• 24 Jul
    • 「愚痴」について考える

      このごろ、よく愚痴について考えます。「そんなこと考える暇があったら行動しろ。」ともう一人の私が叱ってますが、その行動が今これを書くことということにします。「愚痴」とは、辞書的には「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。」ですが、これ、意外と分かってない人が多いように思います。というか、正確には、分かっていても言ってしまうのが愚痴なのでしょう。相手の発言に対して、「愚痴を言うのはやめましょう。」とか「愚痴になりますから。」というと、「これは、愚痴ではありません。」などと言われると、何も言えなくなります。言い返すことも、言ったことも私自身の愚痴だったような気がしてきます。芭蕉の俳句ではないが、唇が寒くなってきます。こういうときは黙るに限るのでしょう。さて、そもそも「愚痴」は仏教用語。文字通り「おろか」。語源はシンプルです。現代語では「バカ」「アホ」ということでしょう。愚人と賢人の違いは、物事の本質が見えているかいないか、現在の状況に対し迷いがあるかないか、進むべき先が見通せているかいないかということと思います。自分がかくありたいと望む方向に事態が進まない時、人はまずその原因を考える。その原因を他人に向けて口にすれば、愚痴になり悪口になる。本人はストレス解消するかもしれないが悪業となる。原因を自分に向けて自分を責めて前向きになれないときも、口にすれば愚痴となり、口にしなければ鬱積される。私は、愚痴であるかどうか判断する基準は「前向きであるかどうか」ということと思います。愚痴の人は、当面する問題や人に対して否定的なことのみ口にします。前向きな人は、問題の解決策を探ろうとしたり、解決策を提示します。そして、人に対してはその長所を認めよう活かそうと考えます。それでも、前向きなことが言えない場合は寡黙な人が立派に見えてきます。「しかたがない」と諦めてしまうのは、一見悟りのようにも見えますが、浅い解決策だし念仏的な解決のように思います。では、どのように解决するか?「正直に方便を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身(ほっしん)・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じ・・・」と、大聖人様が当体義抄で述べられてますように、煩悩の根本である貪瞋痴は、南無妙法蓮華経と唱えることによってのみ根本的な解決となるのです。

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  • 03 Jul
    • 一語間違えたら死ぬ

      「一語間違えたら死ぬ」と思ってやるすごい言葉ですね。政治家 小泉進次郎さんの言葉だそうです。一流の人間の言うことはすごい。年令に関係なく尊敬してしまいます。一流の人物には、14歳の棋士でさえ皆さん敬語を使いますね。(もっとも本人も常に敬語ですが。)所属政党や政策については別として、私はこの政治家に以前から注目しています。どこか違うな、と思っていましたが、この言葉を聞いて納得しました。これは、ある方が「聞いていて心を動かされる話ができるのは何故か?」という質問をしたところ返ってきた言葉だそうです。私は常々言葉遣いの怖さを経験しています。昨日もありました。昼はお寺で。夜は家庭で。お寺は修業の場です。これを勘違いして、親睦の場だと思っている方がいるようです。そこで他人の言葉に傷つき嫌な思いを経験をすると、「学会のほうが良かった。」という思いや言葉が出てくる場合があります。大抵はこれを信心で乗り越えて本物の法華講員として成長していくのですが、残念ながら退転していくひともいます。「学会のほうが良かった。」と思うのは魔の囁きです。人は誰でも過去の多くのことは美化されて記憶に残ります。昔の学会活動も例外ではありません。また、事実私の場合も良かれ悪しかれ学会時代は楽しいことも多くありました。学会時代はまだ若かったし、大勢の仲間と共に活動する歓びも味わったし、よく飲み会もやりました。なので、なにかあると「学会のほうが良かった。」という気持ちになることは理解できるつもりです。しかし、ありがたいことに法華講の信心を永くやり通してきたおかげで「お寺は修業の場」と捉えて生涯自分を成長させてくれる場であることが分かるようになりました。では、小泉進次郎氏のようにやっているかというとまだまだ甘い自分自身に気付かされます。不用意な言葉遣いでどれだけ人を傷つけたりがっかりさせたりしているか常に反省させられることばかりです。私自身は人から何を言われても、それに対して怒りの感情や恨みを持ったりすることは殆どありません。これは、生来の性格ということもあるかもしれませんが、若い頃から意識してそうなるように鍛えてきたとも言えます。なので、私と違って、ちょっとした言葉ですぐに怒りの感情や恨みを抱く人に接すると、驚いたり悲しくなったりすることが普通でした。ところが、つい最近になってようやくまだまだ私自身の言葉遣いの足りなさがあることに気づき始めたというのが正直なところです。「一語間違える」と相手に誤解を与えてしまう。「一語間違える」と相手の心を傷つけてしまう。慈悲の心が籠もる言葉を発することができますように。このように祈っていくことにします。さて、結論は、「一語」とは、「南無妙法蓮華経」のことですよね。

