「導かれている」

なんて思うことありませんか?

それは、誰がやっているの?

誰でもない、自分です

というお話…

 

先師の小笠原先生や島田先生は、言霊学を学ぶにあたっては何かひとつ「道」を修めてから始めると良い──と仰ってました。拙者、僅かにインド哲学や仏教を学んできた上で言霊学に出会ったので、タイミングがよかった。何故ならば、言霊学とは心の学問であり、心のことを理解する土台が宗教学哲学にはあるからです…

 

 

先師たちは、よく仏典を引用します──

禅の「無門関」「聖書」「法華経」などなどです。

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引用などで説明があっても、それでもやっぱり言霊学の難解さはありまして、壁にぶち当たって、もう言霊学は諦めようと何度思ったことか😅…

ムズぅぅ〜い

心のことは、常に内へ内へと向かうために、外の一般知識が全く役に立ちません。これをインド哲学では「パラビッディヤ」:「アパラビッディヤ」と呼びます→つまり、至高の知識とそれ以外の知識って感じな。この言葉にしても、コトタマ学始めるまではそれほど深く理解することはありませんでした。でも、言霊を学ぶために心に分け入っていくと、その意味がガツンと入ってきて「これほど深い意味だったのか…」と。

言霊を学ぶことでインド哲学の知識が深まり、インド哲学の知識が言霊の理解を助けてくれる、そんなことをこの数年やってきています。

 

心の中の事は誰にも聞けず、心を見せることも出来ない(→そもそも心なんてものが本当にあるのかも謎という…)

…如実知自心…

ひとり自心の広大な世界に踏み込むしかありません。道標も案内人もない所から始めなくてはならない。なので、哲学や宗教が役に立つ。それも─それらは最初のとっかかりだけだった─と思い知る。

島田先生の最後の言葉は「おひとりでおやり下さい」だったそうです。誰に聞くことも頼ることもできない…言語は不確実で限界がある。その限界を理解して、その先を手探りするってぇ感じっすかねぇ…。

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その指針として、古事記の神代記の百の神名だけが残された。

 

だからひたすら内観と自問自答を繰り返す。心の内に全ての答えがある。インド哲学でもそのことは教えていて、それは究極の師匠、自らのアートマー、つまり真我──

ヌナッッ?

 

 

誰もに内在する神、真我が個々の経験を司り、導いてくれている。導きの神とは自分の中に存在している神。または魂とも、意識とも、アートマーとも。

 

アタシ誰?ココどこ?

 

 

 

いにしえの

かげささやきて 

ここになと

ときは名枯れり

おもひもせずと

 

お粗末です

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