このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。
思いつくままに書いており時系列順ではありません。
あらかじめご了承ください。
老健に慣れてしまうと
なんとなく受け身で
毎日を過ごすようになります。
起床から朝食と
時間は決められています。
それが終わると脳トレ
あるいは
紙細工などでの作業。
その後に昼食。
食堂でテレビを観たりしながら
座ったまま過ごす。
あるいは自室に戻って
昼寝する。
何も困ることはありません。
そのうちに
一日が終わります。
義母を訪ねても
そうそう話題がある訳ではない。
「昨日はどうだった?」
訊ねても毎日が同じような日々。
余程変わったことが無い限り
想い出すことはありません。
そのうちに
質問にも答えなくなりました。
甘いものが大好きでしたが
差入れは認められません。
気をつけなければならないのは
見舞う我々も習慣化してしまうこと。
毎日同じように過ごすようになると
危険です。
何か社会と接点を持たなければ
なりません。
大袈裟に捉えなくても良い。
体操教室や
それこそ合唱活動を
続けていれば良いのです。
しかし
老健入所者は個人活動が難しい。
しだいに物欲も薄れていきます。
食べるものは駄目。
着るものも同じような物。
しかし
そうしたなかで
「ベッドに吊るす時計が欲しい」
変なことを言い出します。
置き時計はベッドのすぐわきの
机の上にあります。
「夜中に目を覚ました時に
見たいから」
そして
同室の住民が持っている時計が
欲しいと言います。
「同じ時計を買ってきて」
そんなものがあったとしても
夜中暗いなかで
見ることはできません。
でも理屈ではなく
「欲しい」と言うのです。
他人の持っているものが欲しい。
子供でもよくあることです。
たいした金額でもありません。
ただ探すのはけっこう面倒。
苦労して見つけました。
浴室で使う防水時計です。
防水である必要はありませんが
ベッドに吊るせるのは
これしか見当たりません。
アマゾンで購入し
持っていくと
無邪気に喜んでくれました。
今ですとこれがお勧めか。
「欲しい」と言ったのは
たしかこれだけです。
社会的欲求もなく
物欲も薄れてくると
徐々に
何を言っているのか
分からなくなってきます。
それでも
老健以外に「場所」を
見つけることができませんでした。