今回、訪れた関ヶ原町には、"マンボ"という横穴式の利水施設がある。
マンボと聞いても、なんのことかまったくわからないし、横穴式の利水施設と言われてもよくわからない。幕末から明治・大正にかけて掘られたというこのマンボ。人力で地下に掘られたこの横穴を利用して、田んぼに水を流す。井戸は縦に掘るけど、マンボは横に掘る。つまりかつて人間はモグラだったのだ。これを作る技術も驚きだけど、それ以上にこの穴を掘るためにどれほどの労働力が費やされたかと考えると、それもまた想像を絶する。実際にマンボの様な穴を見ると、アンディがショーシャンクから脱獄できたのも、ミッションインポッシブルではなかったということが理解出るだろう。そして、地域によってはそのマンボを現在でも利用しているというのがこれまたすごい。
とは言っても、この地域の水の供給が伝統的な方法だけで行われているわけではなく、近代的な(一般的な)利水施設もある。とは言っても、おれはそもそも近代的な利水施設がどうなっているかすら理解していなかったので、。たとえば頭首工と言われても、イメージがわかない。頭首工とは、“河川などから用水路へ必要な灌漑水を取り入れるための施設。一般に、取水堰と取水口から成る(広辞苑)。ただ、実際に見てみると水がどうやって人々に届いているのか、イメージが湧いてくる。
こうやって、今まで見てなかった日常生活の裏側みたいのに触れるのは、実際かなりおもしろい。本来、ダムだの貯水槽だの小中学校の社会科とかで習ってるに違いないが、もうそんなことはこれっぽちも覚えていない。しかし、なんで卑弥呼(そしてその後を継いだのが壹與)とか、大化の改新は覚えているに、自分が飲んでる水のことはすっかり忘れてしまうのはどういうことか。(もしかしたら習ってないのかもしれない)
これは、見るだけではなくその仕組みを解説できる人がいないとおもしろくなくて、おそらくその解説は、たとえば金閣寺の解説をするよりはるかに難しいので、じゃあ来週からこのツアー始めましょう、とはいかない。でも今後エコツーリズムに続いて、ウォーターツーリズムが流行りだしてもいいかもしれない。
田んぼとまんぼ、米と水と地域(コミュニティ)。
こういうことを学んでいると、おれももっとコミュニティの勉強とか、水の勉強とか、農業の勉強をすればよかったと思うことがある。そりゃ大学や大学院で学んだ知識が必ずしもすぐに仕事で役に立つわけではないとはわかっているけど、経営学や経済学よりは農学とか環境学とかを勉強しといた方が関連性はあるなぁ、なんて考えたりした。だけど、突き詰めて考えれば、経済というのはもともと“飯の調達”というところから始まっている。飯を調達する手段が、狩りから農業になって、そうすると、土地の所有や生産物の交換という概念がうまれる。交換のための手段として貨幣が生まれる。
こんなことテキトーなことを言っていると、専門家の方々に怒られるかも知れないけど、でも経済が“飯の調達”というのは、間違いない。そして、飯の調達には水がいる。人間も、人間の飯(肉も魚も植物)も水がなくては、そもそも存在しないのだ。つまり、飯の調達というは、水の確保であって、水(ひいては飯)をどこで確保して、どうやって管理していくかが、経営ということになる。
そして、こういった過程で、(あらゆる面での)技術の革新があり、法律ができたりしていき、経済という概念が生まれたころには、すでに人は土地を所有していて、飯以外のモノも生産していて、交換の手段もあった。なので、その流れを汲んだ現代の社会では、“経済”が飯の調達で水の確保という風には考えにくい(というかここまで極論を言ってしまうと、経済学が社会科学として確立された意味を成さなくなるかもしれない)けど、でも水はまず生物としてのヒトの根源であると同時に、人間の社会の根源でもあるということ。
経営に関していえば、経営学部の学生が大好きな“戦略”というのは、戦争を通じて発展した言葉だけど、そもそもこの戦争は、土地の奪い合い、つまり飯の奪い合い、つまり水の奪い合いということから生じたものということ(もちろん水以外の資源も含む)。
そうやって考えると、水とコミュニティの関わり方というのは、経済や経営以外の何物でもないので、やっぱりほんのさわりであっても経営と経済の勉強をしたのは良かったなぁ。といつものように自分の中で納得したのだった。
(それを言ってしまうと、歴史の勉強した人にとっては、これは歴史以外の何物でもないし、生物学をやった人にとっては生物学以外の何物でもないかもしれないので、結局は何でもいいということ、笑)
そうやって水のことをごちゃごちゃ考えているうちに、おれは更にわけのわからない空想を抱き始めた。
もし宇宙人がいて、こんだけ水に頼ってるヒトや地球の生き物を見たらどう思うんだろうか?
