このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです
思いつくままに書いており時系列順ではありません
あらかじめご了承ください
「理解」とは
前向きの言葉のようですが・・・
今回は
「わかっているようで
実は何も分かっていない状態なのに
相手を『理解』しているとの思い込み」の
意味で使っています
とくに子育てなど
共通の仕事が終了した夫婦に
目立つような気がします
片方や双方が
現役で仕事をしていた時期は
顔を合わせる時間が今より短い
相手の行動が
すべて見えている訳ではありません
ところが
定年を迎えて
家庭に居る時間が長くなると
互いに
相手の行動が見えてきます
お互いに
何かの教室に通っている時間は
なんとなく
見えているような気がします
ところが
自分に経験が無い活動
各種教室のようなイメージがない行動
これらについては
案外批判的になって来るようです
ボランティア活動などで
社会参加するようになると
行動そのものの価値が
気になり始めます
具体例を示しますと
夫が
家庭菜園から飛び出して
休耕地を借りて
野菜栽培などを始めたとしましょう
義父がそうでした
毎日毎日
畑に出るようになる
健康的ですし
定年後に畑仕事をする男性は
案外多いものです
しかし
「野菜なんて
買って来れば良いじゃない」
しかも収穫量は
夫婦二人では消化しきれません
子供や近所に分けないと
無駄になってしまう
義母には義父のやっていることが
「意味の無い行動」に見えます
しかも素人が
良い年をして畑仕事なんて
みっともない
そして
義母は義父の了解を得ずに
畑を持ち主に返してしまいました
義母は
義父を真っ当な方向に導いたと
思っていたようです
畑仕事を
「無駄な行動」だと
義父に理解させようとした
ここまで
具体的に手を下さなくても
例えば子供食堂の手伝い一つとっても
「行政がなんとかすべき問題なのに
無駄な手出しをしている」
こうなってしまうわけです
これは
「理解」ではなくて
無意識に相手を支配しようと
しているのではないか
ですから
こうなってしまうと
説得するのは難しくなります
相手は単に
支配しようとしているだけですから
こんな場合は
無理に理解させようとせずに
やりたいことに専念すべき
「あんただって
好きなことをしたいから
教室に通っているんでしょ
自分もやりたいことをしたいので
ここはお互い干渉しないように
した方がよいのでは」
これで
関係が悪化することは
まず
ないと考えますが如何?
もちろん
外食などで
共通の時間を持つことは大切です