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  • 21 Jun
    • 雨の祈りの三具足

      今年も総本山における霊宝御虫払い法会に参加せていただきました。その法要の中に標記「雨の祈りの三具足」がお出ましになります。これは、日蓮大聖人様が文永八年(1271)に極楽寺良観と祈雨を競った(あまり良い表現ではないが)ときに使用されたと伝わる三具足(香炉・燭台・花立)のことです。ところで、今回この記事を書こうと思い立ったきっかけは、昨日の指導会で新井契道御尊師より次のようなお話を伺ったからです。それは、ブラジルのあるところに「雨乞い踊り」がある。そこの雨乞いでは必ず雨が降ることになっている。それはなぜかというと、降るまで踊りをやめないからだ、というお話でした。御指導の趣旨は、それくらいの執念を持って祈り、折伏を行じていきなさいということと拝聴しました。さて、話を戻しますが、大聖人様の祈雨はブラジルの雨乞い踊りとは次元を異にしています。なぜなら、大聖人様は良観に対し、 「七日の内にふらし給はゞ日蓮が念仏無間と申す法門すてゝ、良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし、雨ふらぬほどならば、彼の御坊の持戒げなるが大誑惑(だいおうわく)なるは顕然(けんねん)なるべし。(中略)又雨らずば一向に法華経になるべし」(頼基陳情 新編 1131) と、祈雨に際し期限を設け、良観もこれを受諾したわけです。良寛は、多くの弟子たちとともに一心不乱に祈りましたが、七日はおろか、さらに願い出た七日間の延長期限にも雨を降らすことはできず、それどころか以前よりもはるかに干ばつは激しくなって暴風が吹き荒れ、人々をますます苦しめる結果となり、ついに良観の祈雨は惨敗に終わったのです。ブラジルの雨乞いとの違いは明確です。大聖人様は良寛坊が7日で雨を降らすことができないことが分かっていた。その後、大聖人の祈祷により雨は降った。良寛は7日の延長だけでなく、それこそ「降るまで」続けるべきだったのですが、その執念というか「本気」がない時点ですでに敗けているわけです。我々がこの「祈雨合戦」から学ぶべきことは、ひとつには、執念と本気度。即ち、祈りの強さと深さ。そして、大聖人様が御本仏であられるということ。

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  • 12 Jun
    • 信ぜず行ぜざるも即ち謗なり

      先月、本年第1回の本山における夏期講習会に参加してきました。御法主上人猊下の講義では、冒頭で大聖人の御書「戒体即身成仏義」の次の一節を通して甚深の御指南を賜りました。「謗と云ふは但口を以て謗り、心を以て謗るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。」厳しいご指摘です。創価学会では、かつても、もちろん今でもこのようなことは教えてくれない。今では、口でも心でも誹謗中傷しているわけですから。そして、肝心なことは、なぜ御講義の冒頭でこのことをおっしゃったのか。私は、多くの方がこのことを知らないのではないかと危惧されてのことと思います。学会員はもちろん、ともすれば法華講員ですら、一度御授戒を受ければそれで成仏は決定したと安易に考えている方が多いのではないかと思います。そういう考え方の根底には、やはり日本人の平均的宗教観があるのだと思います。即ち、盆正月・お彼岸、誕生・結婚・葬儀、苦しい時の神頼み的なそのような宗教観・・・。そうではない。「信じない。行じない。」こと事体、謗法ですよ。という、厳しいご指摘なのです。十四誹謗のなかでも「不信謗法」が根本となるのです。具体的には、「三宝(大聖人・戒壇の御本尊・日興上人を始めとする歴代の御法主上人)を信じない者、勤行・折伏行を行じない者は、謗法である。」との御指摘なのです。