つづく、、、
初めての関西国際空港を降りると、なんともねちねちとした暑さが丸一日の移動で疲れきった体を襲う。
二か月前にハイデラバードを出て、ビシャカパトナムの空港で感じた蒸暑さよりも、更に暑く、そして不快な空気。
なんとも憎たらしい歓迎を受けながら、新大阪に向かう。三年ぶりの日本の夏が始まる。
新大阪についてすぐ、インドカレーを食った。
生粋の南インド人であるインド人のボスと、生粋の南インド人である日本人のボスについて、インドカレー屋に向かう。
生粋の千葉県民であるはずのおれも、もうこの暑さだとカレーしか食いたくないという気に襲われて、日本到着後最初の飯は、満場一致でインドカレーになった。
一日ぶりにちゃんとした飯を食って、明日からのプログラムに備える。
そもそもおれがなんで日本に帰ってきたかというと、おれの働いてる団体設立20周年のお祝いと、それからそれに伴って主催した水資源に関するシンポジウムやワークショップに参加するため。とは言っても、実際おれができることはほとんどないので、勉強する機会をもらってやってきたと言った方が良い。
新大阪から、岐阜の垂井町・関ヶ原町近辺→高山→大阪・兵庫→名古屋と、それに乗継を含めると、行きはハイデラバード、バンコク、関空、帰りは羽田、バンコク、デリーと、まさに
"ここからそこエリアからエリア ここからそこエリアからエリア"
って感じのニッポン上陸だった。
まずは、岐阜の垂井町に向かった。垂井町を拠点とするNPOの協力で、その隣の関ヶ原町に行き、その地域を見て歩く、地域の人の話を聞く。そういうような訓練をした。
その訓練の方法がどうのという話はここではしなけれど、こうして久々に日本の田舎の道を歩いていると、自分の無知さが恥ずかしくなってくる。自分は田舎者のはずで、この町のたんぼの風景は、地元の、もっと言うと父親の実家(東)の周りとほとんど変わらないはずなのに、おれは稲のことも、畑のことも何にも知らない。
思い返してみれば、小学校の頃以来田んぼに行ってないなぁ。お盆にも家に帰らないし、たんぼの手伝いなんてやった試しがない。それが、いまこうしてインドや、日本でも遠くの町にきて、農業だの、水だのを学んでるってのは、親からみればなんとも皮肉な話だと、そんな風に思った。
だけど、きっと外に出ないと気が付かないことがあって、だからおれはこれでいいのかもなぁ。なんて結局のところ自分を擁護した。お盆も帰らないし、田んぼもやらないけど、親が昔から言ってた「かわいい子には旅をさせよ」っていう哲学だけは、見事に守っているから、それでいいのかもしれない。なんて思った。
こんな風に故郷を思うのは、単にたんぼの風景が地元に似ていたからだけでも、お盆に差し掛かって帰らないのに罪悪感を抱いたからでもない。
この風景に合わせて、話を聞いてる地域の人たちはみんな年配の方々で、若者がいないわけではないはずなのに、半日以上歩いた中でほとんど見かけることがなかったこと、それが何よりも故郷を思い出せた。
いるはずなのにいない若者、これが大原(地元)だったら、おれのこと。
別にうちは専業農家ではないから、おれが帰って農業をやらないといけないとか、そういうことではなくて、単純に田舎でずっと育った若者が、知らない間にどっかに行っちゃう。それが日本中、もしかしたら世界中で起きていて、おれはその若者だということ。
こうやって、人がいなくなって、人がいなくなると、仕事もなくなって、それでまた人がいなくなる。すると、その地域の管理をする必要性もだんだんなくなっていく。今回は、水とコミュニティを中心に見ていたから、自然と人との関係のことをいろいろと学んだけど、一方でおれは、大原のことを考えてみて、神社仏閣、つまりいつか祭りがなくなってしまうんじゃないかという懸念が、かなり現実味をまして襲ってきた。そして、それなのにおれは今年も祭りに行かない。
だけど、名古屋にも近くて、近隣にそれなりに大きな都市のあるこの地域や、東京に近い大原はまだ良い方で、きっともっと本当の田舎に行けば、それこそ次の世代の存続が危うい地域だってある。
