〇褒章の尾畠春夫さん「あと50年生きてボランティアを」


2018年8月、山口県周防大島町で3日間行方不明になった2歳男児を発見した時は、男児の祖父から風呂を勧められたが丁重に断った。
今回の受章も「当たり前のことをさせてもらっているだけ」とそっけない。

被災地でのボランティアは04年の新潟県中越地震が皮切りだ。28歳から営んでいた鮮魚店を閉めたばかりだった。貼り紙で知らせると惜しむ声が相次いだ。

「みんなから優しくしてもらった恩をどう返したらいいかと思い、ボランティアをさせてもらっています。ほんの少しの恩返しやけどね」




〇天に生きる人 心貧しき者は幸いなり

心貧しき者は幸いなり
イエスの言葉です

これは、欲しい欲しいという想いではなく
すべて天のお陰、すべて頂いているんだ
自分が良いことをした時も、させて頂いた

苦しい状況でも良い状況でも、とらわれずに天に感謝している
という、へりくだった想いは幸いということです

そういう人は、もう天の扉が開いていますよ
とイエスは言うわけです

空や、老子の損ずるとも重なってきます
この在り方から無限の光の道が開けてゆきます


仏陀、イエスの時代
自分は富や地位もあるから正しい存在なんだ
あるいは、富や地位がないから自分は天から遠いんだ
という思想が蔓延して
人々に光が無くなっていました

そこで、仏陀とイエスはそれらを否定して
本当の謙虚さ、在り方に光があると説いてゆきます




〇光が通る 


昔、あるお寺に行き、祈りますと
お寺の大きな仏像から、たくさんの偽神仏が出て行き祓われ
そして仏像から光が放射されてゆきます

神社でも同じです

そこのお坊さんや神主が
人類を想い、いつも祈り感謝しているところだと
いろんな参拝者の念や黒渦が蓄積せずに
光が通っています

そんな神社仏閣ばかりだったら
日本はもっと光に溢れているわけですが

参拝する人
みんながみんな
世界の平和を祈り、感謝しているだけというわけではないので
いろいろ溜まってゆくから
そこのお坊さんや神主に、祈り心があるかないかは大切になります


人間も同じで
祈りますと
だいたいザーっと黒渦が出ていって
すべてが出終わると、天の姿が顕れた神人になるわけですが

一回では終わらないので
日々、祈って天にありながら地上に生きて
近づいてゆくのがいいでしょう


祈りをして
セキやくしゃみ、あくびが出たりしても
引っかかっていたものが、出て消えていったなと
そのまま続けてゆけばいいです

大病するはずが
光で、風邪を何回かするくらいで済んだり
大ケガが、ちょっとしたケガで済んだり
そういったことで
出終わってゆきます

嫌なこと苦しいことがあったときに
「消して下さっているんだ」
「守護霊さん守護神さんいつもありがとうございます」
と預け任せるほど
光に消えて小さく終わってゆきます


祈りの人は
地上を浄めて生きることになりますから
大変な徳を積むことになります

徳というのは
例えば
その人が輪廻していく上で
同じ仕事、同じ暮らしをしていても
自然に天の光が出ていて
自分が照らされ周りも照らされ、自然によい働きになっているというようになります




〇言は即ち神なり


聖書の言葉ですが
人類の文明は
新しいさまざまなテクノロジー、流行語、商品といった名前や言葉が次々に生み出されて
経済、社会が回っています

「世界が平和でありますように」
「すべての人が幸せでありますように」
という真の神の言霊
祈りをしている人々が
その文明、その時代の言葉を運用してゆくと

そこに天の本来の光、本来の姿が吹き込まれてゆき
その文明の進む方向も
その文明で起きることも
様子がまるっきり変わってゆきます

「世界が平和でありますように」
「すべての人が幸せでありますように」
という天の光の働きが、地上にどんどん現れてくるわけです

そうやって
これまでの地球文明を超えた
本当の宇宙文明が顕れてきます

権力闘争の先にあるのではなく
すべては天の光にあるところから

祈り心のある人々が地上に増えてゆくということが
最も光への変革であり
その人も、光となり、大きな徳を積ませて頂くことになりますね




○仏陀 大切なこと「友を選ぶ」


「こういう人といっしょにいよう」

・自身の内面を見つめ、自身の心の真理から目をそらさない人。
・自分自身の心を見張り、向上しようとしている人こそ、友やパートナーとして親しくすること。
心の澄んだ人といっしょにいること。


「心の改善を目指す友と合ったなら」

 たとえその人の顔が好みでなくとも、
 たとえその人にいわゆる才能がなくとも、
 その人とともに歩むのがいい。
 一緒にいてもなお、
 あくまでもじっと自らの内面を見つめることを忘れないでいられるように。