〇光の道で悠々と

 

 

人間は困ったもので

善悪の判断も

科学や医学の知識も

追究しすぎると、小さく縮こまってゆきやすくなります

 

しかし

それらが無いほど

他人の迷惑を省みなかったり

常識はずれになっているけど

堂々としていたり、反省できなかったり

無くても困ったことになります

 

 

そこで一番、追究するといいのは

光の道に生きるということです

 

日々、祈りと感謝をしてゆきますと

天の本来の自分に近づいてゆきますから

 

良いところが出やすくなりながら

何事も、良いバランスへと

自然に自然に、軌道修正されてゆきます

 

そういう調整が

自分と世界になされてゆきます

 

 

光に生きながら、いろんなことに向き合いやすくなります

 

うまく、その時代の科学や医学や

善悪の判断とも付き合いながら

 

悠々と光の道を生きやすくなってゆきます

 

 

 

 

 

〇光の心が大切

 

 

仏陀は、神通力の中で

「漏尽通」がもっとも大切な能力であり

ほかの法力は特にいらないといいました

 

漏尽通とは

どんな状況や想いに包まれてしまっても

その霧を晴らし

光の想い、光の心でいられるような力です

 

これさえあれば、他はいいということです

 

日々の祈りと感謝で、開発され伸びてゆく能力です

 

 

例えば

地球上で、これまで

様々な神通力や超能力を得たりして

仙人のようになっている者はけっこういます

自力行の道です

 

しかし、漏尽通ではない能力を鍛えているだけなので

ほとんどは、何千年も悟れずにいたり

道を踏み外す者がいたり

 

朽ち果てたり、仙人の命が終わったりして

守護霊さん守護神さんの導きがある輪廻の輪に戻ることで

ようやく悟りの可能性が出てきたりします

 

 

イエスも弟子たちに

どんな囁きや誘惑があっても耳を貸さずに

ただ祈りを深めることに努めるよう言います


光の恵みのまま、すくすくと生きてゆけます

 

 

 

 

 

〇天の導き

 

 

仏陀の弟子にダイバダッタという者がいました

 

仏陀のいとこで

容姿も立派で、才能もあり

 

仏陀の教えを覚えていて、それを活用して皆に説法をすることも出来ました

法力も使えます

 

 

しかし大きな問題があり

ダイバダッタは悟ること、空になることが出来ませんでした

 

ダイバダッタは

雄弁で、法力も使えて説法も出来るということで

自分が仏陀の教団をもらい受けるのにふさわしいと考え

仏陀の地位を得ようとします

 

 

仏陀とその側近達は

頭と口でいくら法を語ろうとも

自我の想いしかなく

天の心、天の意、天の光に入らないダイバダッタを気を付けてゆきます

ダイバダッタには、チューラパンタカのような真っ直ぐな姿勢がありませんでした

 

 

仏陀への対抗心から教団を荒らし

追放されて能力も居場所も失ったダイバダッタは

ある日、地割れに落ちる瞬間に「南無(神さま)」と言って生涯を終えたと言います

 

そして

この自我のこだわりをすべて捨て、天にすがる想いになったことで

死後、ようやく救いが訪れたと言われています

 

この「ダイバダッタ」の弟の「アナン」は、兄とは違って気弱でしたが

自我にこだわらず、天にすがる思い、仏陀にすがる思いが大きく

これにより、深い信仰になって、のちに最も永劫に輝く仏になると仏陀に言われます

 

 

仏陀によると

ダイバダッタは過去世で、仏陀に霊的な知恵などいろいろ教えた師だった経歴があると言います

 

法力や知識、才覚ある人だったが

人々の師になることで

驕りから何世も悟れずにいて

 

それが今度は

悟った仏陀の弟子になることで

嫉妬も生まれ

反発しつつも今までの業が顕れてゆきました

 

 

仏陀は

この話を例にして

自分の立場や理屈にこだわらず

素直に天の心になろう、天に入ろうと呼びかけ

 

法力の中で

天の流れ、天の光に居る「漏尽通」が重要で

道を踏み外すこともある他の法力は特に必要ないと言います

 

 

 

 

 

〇光の溢れる道

 

 

あなたの心や思考が悪いからこんなことになっている、あなたが変われ

という教えは昔からあって

苦しんだり道を探している人々を単に痛め、縮こませてきました

 

人を痛めるし、その教えを広めている人達でも心や思考のコントロールは簡単には出来ないものです

 

今たまたま、うまくいっている人を驕らせ増長させる考え方でもあり

神人·聖者達が避けてきたやり方です

 

本当の神人·聖者達は

人の世のこと、人の痛みや苦悩がわかっていますから

「あなたの心や思考が悪いから」という教えは避けます

 

 

今のままでいいという教えも昔からあり

これは驕った人は驕ったままだし、苦難にある人達にも意味がありません

 

それで

仏陀やイエスはよく

苦難に直面した人の元に顕れ

祈りや感謝や、善き想い

本来の光の姿で超えさせようとしてゆきました

 

 

苦難というのは

過去世からの流れが、もう終わろうとして出てきているもので

生まれ変われる機会でもあります

夜明けの前が一番暗い、苦難の時こそ運命が最も開ける時でもありますから

そこで天の光を信じるようになることや

光の想いはとても大切になります

 

 

すべてありがとうございます

すべてお願いします

いつもありがとうございます

 

と、いろいろ抱えたままでもいいから、

人事を尽くしつつ

天に投げ出すと

溜まったものや諸々が消えていって

本来の光の自分が顕れやすくなりますから、塗り変わってゆきます

 

無理なく、より天に生きてゆくことになります