前回の記事に書いた「指月の指」または
「指月のたとえ」とも言いますが
その説明を書こうとしたら
あまりに煩雑になったので中止
さてッッと
この世界で起こる様々な現象、社会のこと、自然のこと、人間関係、国の問題、組織の問題エトセトラ。
これら全ての現象が起こる前には何があると思います?
現象の前ぇぇ?そんなもん何もないじゃ〜ん、て、わけではありませぬ。そこには、人の想念が渦巻いております。
想念のリサイクルボックスが社会
もとい:単なるサイクル…
人が行動する前、考えや思いが先にある>>>>>歩こう、と思ったから足が動いて歩き出す:ご飯を食べようと思ったからご飯を作る:本を読もうと思ったから本を手に取るエトセトラ………その想念が心の中に起こった後、全ての現象がやってくる。これはあまりに当たり前のことなので、その「想念とはなんなのか?」を、人は追求しない…
想念とは???
=>想念の無いところには、一切の現象が起こらない…
>>>>歩こうと思わなければ空間は存在しないし:食べようと思わなければ食べ物は存在しないし:本を読もうと思わなければ本は存在しない…………ぇえ〜ッッッマジっすか?!飛躍しすぎてて理解できな〜い
現象のない世界なんて、想像できない!!!だよね。うんうん。
〜何もない〜これを仏教的に「空」ともいう…。また飛躍した
それは、想念が生まれるずっとずっとずぅぅぅっ〜と前の超均衡状態のこと。類い稀なこの均衡を、仏教的な別の言い方で「平等性智」ともいう。読んで字の如し、全てが平らかにバランスを取っている状態。なので、そこには現象が無い。
バランスが崩れたところから、現象が起きてくる。
と、言うんですな。。。仏教あっぱれ。インド哲学でも、この均衡状態を説いている。インドあっぱれ。
関係ないけど
知り合いのハンドメイド作家さんの「星守り」
このこも「あっぱれ」と言っているようだ…
で、インドの人たちは「思考」を大事にするため「マントラ」
をチャンティングしたり、思考を垂れ流したりしないように色々工夫してるんだ。すごいね。
それはそうと、だから。
思考が生まれるその前を、言霊学では「先天」と言い、そこから対象と自分が分かれて現象が生まれてくる様子を克明に(インド哲学よりも)説明している…のでした。すげー!
対象と自分を、仏教では「相分」「見分」と言い
ソシュールは「シニフィアン:シニフィエ」と言い
言霊学では「ア」「ワ」と言う。
漢字では「吾」と「我」
だから、社会を作っているのは、ひとりひとりの「心」の想念なので、その想念が生まれてくる「心」を知り、心の禊祓いをすることが、世界を作り直すと言うことになる。
作り直す、それを「宣り直し」宣言のし直し、なので、大祓祝詞の最後の一文「天津祝詞の太祝詞ごとを宣れ」と、鳴る…
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