんだろうが」
 「とは言っても、貧乏会社は支払いのやりくりだの何だのと、大変なんだ」
 「がたがた言ってないで、何とかしろよ。俺もかかえてる事を片付けて…そうだ、ちよっと待て、時刻表見るから」
 ミツグの性急さは今に始まった事ではないが、私の頭はまだ作動していない。
 「よし、ニイマル・ヨンニに金沢駅ヘ着くようにする。駅前のニットウホテルの一階ロビーでニイイチ・マルマルに会おう。俺はまだ皆に連路しなきゃならんから」
 返辞を待たずに電話は切れた。
 あれの件、あの担当者…私はメモ用紙に書いて整理を始めた。いつの間にか気持ちは金沢ヘ向いている。スタッフに事情を話して対処をふり分け、仕事先ヘは親族に不幸があってという事にして、すでに金沢ヘ行くための行動をとっていた。
 昼飯を食べる気にもなれず、妻に喪服その他の支度を頼んで横浜の自宅ヘ向かったが、急に電車がまだるっこしく思われた。
 思い出して自宅から金沢の姉に事情を話した。姉はショーベエを知っている。
 「うちヘ来ないで、どこか近くのホテルに泊りなさい。こんな時だから、その方が何かと便利でしょうに」
 「そんな金ないよ」
 「なさけない子やね。そのくらい出してあげるから…。その方が私も面倒臭くないわ。あんたは食ベ物にうるさいし、帰ってくるとお酒臭いし、ご飯つくるのはしんどいし明日ホテル代持ってってあげるから、そうしなさい」
 姉は矢継ぎ早に命令を出した。
 「晩飯はすませて行くから…。明日の朝は味噌汁と漬物でもあればいいよ。今からホテルだの何だのって面倒だし、とにかく今日行くから頼むよ」
 「仕方ない、泊めてあげるわ」
 いつまでたっても末弟に対する口調は変らない。
 時刻表も確かめず、羽田で運よく間にあった飛行機の席におさまると体全体から空気が洩れて行くようだった。遺体になったショーベエが待っている…。
 空港ロビーから外に出ると、うるんだ闇が低く垂れていた。二月初旬の雪まじりの冷気が頬にはりついてくる。金沢駅行のバスを探して窓際に腰をおろすと、綿のトレンチコートのまま来てしまった事に気がついた。
 走り出して三十分ほど経っている筈だが、どの辺りなのか…。犀川大橋が昔ながらの姿を見せる頃になって、ようやく金沢市に入った事がわかった。これまでは、ブックが車で小松空港まで迎えに来てくれるか、郊外にある姉の家ヘタクシーで直行するかで、バスは初めてだった。
 湿雪が降りかかってくる金沢駅ヘ着いたのは八時二十分。ミツグの指定したニイイチ・マルマルまで四十分もある。タートルのセーターとツイードのジャケットを着こんできたが、トレンチの衿を立てても、ホテルまでの数十米で芯まで冷えてくる。
 寒さに凍えながらもホテルのラウンジでビールを頼み、トイレに行って戻って来るとブックが人を探すように立っている。
 「ブック」
 「お、よう来てくれた。こんな事でなしに会いたかったな」
 「うん。でも、お前がなんでここに?」
 「ミツグから、多分ニューが先に着いてる筈だからって、電話があった」
 「あいつ、わからんと言っておいたのに」
 「昔からそういう奴よ。お前が着くものと決めこんでいる」
 ビールの小瓶をちびちびと一本ずつ空けた頃、背中を丸めたミツグが疲れた様子で右手をあげながら現れた。
 「しんどそうだな、大丈夫か?」
 私は立ってミツグのバッグを持った。
 「すまん。急に喘息がひどくなってな」
 「そうか、ご苦労であった。ビールは?」
 「いらん。呑むと苦しくなる」
 「じゃ、軽くめしでも食うか」
 ブックが誘った。
 「駅弁食ってきたから…」
 「調子悪くても食うだけは食うんだな。ニューは?」
 「何も食ってないけど、相変らずあんまり食えないな」
 「バブル崩壊による胃潰瘍と食欲不振というやつか。カニはどうだ」
 「ほう、いいな」
 「でも、今晩、ショーベエの所ヘは行かないのか?」
 ミツグが不審そうに二人を見た。
 「今は大変だろう。遠慮しようや」
 すでにショーベエの家ヘ行って何かと手伝ってきたらしいブックが制した。
 「正解だな」
 「じゃあ、もう禁漁だけど、うまいカニを食わせる店がある。行こう」
 外に出ると風が出て、雪が横なぐりに吹きつけ、東京とはまるで違う冷気が顔に突きささってきた。
 タクシーで着いたのは浅野側の川べりにある、もと遊郭の名残りをとどめた格子戸もそのままの一軒。金沢ではかつて東の郭、西の郭といわれた遊郭が、共に浅野川、犀川の流れに面していた。ブックが慣れたふうに入って行くと、金沢弁で挨拶に出た四十代と思われる和服姿の女将に心暖まった。
 「申し訳ないんやけど、今日はカニ無いんやわ。なんか、ほかのもんで堪忍してもらえんやろか。お魚やったらいいのも入っとるし」
 「わかった。とにかく東京からカニ目あてに来た友だちや。なんかうまいもん持ってきてくれや。それと熱燗二三本」
 甘みのある大根おろしをたっぷりつけて食ベる寒鰤の刺身が昔のままに美味だった。