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  • 12 Feb
    • 雨にも負けず・・

      昨日の法華講の会合で次のような詩を朗読しましたら好評をいただきました。○の部分は内輪の言葉なので伏せましたが、もし読者様の参考になればと思い掲載することにしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雨ニモマケズ風ニモマケズ○○○○○○○○ニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ折伏以外の慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日に朝夕の勤行と一時間以上の唱題に励みアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ毎日毎週の寺院参詣・活動を忘れず東ニ病気ノ知人友人があれば行ッテ折伏をしてやり西ニツカレタ学会員がいれば行ッテソノ謗法に気づかせ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテ最期まで唱題が大事といい北ニ怨嫉や愚痴を言う人あればツマラナイカラヤメロトイヒたった一人の折伏成就のトキでもみんなで歓びのナミダヲナガシ結果が出ないときは唱題で乗り越えミンナニ○○○○○○頑張たねト言わレ大いにホメラレクニモサレズサウイフ講中ニワタシハしタイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いかがでしょうか。なぜこの替え詩になったかといいますと、実は、私の今の心境を発表するにあたってメモを取っていましたら「負けずに」というキーワードが頭に浮かんできました。それで、宮沢賢治の詩ということになったわけですが、妙にしっくり行くわけは、宮沢賢治自身法華経を信仰していたからといえるのではないでしょうか。彼は富士の正統門流(日蓮正宗)を知らなかったようなので、正しい信仰をしていたわけではありませんが、替え詩を作りながら思ったことは、仏教(法華経)の精神の片鱗が感じられることでした。どうぞ、私の替え詩、よかったらご自由にお使いください。また、あなたも替え詩を作ってみてはいかがでしょうか。

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  • 10 Feb
    • 哀れな学会員

      先日、およそ30年前にお世話になった学会員宅を訪ねました。アポなしにも関わらず、会いたかったご夫婦ばかりかお嫁に行った娘さんにも会うことができました。娘さんに会えたわけは、お母さんが最近足を切断して不自由をしているからということでした。突然の訪問にも関わらず私たちを温かく迎え入れてくれました。そして、3人共元気なのが何よりも嬉しく思いました。しかし、口にすることは流石にできませんでしたが、厳然たる謗法の現証ではありませんか。にもかかわらず、「足を切ったくらいでよかったわ。」と言うのは何か変です。折伏が始まると、そのことに気づいたのか奥さんはいつの間にか引っ込んでしまい、とうとう私たちが帰る時になっても姿を現しませんでした。その代わり、旦那さんと娘さんが、ああ言えばこう言うで自称「バリバリの学会員ですから。」と言う通り、まるで現証に気付いてない様子。師匠が師匠だけに、弟子のかれらも自分たち学会の考えを基準に血脈に対しケチをつける不信謗法でしかありません。問い詰めると、「もう平行線ですね。互いが正しいと思ってるわけだから。」と。私はそれに対し、「いいえ、あなたも昔正しいものはひとつしかないと教わったはずです。」と否定して続けようとしましたが、「お帰りください。」となってしまいました。やはり、甘い折伏だったと反省しています。怒らせてしまうくらいの強折をしなければ本当の慈悲とは言えないかもしれません。もっと早く訪問するんだったと思いました。もう一度訪問して誤りに気づかせてあげたいと思います。

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  • 03 Feb
    • だれが言い出したか?「パワースポット」

      テレビでは、この頃しばしば「パワースポット」なる言葉が飛び交っている。そして、ミーハーさんたちは、まんまと口車に乗せられて「パワースポット」に出かけていく。言い出しっぺは、儲けを狙った神社仏閣か儲けを狙った出版社か?それは、ちょうどハロウィーン、サンタクロースやクリスマス、恵方巻きにバレンタインなどの騒ぎと似ています。「パワースポット」なる言葉に騙されてはいけません。御本仏 日蓮大聖人は「世皆みな正に背そむき人悉ことごとく悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相あい去り、聖人所を辞して遠らず。是ここを以て魔来たり鬼き来たり、災さい起こり難なん起こる」と仰せです。「正」たる正法(=法華経)に背く神社仏閣等から善神は去り、代わりに魔・鬼が住んでいるのですから、パワーがあったとしても災難が起こるパワーでしかありません。ほんとにそうなのかって?ならば、追跡してみてください。「パワースポット」にハマってしまった方がその後どうなっていくのかを。本当のパワースポットは、法華経の曼荼羅(御本尊)以外にはないのです。御本仏大聖人曰く、「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なり」と。真の幸福(成仏)を求めるのなら、日蓮正宗寺院の門を叩くべきです。

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  • 24 Jan
    • 「おみくじ」について考える

