JJです。
ブロ友のたかいとさん 。
先日、私と同じ拡張型心筋症と闘っている息子さんの、心臓移植登録が認められた!と記事に書いてらっしゃいました。
その同じ記事で、移植問題について、触れてらっしゃいます。
「移植問題」
なかなかに敷居の高い”問題”です。
私自身は、この”問題”が落ち着くには、日本では、あと100年程度、人で言うと3世代くらい、時間がかかるんじゃないかな・・・と感じています。
以前にも話したかもしれませんが、もっとも身近な「移植」というのは
実は、「輸血」です。
他人の体の一部を、治療のために、体内に入れる。
まさに、「移植」です。
しかし、現在、医療現場ではもちろん、我々日本人の一般的、社会通念的にも、特別なことではないですよね。
一部、宗教上の理由から、輸血を拒否される方もいらっしゃいますが、日本人の大多数が、輸血という行為について、ごく普通の治療のひとつとして、認識していて、大きな”問題”として、感じてはいないと思います。
もちろん、輸血には、感染症というリスクが伴います。それが”問題”としてあるじゃないか!と言われれな、その通りだと思います。
しかし、そのリスクは日本赤十字の統計によると非常に低く、逆に輸血によって得られるメリット(人の命を救うことができる)が、非常に大きいため、いまでは、輸血という治療行為が、ごく普通に行われているということを、以前もっとも身近な移植
という記事でご紹介しました。
http://ameblo.jp/jjtom100/entry-10627341268.html
そんな、私たちにとって、ごく”普通”の輸血も、江戸時代以前の日本では、大問題だったとのこと。
なぜなら、血は、日本人にとって、穢れの象徴だったから・・・。
逆説の日本史の井沢元彦氏によれば、日本の公家(貴族)は、権力争いで戦う時も、自分の手を血で汚したくないとの思いから、自分の代わりに、戦ってくれる集団が生まれ、それが”武士”になったとのこと。
大人気の漫画・ドラマの-JIN-
現在の脳外科医「仁」が、江戸末期にタイムスリップするお話で、毎週日曜日に、ドラマの第2部が、いままさに放送中ですが
原作の中で、江戸時代の患者を救うために、「仁」は、輸血を行うことを提案します。
しかし、江戸時代の人々は、血と聞いただけで、怖れおののきます。
ましてや、高貴な方に輸血をするとなると、なおさらで、
考えられない!といった反応です。
そんな江戸時代の人々を、どう説得して、どう対処するのか?この先は、原作、ドラマでおたのしみいただくとして
言いたかったのは、
そんなに”血”を穢れたものとして感じ、”輸血”を受け入れるのに抵抗のあったはずの日本人が、100数十年たった今では、
ごく普通の治療として、受け入れることができている。
物事の理解、認知は、時間がかかるかもしれないけれど、でも、努力を続けて、命と技術を受け継いでいけば、いずれは、世界が変わる。
ということです。
昔は、擦り傷とかしたら、オキシドールで、殺菌してから、赤チンだったじゃないですか!?
でも、今では、赤チンは水銀を含んでいるからダメ。
オキシドールは、傷口の細胞を壊してしまって、治るのが遅くなるのでダメ。
医療というのは、本当に、当たり前が、よく変わるものです。
でも、だからといって、努力しても無駄というのではありません。
私自身、心臓移植でしか完治しないという病気に罹ってしまった以上、移植”問題”について、学び、そして、他の人にも、感心をもってもらえるように、何か、活動してゆきたいなぁ・・・と思っています。