去るGWの吉日、
非常に晴れ渡ったその日
来春早々に成人式を迎える娘の前撮り写真を
撮りに行った
 
 
前日までに
それまでタンスにしまい込んでいた、母に作ってもらった振袖を出し、樟脳の匂いを飛ばし
着付け小物をあれこれ準備し、
いざ着付け時に支障がないよう私はかなり気が張っていた
 
揃えながら
かれこれ6年も前になるが高校の同級生に着付けを習い、いろんなことを教わっていた時のことを思い出していた
 
 
当時、もう一人の同級生と各々の希望を叶えるため、一緒に2年ほど習いに通った
その時に、必要なものは大体揃えていた
 
あの時があるから
今、こうして慌てることなく
なんとか準備することができている
 
半衿つけもその時教えてもらっていたから
その後改めて自分がやる時、つけ方の動画を見ても理解早く取り組めた
 
今こうして考えると
誘ってくれ、教えてくれた同級生たちには
もう、本当に感謝しかない
 
今はもう接点はなくなって久しいが…
 
(不思議なことだが、私の人生において節目節目で登場した人たちはその時のテーマが完了するとあたかも役目が終わったかのように自然ときれいに消えていってしまうのだ)
 
 
 
 
実は着物は苦手だ
 
なかなか洗濯もできないし、
保管や状態維持に神経使うので
自分には荷が重い代物だ
 
 
いつ着る時が来てもいいように、ハレの日に向けて良い状態を保たねばならぬ責務を背負っている感が強いのだ
 
だから娘に
「私もいつかは(お母さんのように)管理しなきゃなんだよね」
 
と言われた時は正直
(頻繁に使わないものにいつまでも縛られるのはどうなんだろうか…)
と思ったのも事実
 
「着物ってきちんと維持管理するのはかなり神経使うから私の代で終わりにしてもいいよ」
 
思わず口に出た
 
 
 
 
そもそも、
この着物は母が私たち姉妹のため、自分が母にしてもらったようにせめて着物だけは作ってあげたい、と決して頑健な体ではないにもかかわらず慣れないパートの給料をコツコツ貯めて買ってくれた着物だ
(父はそういったことには一切関わろうとしない 見て見ぬふりの人だった)
 
 
母のおかげで私も妹も成人式に晴れて振袖を着ることができたし、妹は友だちの結婚式の披露宴にも着たようだから当初の第一義の目的は果たせた
 
 
 
その後、私たちが結婚し子どもが生まれ、女の子だった暁にはその子が成人になる時着られるようにと、気の遠くなるような長い時間ずっと手入れをし、維持し守ってきてくれた
 
 
母から譲り受けた後、何十年ぶりに着物の包みを開いて広げてみたら全く遜色なく綺麗に保存されていた
 
経年劣化した長襦袢の半衿を替えるだけで良い状態だったのを見て、あの古い箪笥の中、決して保存にはいい環境ではないにもかかわらずここまで全て綺麗に保存されていたとは…
 
母のその心理的な負担はいかほどだったろうか、と考えるともう、ひたすら首を垂れるしかなかった
 
(おそらく母はそんな風には露とも思ってはいないだろう。
が、やはり数年前に私に着物を引き渡した後は肩の荷が降りた感はしたに違いない)
 
 
果たして私は母のようにやり切れるだろうか…
 
不安でしか、ない…
 
 
着物の維持保管は洋服以上に気を使う
 
特に成人式の大振袖のような高価な着物は
なおさらだ
 
ちゃんとするなら定期的に虫干ししたり、除湿剤、樟脳を切らさないとか細々とお世話が必要だからだ 
そういえば、虫干しとか母はまめにやってた
 
 
普段から着物を着る人ならなんのことはない習慣でも普段着ない人間には着物の状態維持自体が心理的な枷だ
 
自分が元気なうちはできる範囲やるつもりだが…
 
この長丁場の管理を娘にまで強いるのは…
 
酷だなあ…と思ってしまうのだ
 
 
 
 
まあ、結論が出ない先のことはあとで考えるにして
まずは目の前の娘の成人式の一連の行事ごとをやり遂げねばならぬ
 
 
 
