はじかれる前兆 | 介護の誤解

介護の誤解

いま苦しんでおられる介護者のために

このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです

思いつくままに書いており時系列順ではありません

あらかじめご了承ください

 

「家族のなかで孤立しているな」

 

義父と顔を合わせて

かなり早い時期に感じました

 

 

 

子供は長女と次女

つまり

女性3名のなかで

たった一人の男性です

 

 

 

輪の中に入れないというよりは

最初から存在を消されていたように

思われました

 

会話が成立していないのです

 

 

それだけに

娘婿は大歓迎でした

 

 

 

よく話をしました

 

けれど

そういった時は二人きり

 

酒を酌み交わしながら

あれこれ話していましたが

 

他の家族

つまり女性軍は

他の部屋で盛り上がっていました

 

 

家族のなかで

何か物を言う時にも

あれこれと頭のなかを整理してから

話していたような気がします

 

 

 

義母が

想いついたことをそのまま言葉にするのとは

かなりの違いがありました

 

 

 

その延長線上に

介護があったような気がします

 

 

 

要介護認定の申請をして

調査員から

「今までの日常について

レポートを書いて頂けませんか」

依頼があって

書き上げた内容を

事前に妹に送った時のこと

 

ちゃぶ台返しをしたり

茶碗を投げたりしたことも

書いたらどう?」

 

そういった申し出を受けましたが

 

「現場を見たのか?」

そう問いかけると

見ていないと言います

 

「だってお母さんが

そう言ってたから・・・」

 

 

 

そもそも家の中には

ひっくり返せるようなちゃぶ台など

ありません

 

 

しかも

「普段食事をしているのは

テーブルじゃなかった?」

 

この問いかけに

妹は沈黙していました

 

 

 

義母が創った話です

おそらく

 

 

 

このように

義母の発言は

疑いもなく受け入れる

 

義父の言うことは怪しい

 

こういった流れが

できていたようなのです

 

 

 

流れを創ったのも

義母だったのでしょう

 

 

 

「バチが当たったのかな」

大腿骨を骨折して入院した時の

義母のつぶやきでした

 

 

 

自分自身は

もう少し用心深く生きたいと

思っています

 

家族だけではなくて

誰からもレッテルを張られないためにも