 

<アナログ高校物語 第49回につづく>

アナログ高校物語の索引はこちら

 

 

いつも読んでくださってありがとうございます。
アナログ高校物語は毎週火曜日更新です。

 

ちなみに物語に登場する伊原なる人物が

わが父、伊藤嘉直のようです。

 

手元にある原本の残りページが少なくなってきました。

ざっと区切りとなる部分を数えてみると、

あと5~7回掲載をすると終了となるようです。

開始当初は、

週1回の掲載を最後まで続けられるのかと心配もありましたが、

はじめの志をとおすことができそうです。

物語はどのように終わるのでしょう。

 

 

『アナログ高校物語』は、

創設から4年を経た(昭和28年)石川県立金沢二水高等学校の

ある日の授業風景から始まる物語です。

 

物語の書き手は私の父、伊藤嘉直。

 

昭和10年生まれの父は同窓の仲間の協力を得ながら

平成12年12月に書き上げられたこの物語は、20部だけ製本して形になったようです。

 

おそらく私は社会人1年目に父からこの本を手渡されました。

なかを読むことなく15年以上が経ち、父もすでに他界しました。

 

思うところがあって、

今回、初めて内容に目を通すと同時にブログへの公開に取組んでいます。

 

【思うところを書いた記事】 アナログ高校物語 第0回 〜父の自叙伝のようなもの

 

 

 

手元に一冊だけ父から渡された本があり、

その表2部分(表紙の裏)には、こう記されています。

 

==

 

駄文の書き手  伊藤 嘉直

美本の造り手  上田 孝信

気力の支え手  梅田 俊彦

評のほざき手  笠松 正彦

           窪田 香代

           細川 弘司

           前川 盈

           松村 順

           山本喜久二

           (五十音順)

 

※以上 昭和二十九年石川県金沢二水高等学校第六期卒業生

 

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アドバイザー  植松 二郎

※第十二回織田作之助賞受賞作家・コピーライター

 

 

 

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私が代表をつとめる

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欠けた<六華撰> (つづき)

