「愛と誓ひ」は、何度も上映された | 「日韓次世代映画祭」「下川正晴研究室」「大分まちなかTV」ブログ

「日韓次世代映画祭」「下川正晴研究室」「大分まちなかTV」ブログ

下川正晴(大分県立芸術文化短大教授、shimokawa502@gmail.com 携帯電話090-9796-1720、元毎日新聞論説委員、ソウル支局長)。日韓次世代映画祭は2008年開始。「大分まちなかTV」は、学生と商店街のコラボ放送局です。

第3回日韓次世代交流映画祭映画「愛と誓ひ」(1945)は、終戦直前に作られた映画だけに、謎の多い作品です。

第3回日韓次世代交流映画祭その一つが、いつクランクインし、いつ封切られたかという点。ここでは2つの記述を紹介しておきます。

いずれも韓国で出版された研究書(ハングル)からの引用です。

第3回日韓次世代交流映画祭「投射する帝国 投影する植民地」(金麗実著、図書出版「サミン」、2006年12月)。

1941年から45年までの韓国映画史を探求したもので、著者は出版当時は「京都大学人文科学研究所研究員」とあります。

第3回日韓次世代交流映画祭この本の326ページから336ページにかけて、「愛と誓ひ」に関する言及が見られます。

第3回日韓次世代交流映画祭その冒頭に、<「愛と誓ひ」は朝映と東宝の合作で1945年5月にクランクインした。日本が敗戦する約3週間前の7月26日に封切られた。朝鮮の青少年に海軍特別攻撃隊(別名・神風特攻隊)を宣伝する目的で作られた」と記述されています。

しかし、この年月日などに関する根拠は明示されていません。

第3回日韓次世代交流映画祭著者の金麗実(キム・ヨンシル)さんは、ソウルの延世大学と京都大学で勉強された女性です。日本の「表象文化論学会」でも何回か研究発表されたことがあるようです。

第3回日韓次世代交流映画祭もう一つは、植民地期の代表的女優2人の名を本のタイトルにした「文芸峰と金信哉 1932~1945」(パク・ヒョンヒ、図書出版「ソニン」、2008年3月)。

第3回日韓次世代交流映画祭この本の178ページの脚注に「愛と誓ひ」の上映に関するデータが紹介されています。

第3回日韓次世代交流映画祭それによると、<「愛と誓ひ」は1945年5月24日から6月1日まで明治座、城宝劇場、京城劇場、大陸劇場(いずれ京城にあった?=下川)で上映された。5月25日の「毎日新聞」(「毎日新報」の誤記か?=下川)の広告を見ると、愛国班(10戸を標準として作られた総動員体制のための基底組織=下川) は入場料の割引を受けた。この作品は、ほかの再封切館ならびに巡回上映で数多く上映された。7月19日からは桃花劇場で上映されたという広告もある。7月26日の記事には「映画大会」の中で「愛と誓ひ」を上映したとある。6月末には黄海道救国民総力道連盟で上映されるなど、多くの場所で再上映された>のだそうです。

パクさんはソウルの檀国大学などを卒業し、出版当時は米国シカゴ大学博士課程に在学中でした。

第3回日韓次世代交流映画祭散見するところ、これが、「愛と誓ひ」の上映に関するもっとも詳しい記述のようです。

第3回日韓次世代交流映画祭封切り時期が、金麗実さんの言う「7月26日」と大きく食い違っていますが、パクさんの記述は当時の新聞広告などにも当たっており、こちらが信ぴょう性は高いかも知れません。「7月26日」説は、ネットで「愛と誓ひ」を検索すると出てくるデータでもあります。

第3回日韓次世代交流映画祭ちなみに、このネット上のデータは映画の題名を「愛の誓ひ」と表記していますが、「の」は「と」の間違いのようです。「愛と誓ひ」のハングル表記「사랑 와 명세」を、よく似た表記の「사랑 의 명세」(愛の誓ひ)と読み間違ったことからくる誤記だと思われます。

第3回日韓次世代交流映画祭「愛の誓い」「愛の誓ひ」と表記している文献は、日韓双方に数多く見られます。3月20日に九州大学大橋キャンパスで行う上映会では、映画画面の表記通りに「愛と誓ひ」に統一しています。

第3回日韓次世代交流映画祭日本<内地>での上映はどうだったのか。これはまだ情報がありません。「7月26日」がそれに該当するのでしょうか?