2年前コロナ真っ只中

こんなメモ書きしてた

 

自分の欲望とか内観してて、そこには人並みに(!)生きた証のようなもの、結果が欲しい、と、ゆーよーな欲望がデーンとあった。──ふ〜ん。そうか。そうなんだな。

写真:藤原新也

 

人並みってところが笑える。誰だよ、そんな風に自分を分析してる自分って。

 

で。その、生きた証ってナンダ、って思って、更に観て行く。と「繋がり」と出てきた。ほう、そうか、つながりか〜……人並みにあるんだな〜そういう欲望。もしかしたら、それはすごく根源的な欲望なのかもしれない………

ふむふむ

人間は、自分だけで生きてるわけではなくて、物理的に自然に生かされてる。山川草木、大地の恵み、空気に太陽に水etcないと生きられない。だから、繋がりたいなんて思わなくても、繋がってるんだから、別に繋がろうなんて欲望いらないよね、なんて思ったり。インド哲学の先生が例え話で使う「ジャコウジカ」の話を思い出す。

これは鹿じゃなくてカモシカ

 

ジャコウジカが、ジャコウの香りを探して、世界中を旅して歩くというお話。

 

それはココ、自分の中にある。つまりアートマー(真我)。欲しいものは全てココにある。どこに探しに行く必要もない。何しろ自分。ラマナマハリシの教え「あなたはあれであったりこれであったりすることでなくあなた自身であること」だよね!

わたし自身であること。

それがありあまるめぐみの湧き出す場所。

 

そんなことを考えてたら、またインド哲学の先生の言葉がふっと思い出された。

 

意識=真我=アートマーは「電気」に例えられる。

 

電気ったってね…でも、これ以上ないほど適切な例え。説明も必要ないくらい。しかし、哲学クラスの人たちは、この例えがわからなくて、質問を重ねて理解しようとした。そして、先生も説明を重ねて、重ねて。そして、説明すればするほど、質問者は混乱して行くというループに陥る。ダメさあ。それは、ひらめきなんだから。意識のあるところが光るんだもん、ひらめき意外に説明のしようがない。意識があるから光る。ひらめきがないとわからない。閃くのは意識があるから。これじゃあ、なんの説明にもなってないけど、そう表現する以上に説明できない。言霊学でなら伝えられるかもだけど、それもすごく難しいかもしれない。ひらめきがないと。閃き。光。ひかり。日が駆ける。

 

何日か前に、脳みそは受信機って話を読んだ。つまりあれだ。〜光の受信機〜光はどこにでも満ちてる。それを限定してしまうのが自我意識。自我意識があるので光ってるのがわかる、けど……も……自我が邪魔をして、理解を妨げる。

 

今の科学が、補佐する至上の理論が言霊。科学でなら、説明できるのだろうか。ツクヨミ、スサノオ…(→言霊学では、三貴神の中のツクヨミは言霊オ、スサノオは言霊ウの働きを表す)

秋だなあ

 

 

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