 「駐車違反に飲酒運転か」
 なおも二人でぶつぶつ言いながら店を覗くとシンゲンの赤ら顔が輝いた。
 「しばらくです。ようこそ」
 店主の口調だった。ちょうどカウンターが三人分あいていた。おすすめ料理でビールを注ぎあいながら金沢へ来た目的を話したが、ショーベエの事は知らなかったらしい。高校でも特に付合いはなく、その後もたまに店で顔を合わす程度だったと言う。私やジンもシンゲンとは親交があったわけではないが、植木のタッチンとは親しかったらしい。以前聞いた話を思い出した。
 「シンゲンさ、あんた高校の頃、植木のタッチンとカツアゲやったんだってな。この前タッチンが自慢げに話してたぞ。でもカツアゲなんて懐かしいい言葉だな」
 「あ、あれですか、若気のいたりでお恥しい。ちょっと気にいらない奴がおったもんですから」
 「うちの高校でか?」
 「違いますよ。工業高校の奴で…。タッチン元気ですか?」
 「うん、すっかり髪が白くなったけどな」
 「ええ、一年に一度くらいは来るんですけどね」
 シンゲンは忙しそうに料理づくりの手を動かした。前に来た時はお手伝いの若い女がいたが、今は奥さんと二人でやっていると言う。
 「タッチンがカツアゲ?あんなおとなしそうな奴が?」
 ジンが感心したように言った。
 「あれでなかなかのもんだ。結構いろいろやってたらしいよ」
 「余罪もあるってわけだ」
 「血の気の多い頃だしな。今は商売に徹した腰の低い社長さんだ」
 「会ってみたいもんだな」
 「伝えとくよ」
 「俺が東京出張で時間のある時…めった無いけどな、前もって知らせるから三人で会えるようにしてくれ」
 「わかった。ところでブックよ、運転して帰るんならあんまり呑むな」
 金沢ヘ来るたびの飲酒運転にはなれていたが一応釘をさした。
 「酒が入った方が運転がスムーズになる」
 「馬鹿、それはスムーズじやなくて、いい加減になるって事だ」
 「わかった、ひかえるよ」
 「皆しっかり更生の道を歩んでるでるではないか」
 「とおっしやるご本人はいかがなものでござるかな」
 ジンが割りこんだ。
 「これは異な事を仰せられる。拙者はもともと更生の必要など毛頭ござらん」
 「まこと、さようかな」
 気心の知れた仲間のいわゆる以心伝心というやつか、ショーベエの事はとりあえずそれぞれの胸に納めておこうという感触があった。話題にするには辛すぎた。
 「また金沢ヘ来たら寄ってください」
 シンゲンの声をあとにして、ハンドルを握ったブックは裏通りを選んで走り、無事店に着いた。勝手知った本山旅館だが、風呂の無いのが唯一の難点だ。
 また一升瓶が持ち出される。六華撰メンバーが集まると、喘息であまり呑めないミツグを除いては朝からアルコールを切らした事がない。
 「明日はジンの家ヘ行って、お母さんに会いたいんだがな」
 「それは喜ぶだろう。ちょっと電話してみるよ」
 隣の部屋で話す声がして、すぐに戻って来た。
 「楽しみにお待ちしております、との事であった」
 「ブックは明日どうなんだ。運転手さんよ」
 「お前らが来る時は、いつも帰るまであけてある」
 「いい心がけだ、いっしょに行こう」
 ジンは二階、ブックは仕事部屋、私は奥の間。きれいな敷布団と新しいシーツ、タオル掛けが用意されていた。奥さんの影が感じられる。ショーベエの姿、言葉がちらついてなかなか寝つかれなかったが早めに目が覚めた。
 仕事部屋を覗くと、もう二人は缶ビールを空けていた。
 「俺はお茶がいいな」
 当然の事ながら朝食は無い。
 「途中どっかで飯食って行こう」
 通りがかりの喫茶店に入り、トーストと紅茶ですますとジンの家ヘ向かった。
 ジンのあとについて入って行くと、昔よく来た二階の部屋ではなく、庭に面した一階の座敷ヘ通された。
 前にお会いしたのは何十年前だったのか。もう八十歳は過ぎていらっしゃる筈だと思ったが、座布団をすすめてくださるお母さんは背筋もしっかり伸び、「カクシャク」と言う言葉がすぐに頭に浮かんだ。
 「先だっては柿をわざわざありがとうございました。よく覚えていてくださいましたね。じんときました。あ、いや、洒落じゃありません」
 私は正坐して両手をついた。
 「ちょうど時期でしたし…ジンのお友だちの中では伊原さんの記憶がー番強いですからね」
 「そんな悪かったですか?」
 「何となくいつも気になる子でしたよ」
 「気になるっておっしゃいますと?」
 「真面目そうで悪そうで、気が強そうで弱そうで、いいもの持っているのに粗末にして斜に構えた感じで…ま、ジンが少し固い感じだったので、ちょうどいいかなと思って見てましたよ」
 「手きびしいですね、昔ながらに」
 女学校で国文学の先生をしていたというお母さんの言葉は、高校の時から胸に響くものを持っていた。
 「ほら、あれですよ」
 庭を指さした先に、あの柿の木は健在だった。
 「おい、写真撮らないか」
 二階ヘ上がったらしいジンがカメラを持って戻ると、後に妹さんがいた。
 外に出て用水沿いの道でお母さんをはさんでジン、ブック、私が並び、妹さんがシャッターを押した。お母さんとはそれが最後になった。
 その後、病状の変化も届かないまま一年経った夏、ブックから、ショーベエが再手術を受けた報告が入った。これからどうなるのか、まだよくわからないとの事だった。
 さらに三ヶ月後、容態が激変したと知らせてきた。もう誰なのか識別もつかず、話しかけても反応してこないと言う。
 「まったく食えない状態だから点滴した方がいいと、奥さんとも相談して、今度は梅沢先生の知っている人がいる病院ヘ入れる事にしたんだけど…」
 「けどって、どうなんだ」
 「年が越せるかどうかわからん、みたいな雰囲気だよ」
 「一度様子を見に行きたいから、良さそうな時に連絡してくれないか」
 「わかった」
 そのまま年内の連絡は無く、会社の事も重なって、落着かないまま年が明けた。
 正月三箇日は遠慮して、十日頃ブックに電話してみた。
 「今年もよろしく。新年早々になんだが、ショーベエはどうだ?」
 「病院へは入れたんだが、いい方ヘは向いとらんな。だから連絡しなかった」
 「そういう事か。成人式の休みでも引っかけて行ってみようかと思ってるんだけど」
 「残念ながら、無駄足になると思う。たとえニューでも、わからんような状態だから」
 「そうか、俺が行けぱ目を覚ますかもしれないと思い上がっているわけじゃないけど」
 「冷たいようだが、俺たちも覚悟しといた方がいいかもしれん」
 「あとは神だのみしかないか」
 「俺たちに助ける力も方法も無いもんな」
 「でも、できれば会いたいな」
 「きっと、辛いぞ」
 声が湿ってくるのが感じられた。
 