      メディアなどに踊らされて、「パワースポット」などと言い、神社に行く老若男女が相変わらず多いようです。それは特にお正月に顕著と言えるでしょう。なにも疑わずに(あるいはほとんど信じてもいないのに)なんとなく神社に行って、柏手を打って、僅かな賽銭を投げ入れ、(もしかするとと思いながら)手を合わせる。そして、それだけで帰るのもなんだから・・と言っておみくじを引く。出た結果に一喜一憂して理由づけして楽しむ。そんな風景がまたお決まりのようになんの疑いもなくメデイアによって報じられる。御本仏日蓮大聖人は、立正安国論の中で「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」と仰せです。正とは、正しい仏法・法華経(南無妙法蓮華経)のことです。正法をい根本にしていない世間の神社仏閣には幸福のパワーがあるどころか、逆に魔や鬼が住んでいるわけですから、手を合わせれば、信じていようがいまいが「なんとなく」であろうが、魔や鬼が喜んで悪さをし、人々を気づかぬ内に不幸に落としていくわけです。これを知る我々法華講の信徒は、このことを人々に教える義務があります。それは、ちょうど赤信号を渡ろうとする人に「それはだめです!」と教えてあげる行為と同じことです。命にかかわる危険な行為を目前にしていて無視するなら、その行為自体も罪を作ることになります。なので、先日親類が集まった時ある子どもが「神社に行っておみくじ引いたの。」と口走った時、私は即座に「だめだよ。神社に行って手を合わせたりしては!そういう気持ちがあるのならお寺に来なさい。」と言いました。すると、そばにいた別の者が「そんなこと言わなくても・・。」と言いました。これに対して、「そんなこと」を言うことの大事を説くべきだったと後悔しています。世の中には、射幸心を煽って巧みに購入へと誘導する商品が溢れています。そもそも、「くじ」に2つも「お」「み」と丁寧語をくっつけたにすぎません。一枚のくじに大切な人生を方向付けられてはたまりませんし、そんなくじを作ってばらまく神社も無責任としか言いようがありません。射幸心を煽って不幸へ導くものは、宗教的なもの、宗教的には装わないものと様々ですが、神仏ならなんでも良いといういい加減なメディアや世間の風潮に翻弄される人々を一人でも多く救いたいと考えます。

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  • 19 Jan
    • 大晦日と正月

      あけましておめでとうございます。この挨拶、いつ聞いてもいい響きですね。子供の頃のような新鮮な感覚は薄れつつあるのを感じますが、大晦日から年明けまでの晴れやかな雰囲気はいいものです。さて、あなたは年末年始をどのように過ごされましたか?日本人の心の底に何か特別な感情=「この日だけは良い日にしたい」というようなものがあるように思います。皮肉なことに、だからこそ喧嘩や争いが起きやすい日ともいえます。「気分良くすごしたい」という気持ちが、それを阻むものに対して過敏な反応を示すようです。私の場合、トラウマとして思い出すのが小6の大晦日。少し酒の入った父とチャンネル争いをしてしまいました。今ではTVが一人に1台ある時代ですし、そもそも子どもはTVなど見ないかもしれないので「チャンネル争い」などという言葉はピンと来ないかな?気分良く「紅白」を見たかった父に対し、勝手にチャンネルを変えようとしたところ、殴られてしまいました。後にも先にも父に殴られたなどということはほかに記憶がありません。この事件以来、わたしは大晦日と紅白を嫌うというかむしろこわがるようになり、今でも少々その感覚が残っています。今では、「大晦日や正月には魔が跳梁する」と解釈しています。めでたさの背景には正しい信仰が必要なのです。

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  • 24 Dec
    • サンタクロースについて考える 2

      クリスマス・イブ いかがお過ごしですか?わたしの感覚ですが、一時期(高度成長時代)に比べクリスマス商業主義ムードは落ち着きをみせているようです。今朝の朝ドラを見て思いました。「クリスマスキャロル」という小説がイギリスにあリましたね。あの感じです。なんとも言えぬ幸福感、性善説的ムード、「みんないいひと」的なムード。確かに理想的な空気です。これは尊重すべき世界です。しかし、残念ながら、これは偽善であり、まやかしであり、一過性であり、幻想であることにやがて気づくことになります。それが、キリスト教の限界であり、浅薄さであります。サンタクロースは「ばらまき」的な幸福しかもたらせてくれませんでした。すこし格上のヨーロッパのサンタでさえ、日本の「なまはげ」的な道徳的・勧善懲悪的な役割を果たしているに過ぎません。子どもはそれでいいでしょうが、大の大人がその程度のレベルで踊らされていることはがっかりします。(つづく)

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jjih33

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福島県郡山市の日蓮正宗寺院・寿海寺の信徒です。 住居の栃木県から菩提寺まで通っています。 約...

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