極真の一時代を築いて来られた
現・聖心館 黒澤  浩樹 館長が亡くなられました。

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昨年膝を手術し、リハビリをこなしていた矢先の心不全だそうで、早すぎる訃報にショックを受けました。

思い起こせば1988年、青帯の頃、長野支部から城西に移り、当時の城西本部(代田橋道場)に通っていました。
甲州街道沿いにシルバーのBMWが停まっでいると「黒澤先輩が来ている」と緊張、重い足取りで地下道場に続く階段を降りて行きました。
その当時、「人間がのばされる」「人が下段で吹っ飛ぶ」のを初めて見ました。

移籍して初めて組手の相手をして頂いた時、足掛けで数十回ひっくり返され、ボディに強烈な一打で倒された時に「押忍、参りましたって言わないからだぞ」と言われました。

「押忍参りました」を言わない人間は先輩に倒される…

身を持って教えて頂きました。

その後しばらくして中野区に道場を開設されましたが、当時は怖ろしい先輩のイメージしかありませんでした。

分裂前の城西は昇段審査を一ヶ所で分支部を含め全体で行なっており、初段を受審した際に担当審査官をして頂きました。

時は経ち、小笠原道場で指導員をしている頃は、
小笠原先生(大学の先輩、後輩)と仲が良く、食事や話す機会もあり、お茶目で優しい一面を見ることもできましたが、やはり何年経っても「会うだけで緊張する人」でした。

試合に関しては今さら言うまでもなく、第16回全日本大会に初出場初優勝、翌年は決勝までの6試合をすべて技有り、一本勝ちで勝ち上がるという記録、自分の見た中でのベストバウトは1991年大阪ウェイト制で正道会館の柳澤選手との一戦。
極真vs正道一騎討ちの異様なムードでの試合は今でも鮮明に覚えています。

極真が分裂してからはプロのリングに上がり、自らの道場を興されて、極真館や他団体の大会でお会いすることもあり、二年前にはウチの道場生が黒澤館長の道場生と試合で対戦させて頂きました。空手界に与えた多大なる影響とその功績はいつまでも人々の心に残ることでしょう。

謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

押忍