コトタマ学、覚え書きのメモ〜伊勢神宮のコトタマ的解説〜
内宮「天照大御神」
天照大御神は主体ー言霊「ア」吾
下宮「豊受大神」
豊受大神は客体ー言霊「ワ」彼
崇神天皇の時代までは 主体:客体 を『同床同殿』の形で祀っていた。
つまり、主体と客体を同じ場所で祀っていた。
これを崇神天皇の時に廃止して
・祀るもの=主体
・祀られるもの=客体
を分けてしまう。(同床同殿の廃止)
祀るもの と 祀られるもの
見るもの と 見られるもの
祀られるものを、向こう側にしてしまうとどうなるか。
神は対象となり、内側にあるものではなくなる。
人間の中から「自らが神である」という自覚が失せる
神は崇拝する対象となる。外側の世界にあるものになる。
これを崇め奉る。ということになるわけ。
神に祈れ、とは、内在する神に祈ることであったのに、外側にいる神になって、神同士の戦いが始まる。
内側と外側をつなぐにはどうしたらいいのだろうか?
ただ、自らが神と自覚すればいい。
しかし、その前に自己の中のあらゆる矛盾を浄化させなければならない。
これが難しい。
インドのアドバイタ・ヴェーダンタ=不二一元論では、もちろん主体も客体も「ひとつ」であり「ふたつ」ではあり得ないと言う。ふたつであると言う錯覚から、人間の苦しみが生まれてくると言う。世界と私は「ひとつ」見ている自分と見られている世界は同じである、と教えている。
仏教では「梵我一如」なんて言う。
「入我我入」とう言う言葉も面白い。
西洋哲学では「我思うゆえに我あり」
ソシュールの「シニフィアンシニフィエ」もヒントになる。
ヒトは、あらゆる場面で、見るものとみられるものを分けて、あれが悪いこれは良いと言う。それはすべて、自らの見ている世界で判断しているだけで、始まりが「ふたつ」から…
ひかりさす
おねのひだこえ
あまねくる
みにふるわしつ
はるやはるやと
お粗末です
-------
マンガやイラスト
キャラクターの製作
承ります
ご相談くださいね
*管理人の墨絵の作品集*
*ハンドメイドクラフト*
クリーマのページ