「別にいいじゃん、都会だけでも。都会は便利だし、"なんでも"あるし」
なんて思う人もいるかもしれない。
おれも昔は早く田舎を抜け出したかったなぁ。
そんなことを考えながら、車通りの少ない、良く舗装された道路を渡り、見慣れたはずの田んぼと、初めて見る"マンボ"というこの地域特有の横穴式の利水施設を見て回った。
つづく、、、
二か月前にハイデラバードを出て、ビシャカパトナムの空港で感じた蒸暑さよりも、更に暑く、そして不快な空気。
なんとも憎たらしい歓迎を受けながら、新大阪に向かう。三年ぶりの日本の夏が始まる。
新大阪についてすぐ、インドカレーを食った。
生粋の南インド人であるインド人のボスと、生粋の南インド人である日本人のボスについて、インドカレー屋に向かう。
生粋の千葉県民であるはずのおれも、もうこの暑さだとカレーしか食いたくないという気に襲われて、日本到着後最初の飯は、満場一致でインドカレーになった。
一日ぶりにちゃんとした飯を食って、明日からのプログラムに備える。
そもそもおれがなんで日本に帰ってきたかというと、おれの働いてる団体設立20周年のお祝いと、それからそれに伴って主催した水資源に関するシンポジウムやワークショップに参加するため。とは言っても、実際おれができることはほとんどないので、勉強する機会をもらってやってきたと言った方が良い。
新大阪から、岐阜の垂井町・関ヶ原町近辺→高山→大阪・兵庫→名古屋と、それに乗継を含めると、行きはハイデラバード、バンコク、関空、帰りは羽田、バンコク、デリーと、まさに
"ここからそこエリアからエリア ここからそこエリアからエリア"
って感じのニッポン上陸だった。
まずは、岐阜の垂井町に向かった。垂井町を拠点とするNPOの協力で、その隣の関ヶ原町に行き、その地域を見て歩く、地域の人の話を聞く。そういうような訓練をした。
その訓練の方法がどうのという話はここではしなけれど、こうして久々に日本の田舎の道を歩いていると、自分の無知さが恥ずかしくなってくる。自分は田舎者のはずで、この町のたんぼの風景は、地元の、もっと言うと父親の実家(東)の周りとほとんど変わらないはずなのに、おれは稲のことも、畑のことも何にも知らない。
思い返してみれば、小学校の頃以来田んぼに行ってないなぁ。お盆にも家に帰らないし、たんぼの手伝いなんてやった試しがない。それが、いまこうしてインドや、日本でも遠くの町にきて、農業だの、水だのを学んでるってのは、親からみればなんとも皮肉な話だと、そんな風に思った。
だけど、きっと外に出ないと気が付かないことがあって、だからおれはこれでいいのかもなぁ。なんて結局のところ自分を擁護した。お盆も帰らないし、田んぼもやらないけど、親が昔から言ってた「かわいい子には旅をさせよ」っていう哲学だけは、見事に守っているから、それでいいのかもしれない。なんて思った。
こんな風に故郷を思うのは、単にたんぼの風景が地元に似ていたからだけでも、お盆に差し掛かって帰らないのに罪悪感を抱いたからでもない。
この風景に合わせて、話を聞いてる地域の人たちはみんな年配の方々で、若者がいないわけではないはずなのに、半日以上歩いた中でほとんど見かけることがなかったこと、それが何よりも故郷を思い出せた。
いるはずなのにいない若者、これが大原(地元)だったら、おれのこと。
別にうちは専業農家ではないから、おれが帰って農業をやらないといけないとか、そういうことではなくて、単純に田舎でずっと育った若者が、知らない間にどっかに行っちゃう。それが日本中、もしかしたら世界中で起きていて、おれはその若者だということ。
こうやって、人がいなくなって、人がいなくなると、仕事もなくなって、それでまた人がいなくなる。すると、その地域の管理をする必要性もだんだんなくなっていく。今回は、水とコミュニティを中心に見ていたから、自然と人との関係のことをいろいろと学んだけど、一方でおれは、大原のことを考えてみて、神社仏閣、つまりいつか祭りがなくなってしまうんじゃないかという懸念が、かなり現実味をまして襲ってきた。そして、それなのにおれは今年も祭りに行かない。
