社会との繋がりで親を観る眼 | 介護の誤解

介護の誤解

いま苦しんでおられる介護者のために

このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。

思いつくままに書いており時系列順ではありません。

あらかじめご了承ください。

 

少し面倒なタイトルです。

 

義母以外

「待ったなし」の状態で

介護に突入しました。

 

実父は介護する間もなく他界。

 

実母は脳内出血で入院後に

医療機関で介護。

 

義父は以前から述べているとおり

投薬ミスによる副作用で暴れ

強制的に入院し特養に転院。

 

つまり

介護について検討する期間

ありませんでした。

 

 

ただ

義母も一緒くたにして

捉えていたような気がしています。

 

義父の介護と重なっていたので

要介護度

つまりQOLなどについて

検討することが

十分になされていたとは言えません

 

 

考えてみれば

義父と義母の両方を看ることなど

不可能だったということです。

 

今にして思えば

問答無用に義理の妹

義母の介護者にするべきでした。

 

介護に向けられる体力を考えるのは

被介護者にとっても大切なこと。

 

ただ実の娘が

親を客観的にみられるのかという

疑問は残りますが。

 

 

具体的には

親が社会生活

ちゃんと行っているのか

 

つまり

社会と問題なく繋がっているのか

みなければなりません。

 

手っ取り早く言うと

近所づきあいです。

 

 

後で分かったことですが

ゴミ出しやちょっとした買い物

それに杖の修理なども

正面のお宅に頼んでいたのです。

 

普通の「つきあい」ではなく

まるで家族のように扱っていた。

 

つまり「ご近所」と「家族」の違い

曖昧になっていたということです。

 

 

気づいてからは

実家への訪問頻度を上げるよう

心がけました。

 

しかし自ずから限界があります。

この「限界」について

妹に話しておくべきでした。

 

 

 

くれぐれも

お一人で抱え込まないよう

ご注意下さい。