<アナログ高校物語 第48回につづく>

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いつも読んでくださってありがとうございます。
アナログ高校物語は毎週火曜日更新です。

 

ちなみに物語に登場する伊原なる人物が

わが父、伊藤嘉直のようです。

 

先日、4歳になった息子と一緒に家族でお墓参りにいきました。

息子はお墓にお水をかけるのが気に入ったらしく、

帰り道まで楽しかったと振り返ってました。

一方で、

「歳をとると人は死んでお墓に入る」

「おじいちゃんやおばあちゃんと同じように、

いつか父もここに入ることになる」

と伝えた話に少なからず衝撃をうけたようでした。

すこしずつ、

命や家族、

そして今という時間の大切さが理解できるように

話をしていきたいと思っています。

 

 

 

『アナログ高校物語』は、

創設から4年を経た(昭和28年)石川県立金沢二水高等学校の

ある日の授業風景から始まる物語です。

 

物語の書き手は私の父、伊藤嘉直。

 

昭和10年生まれの父は同窓の仲間の協力を得ながら

平成12年12月に書き上げられたこの物語は、20部だけ製本して形になったようです。

 

おそらく私は社会人1年目に父からこの本を手渡されました。

なかを読むことなく15年以上が経ち、父もすでに他界しました。

 

思うところがあって、

今回、初めて内容に目を通すと同時にブログへの公開に取組んでいます。

 

【思うところを書いた記事】 アナログ高校物語 第0回 〜父の自叙伝のようなもの

 

 

 

手元に一冊だけ父から渡された本があり、

その表2部分(表紙の裏)には、こう記されています。

 

==

 

駄文の書き手  伊藤 嘉直

美本の造り手  上田 孝信

気力の支え手  梅田 俊彦

評のほざき手  笠松 正彦

           窪田 香代

           細川 弘司

           前川 盈

           松村 順

           山本喜久二

           (五十音順)

 

※以上 昭和二十九年石川県金沢二水高等学校第六期卒業生

 

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アドバイザー  植松 二郎

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欠けた<六華撰> (つづき)

