プチ旅行 (備中高松城) | JK3QBU と ILZ

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オキナインコ と アマチュア無線のアンテナ製作

以前から青春18切符の残りを使ってどこかへ行こうと思っていました。
しかし息子が、「泊りがけで大阪へ行くから残りの切符をくれ。」
というのであげてしまいました。
イロイロとお世話になっているので辛いとこです。
 
2日、起きて無線のNew Year Partyを少しだけやってごそごそしてたら嫁さんが「どこか行くよったんちゃうん?」
というので「切符が無いよなった。」
てなことを言っていたのですが、ネットでゴソゴソと時間表を調べるとまだいける。
 
「まだ間に合うで行ってくるわ。」
 
ということで急遽出かけることにしました。
 
行き先は 備中高松
 
秀吉が水攻めを行い、信長の死を知って 中国の大返しを行なった場所です。
どれくらいの規模の水攻めをしたのか前々から気にはなっていました。
 
青春18切符だと使えないのですが、普通乗車券を買ったので岡山までは新幹線で行きました。
新幹線に乗るのも久しぶりです。
まして西行きなんて十数年乗っていないでしょう。
イメージ 1わ~新幹線 まるで子供です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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新幹線見て喜んでいるわけですから、どれがなんという車体かワカランのですが、右と左では連結部分の蛇腹が違います。
多分左の方が新しいんでしょうね。
在来線ではただつなぎっぱなしなんでしょうが、ダンパーを介してつながっています。
変なところで色々感心したりして。
イメージ 16岡山駅構内で食べたかき揚げウドン。
見事に冷凍麺でした。
味がうすい。
 
美味しくいただきました。
 
 
 
 
 
 
イメージ 17今から乗る吉備線です。
姫新線といっしょでローカル線。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 18備中高松までの往復乗車券。
新宮で買うと、2回の乗車とカウントされるんです。
帰りを備中高松で買うと、帰りに姫新線の乗車のカウントに為らないらしいのです。
そのため姫新線の乗車率を上げるため往復での購入です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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備中高松につきました。
駅員さんに大雑把な場所を聞いていざ出発です。
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大きな鳥居でお分かりかと思うのですが、高松最上稲荷があるところなんです。
駅で降りる人も殆どがお稲荷さん行きです。
 
お城跡へ行く人なんて誰もいません。
 
 
 
イメージ 22車で行くことも考えたのですが、酒を多分飲むだろうし、電車で行って正解です。
ズ~っと渋滞はしているし、一方通行の規制はしているしで車だと困ってしまったでしょう。
 
それに地元の高校生らしき子供に写真を見せて聞いたら「知らん、行ったことない」 
イメージ 3そんな馬鹿な・・
後で分かったんですが200mも離れてません。
今度は40台の奥様にお聞きしました。
「そっちへ行くから付いてきて」
言葉を信じてついて行ったら
「ゴメン、こっちと違う。」
地元でも有名じゃないのかな。
 
全国的に有名やけど。
 
取りあえず、清水宗治の墓
ここで自刃されたようです。
 
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清水宗治はせき止められた水上で自刃されたそうです。
その場所から周りを写してみました。
平坦な田んぼが続きます。
この辺みんな水浸しだったんですね。イメージ 6
城址公園へ行ってみました。
この時代の城蹟ですから石垣があるのでもなく(土盛りだけだろう)城蹟を感じさせるものはありません。
 
ただ、公園として整備したら、勝手に蓮が生えてきたとのこと。
お城があった時代のものが生えてきたんでしょう。
そういえば大賀ハス と言う2000年
 
イメージ 7以上も前の縄文時代のハスが芽を出したことも有りましたね。
ハスは強いのかな。
 
ハスが生えていたぐらいですから、このへんは沼地だったんでしょうね。
 
沼地なら、そりゃ攻めにくかったでしょう。
ですからこの辺んも水浸し。
 
イメージ 8けど水攻めなんてよく考えついたと思います。
 
水を取り入れた場所があるらしいのですが、ひと駅先になるので根性がなくて止め。
 
足守川から水を引いたので、駅の名も足守駅。
時間があったら行ってみたかった。
 
イメージ 9これが現存している堤防跡。
(蛙ケ鼻築堤跡)
 
この場所は80台のオバアサンに聞いたら丁寧に的確に教えてくださいました。
 
 
 
 
 
イメージ 10築堤跡に登ってみました。
当然当時は木などは生えていません。
結構大きいですよ。
この大きさのものをやく4km、2週間で作っているのですからすごいものです。
 
全て人力ですから。
 
 
イメージ 12これは堤の基礎部分。
俵のあとが残っているそうです。
 
今と同様、俵に土を入れて土嚢として積んでいったんでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13ここからお城までは1km位あります。
レベルはどうやって測ったんでしょうね。
 
昔の人はすごいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 14この山は、今あった築堤跡の背後の山です。
 
ここから秀吉は清水宗治の自刃を見ていたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 15帰りは在来線で、姫路までの距離を実感しながら帰りました。
 
約80km
 
中国大返しでは、この距離を1日あまりで姫路城まで帰っています。
 
いくら手ブラで帰ったといっても草鞋で舗装もしていない道を行くんですから驚異です。
 
デ 姫路駅で美味くもないんですがついつい買ってしまう駅そばです。
はじめて 「肉天えきそば」 なるものを食ってみました。
 
味の評価はやめときます。 400円でした。
 
はたから見たら、しょうもないお城跡見学でしたが、本人にしたら非常に面白かったです。
歩きながら、ウイスキーをグビッと飲んでいたらお稲荷さんへ行く車中の人からは「変なおっさん」 という目で見られましたけどね。
 
今度は小谷城か高天神城へ行ってみたいと思う次第です。
 
城マニアでは無いですよ。