風の行方

風の行方

~ゆるゆると遊び亥♀~
海から生まれていつか空へ

↓ 夫にパン食のブランチ。 食パンはオートミールとクルミ入り。

 

ようやくのどの痛み、咳が収まった。

ビワの葉エキスを時々飲んだりうがいしても1ッか月近くかかった。

かかりつけ医では何でもないと言われたが、身体は随分免疫が落ちたのね。

 

自分が不調だと食事作りがおっくう。

夫のブランチはパン食を取り入れた、受け入れてくれる。

外食を何回かしたが、食欲もないからおいしく感じられない。

会計時の金額に、これならいい刺身やいいお肉を買ったほうがいいな、なんて気持ちが起きてしまう。

 

いつの間にか食べ物は値段が随分上がった。

昨日近所に開店したカフェに、近所の人から誘われて入った。

コーヒー550円。ウーム、。小さなケーキが450円。

イスが心地よくなかった。

 

外食文化盛んなわが町で、歳をとってきたら自分の手作りがいちばん口に合う。

 

わが家から5分内にカフェが5つ。一つは駅前でチェーン店だが。

どこもそこそこ人が入っているから、この町の文化なのだろう。

でもお金がかかるなぁ、江戸っ子は宵越しの金は持たないのか、。

 

↓ 夫が買って来た本

 

ボクは人生が終盤なのに、終盤が強くなってもねぇ、、、という。

将棋の本は、茶の間、書斎、ダイニング、と場所を替えて取り組んでいる。

 

「あっ、蚊がいるっ」

私がパチンと手を叩くと、夫は新聞から顔を上げて

「あっ、ここにカカアがいる」

と私を指さした。

↓ 鉄砲百合

 

近所の一世代近く年上の方から聞いた話。

玄関のチャイムが鳴るので、家の中からカメラを覗いたら外国人だった。

恐いし、返事しなかったら何回も鳴る。

やっと終わったと思った小一時間後、またチャイムが鳴った。

 

今度は警官の姿が映った。

返事をしたら、、。

「お宅に30年前お世話になったトルコの方が、日本に旅行に来て、フリータイムでお宅を探し当てた方をお連れしました」

 

「えっ?」

 

ドアを開けると、さっきの男の外国人が笑顔でこちらを見る。

警官は英語で彼に二言三言話し、この方をご案内しましたが、私は戻ってもいいですか?と友人に訊く。パスポートも確認しました、大丈夫ですとも。

 

通訳いる間に確認すると、友人の亡き夫が30年前この方を浅草を案内し、自宅へお連れしたそうだった。

 

亡き夫は国際通信社勤務だった。

何となく思い出し、どうぞ、と入っていただいて、スマホの通訳アプリで少し喋ったけれど、87才になる友人は髪は白いし、一人暮らしで散らかってるし、夫はいないし、で.ほうほうのていでお別れしたそうだった。

 

友人はご夫君が存命の頃は、ヨーロッパやアジアによく旅行していた。

でも、もう歳ヨ、疲れたわ、、と笑った。

わが家まで7,8分の距離を歩けないで、三輪自転車でゆっくりやってくる。

 

以前も知り合いのドイツ人のご子息を1か月預かったことがあったが、トラブルがあって懲り懲りしていた。

 

旧友が遠くから訪ねてくれるのは嬉しいはずだけど、というと、もう英語が出てこないの、日本語でなくてはダメ、と笑う。

なにより、こんなお婆さんになってしまっていて、おもてなしは大変、という。

 

なんとなくわかる気がして、冥途のみやげね、と慰めた。

 

そういえば、と思い出す。

わが家が1980年代初め、夫について子どもと渡米した。2年住んで帰国し、私は長男の友だちの母上と文通してきた。

 

そして30年くらい経ち、長男がNYに出張した時に、コネチカットのその友だちの家を再訪した。

事前に連絡してから訪れたこともあり、息子はあちらのご両親、友だち家族もやってきて、心に沁みる再会を経験した。

 

