海彦の本居宣長研究ノート「大和心とは」については、こちら から。

前回、宣長による「悪神」の発見は、実はとても深い意味を持つものだということを書きました。

一方、世界に目を転じると、悪事・凶事を生み出すこの「悪神」を認めない思想風土を持つ地域がたくさんあります。

言うまでもなく、現在信者数約34億人と推計される、唯一絶対神を信仰するアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)が広まっている地域です。

また、中国の天(天帝)の思想も、「天(天帝)」が天地・万物を支配するわけですから、その中に入るでしょう。

これらの宗教思想では、造物主である全知全能の絶対神が、天地・宇宙・万物を隈なく支配していますから、原則として、その神聖な創造行為に「悪神」などの入り込む余地はありません。それに、基本的にこれらの神は「唯一神」ですから、「悪神」のように唯一神に並列して存在する別の神など、概念的にそもそも存在できません。さらに、「神=正義そのもの」ですから、「悪神」というのは、原理的にも成り立ちません。

注:アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)には、神に敵対する「サタン(悪魔)」という概念がありますが、「サタン(悪魔)」は堕天使の一人であり、神として創造行為を行なう存在ではありません。宣長のいう「悪神」すなわち“禍津日神(マガツビノカミ)”とは異なる存在です。

そのため、これらの宗教思想が長く信仰された地域では、この「悪神」を認めない故に、長い歴史の中で大きなパラドックスに直面することになったのです。

注:このパラドックスについては、Blog 本居宣長研究 「大和心とは」 : 『直毘霊』を読む・五(下) により詳しく書いていますので、時間があれば読んでみて下さい。ここでは、要点のみ簡略に書きます。

それは簡単にいうと、唯一絶対神(創造主)の支配しているはずの世界に、教義では説明のつかない強大な禍悪が起こり、それが収まる見込みが全くなく、そのような不条理な状況が長期間続くとき、人々の間に、「本当に神はいるのか?」「果たして救済はあるのか?」という、絶対神(創造主)に対する根本的な疑念が生じてしまうのです。

その疑念は、「神の不在」という絶望と不信を引き起こし、人々の心に底知れない虚無を生み出します。

そして、最終的にそれは「神殺し」すなわち「絶対神の否定」という怨念(ニヒリズム)にまで行きついてしまうのです。

実にこの虚無こそ、近代ヨーロッパで起こった「神殺し」「神の死」という大規模なニヒリズムを引き起こした正体なのです。それは底知れない虚無を伴った強大なニヒリズムです。そしてそこからデカダンス(退廃)が出てきています。

同様に、「天(天帝)」を万物の総元締めとして立てる中国でも、これと似たことが起こっています。

「史記」という歴史書を書いた司馬遷(しばせん)は、悪人が栄え、善人が不幸に見舞われる歴史の現実をつぶさに観て、「天道是か非か(天道というものは正しいものなのか、そうではないのか)」という天を疑う悲痛な言葉を、「伯夷列伝」(史記)に残しています。

以下に、その一部を引用します。

「ある人はこう言っている。「天の道は決してえこひいきはしない。いつも善人の味方だ。」と。伯夷・叔斉などは善人というべきではないか、そうではないのか。孔子(こうし)の弟子の中で、最も正しい人だった顔回(がんかい)は貧困のうちに若くして死んだ。盗跖(とうせき)という泥棒は悪事の限りを尽くしながら、世に横行した。今の世でも正しくない者が、一生富み栄えている。どんなときでも大道を歩み、正しいことにかかわることでなければ怒りを発することをしない者、そういう人が、災いに遭っている例は数えきれないくらいだ。わたし(=司馬遷(しばせん))はこうした現実の世にたいへん迷わずにはいられない。果たして天道というものは正しいものなのか、そうではないのか。」(三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より引用)

以上で明らかなように、まさに、これら絶対神の支配する世の中で起こった「神殺し」「神の死」の背景には、「悪神」すなわち“禍津日神(マガツビノカミ)”の不在という事実があったのです。

宣長は言います。

「世の中のすべての事は、善悪の神があって、その御所為(みしわざ)であること、いささかも疑いありません。善人が栄え悪人が災難に遭うのは、善神のしわざ、また悪人が栄え善人が災難に遭うのは悪神のしわざなのです。このように我が国の古伝説では、善神と悪神が存在する故に、この世の人の災いと幸せが道理のままでなくとも、その道理は大変明らかであるのに、何を疑って、実は神はなきものと思うのでしょうか。」(くず花)

こうしてみると、宣長による「悪神」の発見ということが、思想的にいかに大きな意味を持つものか、これで明らかではないでしょうか。

長くなりましたので、今回はここまでとします。