海彦の本居宣長研究ノート「大和心とは」については、こちら から。

以下の文章は、かれこれ10年以上前に書いたものです。

このころは、本居宣長の著作に出会って、それを一生懸命で読んでいたころで、宣長のいう“漢意(からごころ)”が、他でもなく自分の心の中に深く染みついていることがわかり、それを何とかしようと、自分なりに色々と努力していました。

注: “漢意(からごころ)”については、ここここ を参照。

そんな折、“漢意(からごころ)”の厚いべールがようやく剥がれてきたことを実感する出来事がありました。

とても印象深かったので、そのときの様子を書いたものが、以下の『霧島神宮参拝記』です。当時の文章を少し手直しして、再掲載いたします。

霧島神宮

『霧島神宮参拝記』

長らく哲学などに親しみ、無神論で、神道など全くといっていいほど縁遠かった私が、神社に興味を持つようになったのには理由があります。

それは、去年の12月に鹿児島県にある霧島神宮に参拝したときのことです。といっても自分から行ったのでなく、仕事の引率で、仕方なく行くことになったのです。

何ら特別の思いもなく、ただ仕事として、皆を引率しながら、鳥居をくぐり、両側に鬱蒼と木々の生い茂る参道の玉砂利を歩いていました。

初冬の朝の澄みきった冷たい空気の中、玉砂利をジャッジャッと踏みしめる音のみが、木霊するように響きます。

そして、有名なさざれ石のほとりに来たとき、一陣の風と共に真っ白な粉雪が、舞い降りてきたのです。

「12月初旬の鹿児島で雪なんてめずらしいな!」

と思いながら粉雪の舞う参道を歩いていると、ふわーっと古木のような荘厳な香りがしてきたと思ったとたん、背筋がすっと伸び、鳥肌が立つような感覚に包まれました。

と同時に、身体(からだ)全体にすーっと清浄な気が入ってきて、その澄みきった透明な気で全身が満たされていくような感じになりました。

自分の身体(からだ)が勝手に反応しているようで、最初は正直とまどいましたが、よどんだ気が抜けていくように身体(からだ)が軽くなり、感覚が研ぎ澄まされていくのです。

自分の心の奥底に潜む何かが覚醒していくといったらよいでしょうか。このような感覚は、今までほとんど体験したことがありませんでした。

「ここには何かがいる・・・。」

言葉にならない思いが頭を駆け巡りました。

歩くたびに、この感覚は強くなり、目に入る光、耳に入る音、肌に感じる空気までが、今まで感じたことがないような生々しさ、新鮮さを感じさせるです。

そして、拝殿に到着しました。

周りに千年杉でしょうか、巨木が高く澄みきった青空に屹立するように、境内を鬱蒼と取り囲んでいます。その中に朱色の拝殿が、目のさめるような鮮やかさで浮かびあがっています。

なんとかみさびた美しさでしょう。

白妙の玉砂利は、朝の日差しに眩しいくらいきらきらと輝いています。清浄な気に満ち満ちた境内のようすに、息を呑みました。

「このすきとおるような清浄な気を、もしかしたら神気というのだろうか。神が鎮まっているというのはこのことをいうのかな!」

この透明で、明るく、何かしみじみと懐かしいこの神さびた気のなかに、いつまでも浸っていたいという思いが強くなってきます。

自然に拝殿の前に進みました。

私は、今まで一度も神社で手を合わせたことなどありません。むしろ、そのような行為自体、自分の生き方に反するとさえ考え、忌避していました。

しかし、今考えても不思議なのですが、拝殿の前に立ったとき、心が生まれ赤子のように素直になって、合掌して深深と頭を下げていました。

そして、心にすーっとひとつの言葉が湧き上がってきました。

「ありがとうございます・・・。」

自然に心で唱えるのです。

「かんながら たまちはえませ」

この美しい響きを持った祝詞を、後日知りましたが、そのとき心から唱えようとしていたことは、まさにこのことばだったと思います。

引率という仕事がなければ、このままずっとここに佇んでいたい思いでしたが、名残を惜しみながら、境内を後にしました。

この不思議な出来事があって以来、自分の中で、何かが変化したような気がします。

前に比べると、物事に素直に接することができるようになってきました。何か重荷がとれて、感じたままに自然に振舞えることが増えたような気がします。といってもまだまだですが・・・。

ともあれ、今回の体験は、自分の人生の中で一つの転機になりうる予感がします。

霧島神宮、機会があれば、もう一度参拝したいと思います。 (おわり)