 何とか年は越せたが、銀行からの借入れは増え、会社の業績も上向く気配はなかった。仕事を取り入れるために人脈をたどって出歩き、資金繰りに追われながら、うっとうしいゴールデン・ウイークを迎えていた。
 そんな時期、ブックからショーベエが脳腫瘍で入院したという電話を受けた。脳腫瘍という病名が、突き刺すように響いた。
 「で、どうなんだ」
 「手術したんだがな…もう一ヵ所あるんだそうだ」
 「それは?」
 「俺にはよくわからんけど、なんか難しい場所にある小さな腫瘍だから、もう少し待って再手術するそうだ」
 「本人は知ってるのか?」
 「知ってる」
 「そうか…状態はどうなんだ」
 「今のとこ、苦しんでるとか、おかしくなってるとか、そんな事は無いみたいだ」
 「でも、怖いな」
 「怖いよ。また状況を知らせるわ」
 「頼む。とりあえずは六華撰の金沢集合も、ショーベエの様子待ちだな」
 「そういう事だ。他の奴らにも知らせておくよ」
 お互いそれ以上の話は弾まなかった。
 詳しい知識は無かったが、根治しにくい病気のイメージがあった。もし…という思いが拭い去れない。級友だった嵐の三年前の事も思い出される。とはいえ、何ができるわけでもなく、ブックの情報を待つしかない。
 七月末にジンから金沢ヘ行かないかと誘いがきた。
 「墓参りに行くんだけど、お盆休みの混雑はさけて、来月四日の金曜日に行く予定をたててる。急な話だけど、ショーベエの見舞いも兼ねて、どうだ」
 「お前はもう決めたんだな」
 「ちょうど会社の事も一段落するから…」
 「わかった、決めてしまおう。行くよ」
 「大丈夫なのか?」
 「わからんけど、大丈夫にするよ。ショーベエの事はずっと気になってたし…だけど、ザカとかミツグとかは?」
 「お前に電話する前に二人に声をかけてみたんだけど、二人共ちょっと無理らしい」
 「そうか、ま、いいよ。お前となら、時間がありゃ梅沢にも会いたいしな」
 「それはあいつの都合次第だけど、とにかくブックには俺から連絡しとく」
 「じゃ頼むよ。金沢着の時間はまたお互いに連絡とればいいわけだ。ブックには小松空港まで迎えに来させなきゃならんから」
 「それで本山旅館泊りって事にするか」
 「よかろう」
 私は金曜日を休みにして金沢ヘ向かった。姉には今回は寄らないかもしれないと連絡すると、「助かった」といつもの調子だった。
 三時頃小松空港に着くとブックが待っていてくれた。駐車場の車にはジンがいた。湿度の高い真夏日に吹き出した汗も、クーラーがきいていたおかげですぐにひいた。
 「早いな」
 「会社から電話があったりすると面倒だから朝さっさと出て来たんだ」
 「じゃブック、このまま、ショーベエの所ヘ行こうか」
 とにかく顏を見たかった。
 「それならロビーで奥さんに電話してみる。待っててくれ」
 戻ってきたブックは、「行こう、大丈夫みたいだ」と何故か大きく息をついた。
 黒田昭造と表札のかかった玄関を開けてブックが声をかけると奥さんが迎えに出た。
 「わざわざ遠い所、ありがとうございます」
 二階に案内されると、座椅子の背にもたれたままのショーベエが、「お!」と嬉しそうに軽く右手を上げた。半袖のシャツから出ている腕は細く、血の気の無い顔にネットの帽子が痛々しい。手術の痕もあるのだろう、抗癌剤で頭髮も抜けるのだろう。
 「今日はなんだか、とても調子がいいみたいでよかったですわ」
 奥さんが驚く程に生気を取り戻しているらしい。横になれと言うのに、「いつもならダウンしてるけど、今日は大丈夫だ」と坐り直し、脳腫瘍という核心をはずれながら喋りあって二時間は過ぎていた。
 「お前らの顔が見たかったよ。この前まで、でっかい総合病院に入ってたんだけど、まるでモノ扱いされて、俺はもう再起不能の廃棄物になってしまったのか…みたいに思えて息がつまりそうになってな、一人で屋上ヘ出た。このまま飛び降りやろうか…ほんとにそう思ったよ。でもその時、急にお前らの顔を思い出してな、もう一度会うまではやめようと思った。俺をひきとめたのはお前らなんだ」
 淡々と話すショーベエに、覚悟を決めたような開き直りを感じた。返す言葉が無い。
 「ところでニュー、ブックから何となく聞いてるけど、会社の方はどうなんだ」
 末期癌、と言いかけて慌てて呑みこんだ。
 「難破船状態だ」
 「そうか、そもそもお前は経営者って柄じゃないからな。この突然の不況の荒波で船長はつとまらん」
 「うん、つくづくそう思うよ」
 ショーベエからは何を言われても不思議と腹が立たない。
 「俺が元気になったら、北陸支社をつくって新規開拓で業績を上げてやるよ。商売の事なら俺の方が上だ」
 「認める。船が沈まん内に早いとこ頼む」
 「まかしとけ」
 空元気とは思えなかった。
 励ましに寄ったらしい川又がいきなり声をかけたのを機に、あまり疲れさせてはいけないと、名残り惜しそうなショーベエと別れ、ブックの店ヘ向かった。
 「ほんと俺もびっくりしたよ。あんな元気なショーベエを見たのは久しぶりだ。先週も寄ったんだけど、ほとんど横になったままでまるで生気が無かった」
 「よかったよな。何もしてやれんけど、俺たちも少しは役に立ったみたいで…」
 しんみりとジン。
 「でも本当のところはどうなんだ。かなり危いのか?」
 私はあえてブックに聞いた。
 「誰もはっきりは口に出さんけど、諦めよう、覚悟しようという感じがあるな」
 「病院を出たって事は、わが家で…って意味なのか?」
 「いや、それはショーベエがどうしてもあんな非人間的な場所に閉じこめられたくない、気が狂いそうだって強引に出てきたんだ。奥さんが言ってた」
 「それならいいけど。その病院、別に梅沢の紹介とかじゃないんだろう」
 「もちろん」
 「梅沢なんかはどう言ってるんだ」
 忙しい合間をぬってショーベエの様子を見に行っている事はブックから聞いていた。
 「先生は内科だからな。ただ、あんな人だから軽々しくは口にしないけど、回復の可能性が薄い事は言葉の端々でわかる。昨日今日の付合いじゃないもんな」
 「つれえな」
 ブックの店で荷物を解き、薄手のTシャツと短パンに着替えようとする私を見上げて、それまで黙って坐りこんでいたジンが誘いかけた。
 「シンゲンの店でも行かないか、呑もうよ」
 「よし行こう」
 立ち上がったブックはガレージから車を出そうとした。
 「お前、呑むんだろう。だったら、タクシーの方がいいんじゃないか?」
 ジンが止めようとしたが、すでにエンジンをかけている。
 「大丈夫だよ、乗れ」
 仕方なく二人で後部座席に坐り、「よく生きのびてるな」などと悪口を言っている内に店から離れた場所の隙間を探してとめた。
 