その後、私は英語も怪しいので、息子に連絡は代り、SNSなどに。

友の母は、私が送ってきたクリスマスカードは宝物、と長男に見せたそうだ。友だちはミドルスクールの先生になっていた。

一緒に野球をやった仲間は州都で弁護士になっていた。

 

 

 

↓ 夫が図書館からコピイ

 

コピイを、息子3人とのライン部屋に転送した。

こういう話をしていたな、と思い出したので。

そしたら最新の都道府県の人口減少の棒グラフを送って来た息子がいた。

東京一極集中がすぐ分かる表。


私はそれをここに転送できない。

なんていうか覚える気力もない、教えてもらったことは何回もあるのに。

 

この時はすぐ返信があり、思わず時計を見た。

いけない、勤務中じゃない・・・

息子は大丈夫かい、。

 

ヒマな親の相手をさせてしまった、。

(産めよ増やせよ、の大正昭和)

 

全国知事会で、地方の知事たちが、東京は地方が育てた人材が集中して都だけ潤っている、ということを小池知事に話していた記事思い出す。

小池知事は一蹴していて横を向いていた。

 

↓ 庭に野菜くずを埋めているが、ジャガイモは発芽率が高い。

 

↓ そうめんの季節になった。温かい麺類より作るのがラク。

↓劇場という名の星座・小川洋子

 

書評でリクエストして借りた。

2週間の貸出期間に再読したかったが、あとが詰まっているので図書館に返すのが惜しかった。

 

普通の人の普通の断片を、帝国劇場という場に関連して短編がいくつも載っていた。

温かい心持の作品ばかり。

 

小川洋子は好きな作家だが、大好きに変わった。

私たちの何気ない日常を、やさしくすくい上げる眼差しが心地よい。

 

私もこのままでいいんだ、という肯定感に包まれた。涙がにじむほどじんわりした。👍(●'◡'●)

 

昨日は高校の友だちと4人で東銀座で食事した。

ビル6階の穴子料理の店、はかりめ。

 

3,4回来ているがいつもゆっくりできる。

個室のこたつ方式の円卓もいい。

長男も、ここはお酒が充実している、と以前話していた。穴子は安いしおいしい。

 

小雨の寒い日だったけれど、喫茶店はなかなか気に入った店が空いていない。

三越9階のテラスの庇の下でコーヒーをいただいた。私を除いて3人とも横浜。話が弾む中で、建物の中のソファが空いたので移ってホッ。

 

↓ 夫の同僚の展示作品(小伝馬町)

 

 

 今年、小鹿野で撮影したそうだ。

この撮影で旅行中の、入浴中に奥様がヒートショックで亡くなったそうだ。

奥様は心臓を弱くしていたので、同僚は温泉に入り、奥様は部屋のお風呂に身体を休めていたら事故。

42度になっていたそう。我が家も夫が大きな大動脈瘤を持っているので、ぬるいけれど40度。

 

お元気な声をもういちど思い出した。ずっと以前、合羽橋を案内したことを思い出した。

 

 

画廊は混んでいた。息子さん3人を立派に育て上げ、夫婦で楽しもうと、撮影機材を積み込み、奥様も休めるようにと車を買い替えたと聞いたのは、数年前。その年で運転は気を付けてください、と話した記憶が蘇る。

 

人の命は儚い。寿命はわからない。「お宅も楽しんで」とことばをかけられたが・・・

 

16年の専業主婦から25年のパート勤務。

毎日ではなかったけれど、5時起きも苦ではなく、子どもたちの朝食とお弁当を作り、出かける時に子どもたちを起こしていた。

 

朝出かける時は2階の窓がすっと開き、小4の3男が小さな声で「いってらっしゃい」と声をかけてくれた時、ゴメンね、と呟きながら足早に歩んだことは忘れられない。

 

職場につくと、すぐ電話がなり「お母さん行ってきます」と言った中2の娘の声には心が揺らいだ。

 

私がいてもいなくても関係ないのは高1の長男と小6の二男。私の不在を一番困っていたのは夫だった。

パートは月に10日だったのに。

留守の時に限って夫の姉妹が来て、子どもたちに「散らかってるわね」と云っていたらしい。

 