だけど、名古屋にも近くて、近隣にそれなりに大きな都市のあるこの地域や、東京に近い大原はまだ良い方で、きっともっと本当の田舎に行けば、それこそ次の世代の存続が危うい地域だってある。
「別にいいじゃん、都会だけでも。都会は便利だし、"なんでも"あるし」
なんて思う人もいるかもしれない。
おれも昔は早く田舎を抜け出したかったなぁ。
そんなことを考えながら、車通りの少ない、良く舗装された道路を渡り、見慣れたはずの田んぼと、初めて見る"マンボ"というこの地域特有の横穴式の利水施設を見て回った。
つづく、、、
今回はちょっとインドから離れて仕事の話。
ハイデラバード大学の試験が終わってすぐNGO(日本ではNPOというカテゴリ)で働き初めて、2カ月。まぁ、2カ月しか経ってないので偉そうなことは言えないんだけど、働き始めた頃なにを思ってたかってのを記しておくのは悪いことじゃないと思う。
NPOっていうのは多くの人にとって未知の存在というか、なんだかよくわかんない団体って思われているんだと、けっこう実感する。あとは、「特に興味がない」って人も多いと思う。まぁ、そんなこと言ったら、おれもインドに来る前にNGOとかNPOとか言われても、特に反応を示さなかっただろうし、知っていてもそういう団体で働くというのは、あんまり想像していなかった。
何にせよ、このいわゆる第三セクターというのは、民間企業や政府機関と同じように社会のすごく重要な一角だと思う。
そう思ってはいるものの、やっぱり自分の周りの人からの反応が薄いと、やっぱりちょっと寂しい。
まぁ、やりたいことをやってお金をもらってるのに、人からの反応も求めるなんてのは贅沢かもしれない。だけど、逆にやりたいことをやってるからこそ、人に話したくなるって部分もある。
話はさかのぼって学部生時代の就職活動のころ。おれはOB訪問を一度もしてないし、自分の就活の失敗談については話せても、それを聞きにくる人はいない (けど実は就活の失敗談を聞くのは成功した話以上に重要だと思う)。やっと内定をもらったけど、内定先の企業名を言うと、誰も聞いたことがないんでちょっと気まずい雰囲気になるという、わかる人にはわかるあの感じ。笑
あんまり人には言わないけど、やっぱりその時期、就活で"成功"した人がうらやましいって思うことはあった。
別に特定の企業とか業界に入ってる人がうらやましいわけじゃなくて、
単純に、就活を通して、人と話す機会があっていーなー。って思ってた。
就活の話になると、なかには就活の武勇伝を自慢したいだけの人もいるけど、たぶん大半の人はそうじゃなくて、ほんきで後輩やときには友人の話を聞いてあげたり、アドバイスをしてあげているんだと思う。そんで、そういうのが、同じ志をもった人とつながるチャンスになったりもする。
まぁ、おれは先輩面するのが結構好きな人間なので、きっと人に何か聞かれたらものすごい真剣になって答えていただろうけど、そういう機会はなかった。
やっぱり人間、誰かに頼られたりすると、悪い気はしないと思う。だから、おれもインドの話とか、留学の話を聞かれると、つい夢中になってうざいほど喋ってしまうことはある。
それで、3年後の今回、おれは運よく、というかすべて運で、就活が"成功"した。
だけど、現実として、"インド"というのを除けば、周りの反応は3年前と全く変わらない。それどころか、おれはまだ就職ではなくボランティアをしていると思っている人もいる。
おれはせっかく就活が"成功"したのに、それについて聞いてくる人はほとんどいないという、まぁ、またしてもなんだか寂しい状況になった。もちろん、インドについて聞いてくれる人は少なからずいるし、留学について聞いてくれる人もいる。だけど、NPOやNGOで働くこととか、いわゆる国際協力業界への就職について同世代の人から何か聞かれることは、まったくない。
ちょうど就職が決まったころ、最近NPOへ就職を希望する学生が増え始めているというニュースをヤフーニュースか何かで見た。そのとき、おれは、友達の中でいち早くターンテーブルを買ったときとちょっと似た気分になった。(というか他に買ったやついねーか、笑)