<アナログ高校物語 第47回につづく>

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いつも読んでくださってありがとうございます。
アナログ高校物語は毎週火曜日更新です。

 

ちなみに物語に登場する伊原なる人物が

わが父、伊藤嘉直のようです。

 

このゴールデン・ウイークには、

久しぶりにお墓参りにいく予定です。

ついでに

子どもたちが楽しめるようなところにも行きたいと思い、

周辺をリサーチしています。

 

 

 

『アナログ高校物語』は、

創設から4年を経た(昭和28年)石川県立金沢二水高等学校の

ある日の授業風景から始まる物語です。

 

物語の書き手は私の父、伊藤嘉直。

 

昭和10年生まれの父は同窓の仲間の協力を得ながら

平成12年12月に書き上げられたこの物語は、20部だけ製本して形になったようです。

 

おそらく私は社会人1年目に父からこの本を手渡されました。

なかを読むことなく15年以上が経ち、父もすでに他界しました。

 

思うところがあって、

今回、初めて内容に目を通すと同時にブログへの公開に取組んでいます。

 

【思うところを書いた記事】 アナログ高校物語 第0回 〜父の自叙伝のようなもの

 

 

 

手元に一冊だけ父から渡された本があり、

その表2部分(表紙の裏)には、こう記されています。

 

==

 

駄文の書き手  伊藤 嘉直

美本の造り手  上田 孝信

気力の支え手  梅田 俊彦

評のほざき手  笠松 正彦

           窪田 香代

           細川 弘司

           前川 盈

           松村 順

           山本喜久二

           (五十音順)

 

※以上 昭和二十九年石川県金沢二水高等学校第六期卒業生

 

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アドバイザー  植松 二郎

※第十二回織田作之助賞受賞作家・コピーライター

 

 

 

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