昔のこと、と思いながら、夫と喧嘩すると持ち出したくなる。

 

振り返ると、ドタバタした子育てが一番楽しかった。歳をとってしみじみ思う。幸せだった、。

4人とも小学校入学前に救急車に乗った。長男長女は自宅近くで車に巻き込まれ、二男は年末に風邪が悪化して小児科から救急病院へ運ばれた。

三男は川崎病の疑いで墨東病院へ即隔離。個室に入れられ、

母子とも病室から出てはいけないこの時が辛かった。どうやって凌いだのか・・・

 

↓ 庭のゆすらうめ

 

今年は不作。サクランボのような味。

 

 

夏日と天気予報は流し、外を歩くと半袖が目に付く。特に観光客は男女とも年齢を問わず半袖が多い。

 

夫は午前中は肌寒いというので、きょうは温かい日本蕎麦。120g入れたら多すぎたよう😅

 

小松菜の根元を片隅に植えたら育ってきた。

今は菜の花が咲き出した。黄色の花は春の色。

 

今年度は私が80歳になる。

「根気が無くなったわ」

「そりゃそうだ。お前の婚期はとっくに終わった」

 

そうかいそうかい、と思うけれど、一緒に近所の図書館へ行くと、夫は2時間は6紙を読んでいる。

私は無理。新聞記事はいいニュースが少ないし、自宅で購読しただけで充分。

公園ならいいけれど、爺ちゃんは公園は苦手。

 

ラジオとテレビは戦争の報じ方が異なる。

より深いのがラジオ。テレビではこういう解説は聴いたことがない。

世界の政治の報道は、ラジオから流れてくると消す。なんだか怖い。

きょうは515事件の日、と耳に届いた。

80年以上前の日本は軍国主義の世界。そのまた100年前は武士がいた世界。

 

変化の速い今は、子育ても大変だろう。孫に接せることがあるのは幸せかもしれない。

人生はほどほどでいい。平均より長生きしたくない。

 

昨日高2の孫が学校帰りに寄った。急だったので冷凍のクリームコロッケを揚げ、残りの鶏肉も唐揚げにした。

大根と白滝とひき肉の煮ものも増やした。

「ご飯にゴマ掛ける?」と聞くと

「大丈夫」という。

若い子たちの大丈夫は、孫たちから察するに「No-」ということが分かってきたので、

「イエスかノーでこたえて」

「いらない」。

 

大丈夫、と言うのはやんわりした断りの言葉に変わってきたような。私の世代はOKの意味だったけれど。

↓ 昨日5/11 朝日夕刊1面の素粒子

 

 

いわゆる先進国と言うのは、経済だけでなく人権も含めて総称されるのではないだろうか?

 

日本国全体のGDPはかつてはアメリカに次いで2位だったそうだが、その後中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、今はインドに抜かれそうらしい。

 

経済にしたって、昔から一人当たりのGDPは高くなく40位とか。産業構造が違うから一概には言えないそうだが。

 

幸福度147か国中61位で、G7では最下位。

健康寿命は高いが、社会的な支え、人生の選択の自由、そして寛容さの評価が低いそうだ。

夫は、「前例がない、と、変化を好まない。将来の変化より過去の継続を重視する。それは新しい方向へ進まない」という。

 

人権ランキングは、「政治的自由度」と「市民自由度」の分野で評価されるそうだが、日本は11位でG7ではまた最下位。

 

報道の自由度は世界で62位。

 

男女平等と言うより、人間としての自由度、が低いことが昨今の皇室典範改正の動きで感じられるのだけれど。

 

私たち国民が問われている・・・

↓ 紀文のスープ餃子

 

 

夫のブランチは50年以上麺類だった。

遅くまでお酒を飲みながら仕事をしていたので、朝は食べないか、または蕎麦だった。

やがてうどんも加わり、パスタ・ラーメンもOKになって行った。

 

若い頃は近所の方から

「お宅のご主人、浅草で立ち食いそばを食べていたわよ。作ってあげないの?」

「地下鉄のジューススタンドで飲んでたわよ」

等々。

 