「この現象は、おれが良いと思ったものに時代がついてきているパターンだな。」
おれは、とんだ勘違いクソ野郎だった。
就職先の話はおろか、そもそもNPO・NGOで働くことを就職じゃないと思っている人もいる。
正直、仕事なんてのは自分の価値観に基づくものだから、別にそれで認められたいとか、NPO就職の人気が出てほしいとか、そういうことを思ってるわけじゃない。そういうことじゃなくて、価値観とか、やりたいこととか、そういう話を共有できる人が少ないのが、少し寂しかった。
そしたら、最近、インドで会ったアメリカの友人たちから、
「おれもインドでお前のNGOがやってるような仕事したいんだけど、VISAはどうなるの?インドで活動してるNGOってどうやって探したの?」
とか、
「将来、難民にかかわるNGOで働きたいんだけど、そのまま大学院に行こうか、一度就職してから院に行くか迷ってるんだ。」
とか、
「おれもダラムサラーのNGOで働きはじめたぞ」
とか、そういう連絡がきた(しかも全員男)。
単純にうれしかった。
自分が良いと思ってるものと、他の人が良いと思ってるものが違うのはあたりまえ。ただ、自分が良いと思ってるものに、周りが無関心だとやっぱりさみしい。
だけど、世界は狭いようで広くて、広いようで狭くて、どこかで
「いいね!!」
と言ってくれる人がいる。きっと、それがどこの人間かは関係ないんだと思う。
そんなことを思ってたら、ずーっと昔からのある大切な友人が
「やりたい事の道なんて皆違うんだし無数にある分岐点でその道を選んだんだからそれはそれでいんだよ!批判っぽい考えの人もいっかも知んないけど、その道をちゃんと見てくれる人に認められて誇りに思えるように歩けば答えが出てくるよ」
なんて言ってくれたのを思い出した。
“もともと地上に道はない、歩く人が多くなればそれが道となるのだ”
おれが選んだ道が、国道じゃなくて、あぜ道だっただけ。
時々これって、道なのかな?って思うけど、立派な道で、必要な道。
それに、必ずいるんだよね。隣の田んぼのあぜ道を歩いてる人が。
【注意】
まったくいないと書いたものの、ほんとは仕事のこと聞いてくれる人はちょっといます。あと、がんばれと言ってくれる人もいます。そんなみなさんにほんとに感謝。
ハイデラバード大学の試験が終わってすぐNGO(日本ではNPOというカテゴリ)で働き初めて、2カ月。まぁ、2カ月しか経ってないので偉そうなことは言えないんだけど、働き始めた頃なにを思ってたかってのを記しておくのは悪いことじゃないと思う。
NPOっていうのは多くの人にとって未知の存在というか、なんだかよくわかんない団体って思われているんだと、けっこう実感する。あとは、「特に興味がない」って人も多いと思う。まぁ、そんなこと言ったら、おれもインドに来る前にNGOとかNPOとか言われても、特に反応を示さなかっただろうし、知っていてもそういう団体で働くというのは、あんまり想像していなかった。
何にせよ、このいわゆる第三セクターというのは、民間企業や政府機関と同じように社会のすごく重要な一角だと思う。
そう思ってはいるものの、やっぱり自分の周りの人からの反応が薄いと、やっぱりちょっと寂しい。
まぁ、やりたいことをやってお金をもらってるのに、人からの反応も求めるなんてのは贅沢かもしれない。だけど、逆にやりたいことをやってるからこそ、人に話したくなるって部分もある。
話はさかのぼって学部生時代の就職活動のころ。おれはOB訪問を一度もしてないし、自分の就活の失敗談については話せても、それを聞きにくる人はいない (けど実は就活の失敗談を聞くのは成功した話以上に重要だと思う)。やっと内定をもらったけど、内定先の企業名を言うと、誰も聞いたことがないんでちょっと気まずい雰囲気になるという、わかる人にはわかるあの感じ。笑
あんまり人には言わないけど、やっぱりその時期、就活で"成功"した人がうらやましいって思うことはあった。
