日蓮正宗福島地方部総会後の布教講演は、

本法寺の新ご住職 原田篤道御尊師によるものでした。

 

講演の趣旨は、

一念さえあれば思いがけないような折伏も可能となる

ということだったと思います。

 

その一例として、

皇族への布教に関するエピソードが紹介されたのです。

今回もしっかり聞き取っていたわけではないので、

誤解や聞き逃しがあったかも知れませんが

まとめてここに紹介したいと思います。

 

この話は、実は私が入信した昭和50年ころにも

一端を聞いたように覚えていますが、

これまたボーッっと聞いていましたので

断片でしかありません。

 

そこはどこかというと、後もに触れますが

東京杉並の高円寺の北条宅でした。

そこが、創価学会の高円寺の拠点になっていたのです。

 

皇族入信までの経緯

さて、入信した皇族という方は貞明皇太后です。
この方は昭和天皇の母であり、大正天皇の后
(当時は貞明皇后)であった方です。
 
皇太后として紹介してましたから、
入信は昭和時代になってからでしょう。
 
発端は、
松平容保の子、恒雄の妻であった松平信子さん
が入信したことに始まります。
 
信子さんは、貞明皇后に仕えて宮廷内で
大きな発言権を持っていたようです。
 
華族の北条ツネ子さんがあるとき、
神田神保町の古本屋街に行き、
とある仏教専門のお店に入り、
「おすすめの仏教書はありますか。」と
店員に尋ねたそうです。
 
その店員は即座に
「正しい仏教をお求めなら日蓮正宗のお寺に
ご案内します。」と答えたそうです。
たまたま法華講員だったわけです。
 
それがきっかけでツネ子さんは入信し、
彼女松平信子さんを折伏し、信子さんが貞明皇后を入信に導いた
というわけです。
 
私が40年以上の前に話を聞いた高円寺の北条家
というのは、ツネ子さんの弟の北条雋八(しゅんぱち)さんの家
でした。そのころは、ご主人がなくなったばかりで、
奥様の克子さんが独りで住まわれていました。
 
克子さんは本当に旧華族の女性という優雅さを備えた女性でした。
私達学会青年部が無遠慮にお邪魔しても常に優しくもてなしてくれました。
 

貞明皇太后に下付された御本尊

本山から、貞明皇太后に常住御本尊とお守り御本尊
が下付されたということです。
 
常住御本尊は、昭和26年に皇太后が亡くなられた後、
お寺(池袋の常在寺?)に返還されたということでした。
守る方(法燈相続する方)がいなければ仕方ないことです。
 
しかし、御守本尊は今の天皇陛下に引き継がれている
ということでした。
 
これってすごいことですね!
どのように「引き継がれているか」などと
質問はしませんでした。
したところで、答えられませんでしょうし。
 
興味深いところです。
 
参考サイト