…霊は形に宿る…

誰が言った言葉でしょうか

不祥の管理人は、アートと称してこんな形やあんな形を描いています。

 

 

 

 

 

 

形のあるものには魂が宿る、と言うのはとても日本的というか神道そのものの考え、想いなのではないでしょうか。

物言わぬ磐座を信仰の対象とし…

山を拝し…

自然霊を神として祀る…

 

 

 

 

 

 

例えば「付喪神」。年月を経た形あるものに宿る神と聞きます。ならば、日々生活の道具として使う全てに神が宿るということ。

ご飯を盛るお椀、お箸、体に纏う服、靴、現代なら携帯やパソコンも神か宿る大切な器物です。それが

 

やおよろずのかみ

〜八百万神〜

 

とても数が多い神々、そこら中神様だらけみたいな言葉です。右を見ても左を見ても神様!あなたも神様なら、私も神様。インドでは、あなたの内なる神様に挨拶申し上げます「ナマステ」と言う。。。。多神教でも一神教でも、全てに神の息吹は遍在していると教えている──遍く在る、ゆえに、神のいないところなどない、だから、あなたの中にもわたしの中にも神はおわすのだ、と教えます。全ては尊い。神とはどこか遠い場所にいて拝むものではなく、イマココ全てにあまねく存在しているのが「それ」

サンスクリット語で「tat sat」

 

漢字学者、白川静の言葉。

 

漢字はもともと物の形を写した文字。文字には意味があり、表す対象がある。

存在する形には、時空がある。そこに才、という象形。才は、口を含んだ文字という…

この「口」という象形が重要なのだ、と白川静は云います…では、その「口」とは何か?…白川静は「口」を「さい」と読み、それは、体の部位の口などではない、精神的で形而上的な何かを指している文字だと解きました。

易経曰く

「形而上者謂之道、形而下者謂之器」

形而上を道と謂ふ形而下を器と謂ふ

 

「口」は祝詞を入れる器であり(形而下)、呪術的な意味があり(形而上)、言葉そのものに力が宿るという信仰を持った人々(殷)が作った文字であるからであると解き、その新説は物議を醸しました。

形の中には魂が宿っている

それは文字も同じく

ものみな全て神の顕れ

 

私の作品は「なんの文字ですか?」と聞かれることが多い…「これは絵なんですよ」心が文字として表出する寸前のカタチ。文字前。心後。みたいな。そしてこれも八百万の神のカタチ。

サンスクリット語でマーヤー「〜だらけ」という言葉がありますが、神様だらけが八百万神で、器は全て神様ってことかな…

人間も神の器のひとつ。そこに顕れた神を祀る。ひと、とは神(ヒ)をとどめる(ト)器。日々、その器としての自己を見つめて生きます。

 

 

 

 

ありありて

かたちあらわれ

さくしろの

ひめてやこたえ

やおよろずかみ

 

 

お粗末です

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