別に特定の企業とか業界に入ってる人がうらやましいわけじゃなくて、
単純に、就活を通して、人と話す機会があっていーなー。って思ってた。
就活の話になると、なかには就活の武勇伝を自慢したいだけの人もいるけど、たぶん大半の人はそうじゃなくて、ほんきで後輩やときには友人の話を聞いてあげたり、アドバイスをしてあげているんだと思う。そんで、そういうのが、同じ志をもった人とつながるチャンスになったりもする。
まぁ、おれは先輩面するのが結構好きな人間なので、きっと人に何か聞かれたらものすごい真剣になって答えていただろうけど、そういう機会はなかった。
やっぱり人間、誰かに頼られたりすると、悪い気はしないと思う。だから、おれもインドの話とか、留学の話を聞かれると、つい夢中になってうざいほど喋ってしまうことはある。
それで、3年後の今回、おれは運よく、というかすべて運で、就活が"成功"した。
だけど、現実として、"インド"というのを除けば、周りの反応は3年前と全く変わらない。それどころか、おれはまだ就職ではなくボランティアをしていると思っている人もいる。
おれはせっかく就活が"成功"したのに、それについて聞いてくる人はほとんどいないという、まぁ、またしてもなんだか寂しい状況になった。もちろん、インドについて聞いてくれる人は少なからずいるし、留学について聞いてくれる人もいる。だけど、NPOやNGOで働くこととか、いわゆる国際協力業界への就職について同世代の人から何か聞かれることは、まったくない。
ちょうど就職が決まったころ、最近NPOへ就職を希望する学生が増え始めているというニュースをヤフーニュースか何かで見た。そのとき、おれは、友達の中でいち早くターンテーブルを買ったときとちょっと似た気分になった。(というか他に買ったやついねーか、笑)
「この現象は、おれが良いと思ったものに時代がついてきているパターンだな。」
おれは、とんだ勘違いクソ野郎だった。
就職先の話はおろか、そもそもNPO・NGOで働くことを就職じゃないと思っている人もいる。
正直、仕事なんてのは自分の価値観に基づくものだから、別にそれで認められたいとか、NPO就職の人気が出てほしいとか、そういうことを思ってるわけじゃない。そういうことじゃなくて、価値観とか、やりたいこととか、そういう話を共有できる人が少ないのが、少し寂しかった。
そしたら、最近、インドで会ったアメリカの友人たちから、
「おれもインドでお前のNGOがやってるような仕事したいんだけど、VISAはどうなるの?インドで活動してるNGOってどうやって探したの?」
とか、
「将来、難民にかかわるNGOで働きたいんだけど、そのまま大学院に行こうか、一度就職してから院に行くか迷ってるんだ。」
とか、
「おれもダラムサラーのNGOで働きはじめたぞ」
とか、そういう連絡がきた(しかも全員男)。
単純にうれしかった。
自分が良いと思ってるものと、他の人が良いと思ってるものが違うのはあたりまえ。ただ、自分が良いと思ってるものに、周りが無関心だとやっぱりさみしい。
だけど、世界は狭いようで広くて、広いようで狭くて、どこかで
「いいね!!」
と言ってくれる人がいる。きっと、それがどこの人間かは関係ないんだと思う。
そんなことを思ってたら、ずーっと昔からのある大切な友人が
「やりたい事の道なんて皆違うんだし無数にある分岐点でその道を選んだんだからそれはそれでいんだよ!批判っぽい考えの人もいっかも知んないけど、その道をちゃんと見てくれる人に認められて誇りに思えるように歩けば答えが出てくるよ」
なんて言ってくれたのを思い出した。
“もともと地上に道はない、歩く人が多くなればそれが道となるのだ”
おれが選んだ道が、国道じゃなくて、あぜ道だっただけ。
時々これって、道なのかな?って思うけど、立派な道で、必要な道。
それに、必ずいるんだよね。隣の田んぼのあぜ道を歩いてる人が。
【注意】
まったくいないと書いたものの、ほんとは仕事のこと聞いてくれる人はちょっといます。あと、がんばれと言ってくれる人もいます。そんなみなさんにほんとに感謝。