前撮りは時間に余裕があり、爽やかな春にと決めていた
 
気温上昇を考えると暑さを気にせず狭い部屋で着付けられるのは5月初旬までがギリギリだと読んだ
 
秋口は七五三や受験の証明写真で写真館はごった返すから避けた
 
お願いしたのは娘の中学受験の時からお世話になっている写真館
慣れたところなので不安なくお任せできた
 
 
 
 
ヘアメイクと着付けに1時間ほどかかるというのでその間親は放牧され、予定時刻に戻ってみると
帯締め真っ最中だった
 
私の着物は広げると模様が肩から裾にかけて斜めに走っている柄で、無地な箇所もあり、総柄の着物に比べたら(ちょっと地味かな)と思っていたが、
 
杞憂だった
 
鏡越しに見た娘の姿に息を呑んだ
 

 

 

 
 
あまり私は人前で身内をあからさまに褒めることはしない
 
にも関わらず、思わず
「〇〇ちゃん!めちゃくちゃ綺麗だよー!」
と声が出てしまった
 
いやあ、すごい!
 
そこには品よくお化粧を施され、髪も今風に結われた娘が振袖を見事に着付けてもらい立っていた
 
 
地味かも、と思われた振袖は身体に沿わせると総柄のようにも見え、白く強い光を放ち、娘と一体になって周りを圧倒する迫力を放っていた
パァッと華やかなオーラ全開だった
 
よくよく見ると、広げて無地だったところは体に巻きつけたとき全く見えなくなる場所で、柄は特に要らない箇所だった
 
ところどころの柄の配置は着付けた時に目につくように全部計算された配置だった
 
すごい!と思った
 
母さんが長年お世話してくれた着物が本領発揮した瞬間だった
 
体が震えた
 
「ありがとうございました」
 
ここまで娘と着物それぞれの力を目いっぱい引き出してくれたヘアメイクさん、着付け師さんに
深々と頭を下げずにはおれなかった
 
心底、こちらにお任せしてよかったと思った

私の時とは雲泥の差、大満足な出来だった
 
(なぜなら、私の時は同じ着物なのに体格も太めだったこと、お願いしたヘアメイクは厚化粧気味に仕上がり、かなり残念な出来になってしまい 出来上がった振袖写真を父に笑われ散々だったからだ)
 
撮影が進む中、
 
娘が生まれてからこのかたを思い出していた
 
とにかく 
病気が多かった
 
生まれてすぐに
アトピーを悪化させ、皮膚科にはじまり
太田母斑で形成外科
毎年気管支炎で小児科
歯科で反対咬合の歯並び矯正
耳鼻科、眼科、整形外科…トドメは脳神経外科
 
救急車にも乗った

私のアレルギー体質をきっと引き継いでしまうからと完全母乳にしたため、なかなか体重が増えなかった

ご飯を食べるようになると
なかなか口の中のものが飲み込めず、
毎日夕飯に2時間かかった
途中で切り上げようにも殆ど食べてないからそれもできない

アトピーなので食事制限も厳しかった

普通に子どもがすんなり何事もなく通り過ぎることにいちいち引っかかって乗り越えるのに時間がかかった

とにかく育児の苦労が多かった

正直なんでこんなに困難ばかりなんだろう、と運命を嘆いた
途中で全部放り出したくなったことが何回あっただろう
 

でもこの子は強かった
 
母(私)と一緒に二人三脚でお受験頑張った
中学受験も頑張った
部活も頑張った
お友だちにも恵まれた
 
目の前の、美しく大きくなった娘を見ていたら
万感の思いが込み上げてきた
 
(よく、無事に大きくなってくれた ありがとう)
 
と感謝しかなかった

本当のことを言うと
連日準備やプレッシャーでクタクタで、
子育てはもういいや、と思っていた

朝の瞑想の時にハイヤーセルフから
『今日は楽しめ』
と言われてたのだ

 娘の晴れ姿を見て
私たちを取り巻くあらゆる人たち、ものに
感謝しかなかった

今この瞬間を「楽しむ」というか
心の底から打ち震えるような感情に呑み込まれた

 
 
その時、スタジオにかかるBGMから
omoinotake の「幾億光年」
が流れてきた
 
 
 
我慢していた想いが決壊した




こんなに輝くんだから
振袖、私も頑張ってお世話するからね