〇徳を積むとは

 

 

仏陀

「功徳を積むことにおいて、私に勝る者はいないはずだ

私は、多くの功徳を積みたいと思っている

私自身の為ではなく、生きとし生けるものを救いたいがためたのだ」

 

イエス

「最も大切なことは2つ

神への愛 隣人愛」

「より愛するものは、より赦される」

 

 

 

昔、知人で事業に失敗した人がいて

その人は営業手腕もあり

10年かけて、そこそこの会社を築きました

 

儲けがある会社になったので

もう大丈夫だろうと、自分はほとんど遊んでお金が入るようにします

 

 

すると、わずか1~2年で会社が崩れてゆき

あらゆる手を尽くしますが

その後、3年4年と営業不振は続いて

本人も病気にかかるし、社内トラブルも多発します

 

行き詰りが続いたので

いつの間にか、霊能者などの意見も聞くようになって

前世や先祖の徳を使い果たしたと言われてしまいます

 

 

若い頃から努力して成功した事業で

自分が作った会社で稼いだお金で、たった1年半遊んでいただけなのに?

と思ったそうですが

 

しかし

他の霊能者にも、同じことを言われ

「徳を積む」「世のため人のため」と意識するようになり

自分と会社を見つめ直し

その数年後、会社の経営は戻ってゆきます

 

 

振り返ると

当時の自分の周りや、会社の幹部にも

徳を食い尽くすような人が集まっていて

社員もだいぶ苦しむことになっていたようです

 

 

世の中には、前世や先祖の徳で

事業で成功したり政治家になって、悪いまま改善しないで亡くなって堕ちてゆく人も

けっこうありますから


気づいて改善して、立ち直って

より良い会社に出来たのですから

やはり、この人にはいい徳があったのでしょう

 

 

徳には

行いや想いから

才能や、財産や、地位や、仕事などでの成功、顔や身体能力などに現れる

小さな徳があり

先祖や前世で積んで、消費され循環しています

 

しかし与えられたものは

天に、守護霊さん守護神さんに感謝していった方が

より大きな光の巡りに乗れて、良い形で伸びてゆきます

 

 

そして大きな徳は

天に積まれてゆき、無くなりません

光の大きさや、人格、根本的な運命の改善、良い直感や行動などに現れて

良い才能や巡り合わせなどにも影響してゆきます

 

天の本来の光の姿の想いや行いにより

積まれてゆきます

 

 

イエスの「神への愛 隣人愛」というのは

天の本来の姿が顕れやすくなり

大きな徳が積まれてゆきます

 

「神への愛」では分かりにくい場合は

「守護霊さん、守護神さん、ありがとうございます」

といつも感謝していると

分かりやすい容易な形で

天の本来の姿が顕れやすくなります

 

世界の平和、人類の幸福を祈り

日々、生きてゆくのでも

天の心、そのままの大きな光が通りますから

大きな徳が積まれてゆきます


 

仏陀やイエスはとても大きな徳を持ち

まだ悟っていない人の何万倍という光があります

 

深い悟りなので、悟ったばかりの浅い悟りの人の数百倍の光があり

居るだけで、人類と地球を癒し、良い方に軌道修正してゆくような大きな光でした

 

そこまでにならなくても

 

大きな徳を得てゆくほど

個人も人類も

根本的に多くのことが改善されてゆきます

 

 

 

 

 

イエス
『ある男に2人の息子がいた
父は財産を2人に分けた

弟の方は遠い国に旅立ち、財産を遊び使い果たして飢えて過ごした

飢えて過ごす中で、弟は豊かな実家を思い出して

「戻ろう、謝って下働きをしよう」と決めて家に向かった



家はまだ遠かったが、父親は彼を見つけて抱きしめた

弟は「私は天と父に罪を犯した、資格がない」と言った

しかし父親は言った
「祝おうではないか、死んでいた息子が今、生き返ったのだ」


仕事から帰った兄はこの祝い事に腹を立てた
そしてなだめる父親に言った

「私はずっとあなたに支え働いてきた
なのに一度も祝ってもらったことはない
でもあなたの財産を食い潰した弟の為に祝い事をしている」

すると父親は兄に言った
「お前は常に私と共にいる
私の物は全部、お前のものだ

だが、これは祝うべき事だ
お前の弟は死んでいたが生き返った

失っていた息子が見つかったのだ」

これを聞いた兄は父親に謝り、弟を受け入れた』

 

 

 

 

 

○仏陀の弟子の話 光を届ける者


バラモンでカースト制度以下の身分とされていたような貧しい人々のところばかりに
施しを受けに行く弟子がいた

 

お腹を壊しそうなものでも頂きに行く姿に、他の弟子たちも驚いたりした


生きるのも苦しい、いつも残飯を探してはやっと食べる病気で寿命が近い老婆の元に

その弟子は訪れて供養(食べ物)を頼んだ

「食べ物もない病気の自分のところに、なぜ供養を貰いに来るのか
修行者のようだが、この哀れなわしに慈悲をかけるのが普通ではないか」

弟子
「あなたの苦しみを救いに来ました
今、あなたが貧しくても
それでも施しをすることで
あなたはその功徳で救われます
豊かな人生に生まれ変わるでしょう」

老婆
「それはありがたい
しかし…食べ物も服すらない

施したいが、施せるものが何もない、無念じゃ

人にあげられるようなものがない」

弟子
「その布施の心があれば救われます
その心があればもう貧乏ではありません
何でも構いません」

老婆
「あぁ、ありがたい、ありがたい」

老婆は自分のわずかな食べ物を差し出し、弟子は大事に食べた

数日後、この老婆は亡くなり
天女となりこの弟子に光を届けた


そして諸神仏の教えを受けながら天で千年を過ごし
また地上で立派な人として菩薩行をした

 

運命は変わった