自由がモットーだから、気分のままに暮らす傾向があったけれど、ご近所の声は気になり、駅そばはやめてもらった。ジュースはずっとやめず、私と一緒でも店主から声をかけられて飲んでいた。

 

二人暮らしは食事も1日2食。夕方は一緒に同じものを頂くが、朝の夫はブランチで変わらず麺類。

 

てんぷら揚げたり長芋をおろしたりするのが面倒になり、この頃は時々オリジナルの手抜きブランチにしてきた。

お餅好きなので、了解を得て、インスタントスープ餃子にお餅と野菜を入れて作ったらまずまずだったらしい。↓

 

 

朝の玉子を入れ忘れた。

 

連休前頃から庭先に虫が出る。

蚊取り線香を玄関脇に出した。

マッチでつけるのがいい感覚。仏壇も朝夕マッチを使うので、マッチを買うのは、100円ショップでの夫の役割。

 

最近、夫の友人、夫の同僚の妻、親戚と、3人が亡くなった。私が参列したのは親戚。

3人とも長ーい付き合い、。

同僚の妻とは、半年前位か、電話で話をしたばかり。病気をお持ちだったけれどお元気だった、、。

声に張りがあって明晰だった、。

年の近い人の旅立ちは、堪える。

 

 

録画したクイーンをみた。

当時の映像も挿入されて、ダイアナ元妃が亡くなった時を思い出す。

主人公の女優はエリザベス女王によく似ていた。

ブレア首相の時のことだったのね。

 

 

そんな時、↓の動画に出会った。

アメリカ建国250年の記念に訪米したチャールズイギリス国王の、米議会での演説。

 

 

ユーモアと諧謔を混ぜて、現代の世界を語っていた。

深い見識を感じさせる。

西洋社会の民主主義の発展を、私たち日本人も学びたい。日本の皇室の窮屈さを思うと、天皇ご一家に応援するばかり。

 

夫は、「男系にこだわる女性初の日本首相の狭量さを、我々はわからないのか。政府が選んだ識者(?)たちで天皇制を論じる異常さが、いびつなことだとわからないのか。

首相はタレントになったような笑顔を振りまいて、目くらましをしている。日本人はそれがわからないのか」

 

と私を前に演説している。

私はペンライトでも振ろう😉😅😁

 

「きょうから5月かぁ・・・」

「なんかやってもさっき(さつき)のこと」

「お前がいると殺気(さっき)を感じる」

 

寒い今朝、茶の間は17℃。

カーディガンを羽織ったが暖房をつけたい。ガスファンヒーターは仕舞ってしまった。

ひとりで朝ごはんを食べていると、夫が起きてきて↑の言葉を口にする。朝ドラを見ているのだから邪魔をしないで。

 

毎日ダジャレを連発する頭の動きに感心。もっと口にしていたが私の頭が追い付かない。

 

3男の妻の父上が亡くなった。

見舞いに行こうと伝えていた日に亡くなった。

↓ 普段使わない線香立てで、香りのいいお線香を灯した。

 

ガンは人それぞれで展開する。

私と同じ年の方。可愛がられて育った心をずっと保っていた邪気の無い方だった。

いい人生だったのだろうと追悼する。連休終わりくらいに葬儀がある。

 

 

「予報は誤報に当たる」と新聞の天気予報を見ながら夫が言う。病気の先行きも同じ。

「トランプのようなのが出てくると、先が見えない」

「その時の権力者にとっては全てが合っていると思ってる」

 

日本の私たちの日常でも、訳分からない事件が続く。私が暇なのか、それとも昔からそうだったのか。日々を送るのに精いっぱいでリタイアしてみると、こんな社会でよく4人も育ててきたなぁと思うようになった。

 

仕事も楽しかったけれど、なんといっても子育てが一番の思い出。渦中の頃はフーフーいっていたのに、この頃は折々の子どもたちとの遣り取りを思い出すことが増えた。

空を見上げては感謝している。父母と先に逝った娘に。

 

亡くなることは遠い場所に行くようで、実は一番この世に近いような気がする。

歳をもう取らないから、私はいつでも思い出せる。自分の記憶が消えた時が亡くなったことかもしれない。。。