哲学なんて人生に不要…なんて

思ってませんか?

とんでもございませんよ

哲学ほど現代社会に必要なものは

ありません

明日どう生きるか

季節の変わり目に何を思うのか

一歩踏み出す勇気をどこに求めるのか

常に迷いの中にあり

手探りで人生を歩む

人生を支える知恵

それが哲学

image

というわけでインド哲学を

語ってみようと思います

 

 

インド哲学って何を教えてるの?それはこの世の神秘を。神秘なんか生活の種にならないよ?でもね、生きていることが神秘とわかっている人とわからない人の人生は違うと思うんだよ…

    
それは、自然の前で頭を垂れることができるかできないかみたいな

 

なぜ全てのものは生々流転を繰り返すのか…命が生きて死んでいくのは何故なのか…昨日笑っていた人は今日いない。彼は何処に逝ったのか。これを考えてる私とは誰なのか?

その答を知れば、人生から一歩退いて自分を俯瞰して見ることができる。その知識を教えるのがインド哲学。インドで育まれたこの思想は、仏教を通じて日本に入って来ています。日本では仏教の方が馴染んでいますが……仏教はインド哲学をよく継承してるけども、足りない部分が多いという印象です(仏教シンパの方、ごめんなさい)

 

 

 ヴェーダという書物

 

書物とは言いつつ、もとは口伝の教えなので書物とは言い難い…

なんでも、古代に於いて人の記憶力が欲望に囚われて下落してしまったため、仕方なく文字に残したという言い伝えの本。

もとは人の口から口へ、師から弟子へ伝えられたもの。

 

文字化された教えは、書物プラス注釈が付けられて受け継がれて来た。なので、聖典だけ読んでいても本質はちょっと解りづらいのが困ったところというか。。。凡夫には如何ともしがたい。

ヤジュルヴェーダ

昔はヤシの葉に書かれていた

 

 

「ヴェーダ」という言葉の語源は「知識」

語根の√vid は「知る」という意味。

英語の「フィロソフィー」は知識を愛するという意味なので、近い概念ですよね。

 

さて、その知識とは何か?と、凡夫は問います。知識には二種類あって、世俗の知識と真我の知識。

この真我というのが「私は誰か?」の、問いの答えです。

 

 

 

 

 

あぁまた長くなっちゃった

続くだよ

 

 

 

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

かたくるしい話じゃありません。いえ、もしかしたら途中でかたくるしい話になっちゃうかも……いつものことで💧

キャーッimage

 

『ムーミン』の登場人物はどれもこれも異様なくらいキャラが立っていて、これがファンにはたまらない……

ファン→image

一番はなんと言ってもニョロニョロだと思います

ウチのニョロニョさん>

数十年前に友達がくれた

目が薄くなっちゃってきた…

籠入り息子

 

知ってますか?彼らは集団で集まって雷に打たれるという奇妙奇天烈な習性があるんです。動物なのか植物なのかも定かでない。移動できるんだから、動物なのかなぁ。雷でチャージするなんて、植物っぽいとこもあるし。変すぎる。山で見かけるこれ派もしかしたら、彼らの仲間?

ギョリンソウとか

 

 ❤️❤️❤️❤️❤️

レアキャラとしては「飛行鬼」というキャラも好きです。スティンキーというけむくじゃらで「びとーんびとーん」(アニメ版では)言いながら跳ねてるだけの訳のわからん絶妙キャラも好だったし、どれもこれも愛しいわ〜💕

 

中でも異才中の異彩キャラがおります✨「無駄、無駄、無駄!」と、彼はつぶやく…彼の名はジャコウネズミ。

いつも、気難しそうな佇まいで、無駄、を連発する。最初に紹介したキャラです。

…人目から遠ざかり、洞窟の奥で暮らす偏屈親父にしか見えないお方😱ほんものの賢者か、ただの愚者か……

このムダ哲学は、本当は西洋哲学のニヒリズムを土台にしているらしいのだ。近代西洋哲学の流れ、神は死んだと言ったニーチェとか、そんな一派と思えるジャコウネズミ様。

洞窟の奥の隠遁生活は、私の憧れでもある。羨ましい…

現世の流れから離れて孤高に生きる。

たまらん。

単なる現実逃避とも言えるが、そうでもない一面もある。現代の忙しすぎる生活から、少し引きこもって自分と対話する時間があっても良いと思うのです。

いつも思考の中は、あれしてこれして、あっちにいって何某に会い、こっちで心配して、向こうに気を遣い、明日の予定を立て…休まる時間がない。

思考の中は常にパンク状態

明日の予定を立てる前に、今を生きる。そんな簡単なことが、現代は難しい。なら、ジャコウネズミ様の様な生活に憧れたってバチは当たらないわラブラブ

て、わけで。

ジャコウネズミ様ラブ❤️な、るーぱでした。

 

ついでだから、インド哲学の話も続くよ!

 

 

 

たのつづき

あらはれつきて

やすらはで

いつきみてとて

こころあらわれ

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

神社紹介トピックその他、修験など

 

里山をふらふらしてると

たまに気の流れの素晴らしい神社に

巡り合うことがあります

 

 奥沢神社

 

 小川町の(というより東秩父村ですが)山沿いにある神社です。名前の通り奥沢という沢の神格。

官ノ倉山に登った時に見つけた神社で、ここの尾根筋がめちゃくちゃ気持ちいい。そして、その気を受けてか、巨木が悠々と育っている。その佇まいがまたたまらなく素晴らしい。天に向かって、枝が伸びる様のなんと神々しいことか。

image

見事な巨木たち

image

竹林と混然一体

image

 

御由緒には
 
 ◇獅子舞を回した天王祭り
鎮座地奥沢は大部分を山林が占め、村の中央を通る熊谷から小川 を経て秩父を結ぶ道路に沿って集落が散在する山村地域であり、 『新編武蔵風土記稿』に「地名の起こり山沢多きが中にも、沢の奥 と云義なるベし」と紹介されている。同じく『新編武蔵風土記稿』は 当地の神社を挙げて「熊野社除地一段一畝、村中の鎮守、例祭九月 十九日、社は翼向、神体は白幣、別当大行院東林山と号す、本山修験 (中略)妙見社村持、椎の大木あり、画一丈八尺許、天王社村持」 と載せている。
社記に当社は「天正六年(一五七八)九月紀伊国熊野三社権現を勧 請して字腰村中山に奉祀し熊野社とよび鎮守とする。明治七年 (一八七四) 村社となり社号を熊野神社と改める。同四十二年(一九〇九) 二月に現在地に移転して、字半場東山の八坂神社を合祀、大字名 を冠し奥沢神社と改称」とあり、社記を裏付ける「奉修熊野三社 大権現天正六年(一五七八)九月十九日別当東林山大行院」銘の棟札 (五十二㎝)が内陣に納められている。
現社地は、『新編武蔵風土記稿」にある「妙見社」の社地で、現在 境内東に隣接する妙見神社は天之御中主神を祀っている。
尚、合祀した八坂神社には「奉造立牛頭天王御氏子繁昌息災祈 所・妙栄山浄蓮寺」と記す元禄十年(一六九七)の棟札(七十四四)が 現存する。
◇御祭神
いざなみのみこと伊弉冉尊
はやたまのおのかみ 速玉之男神
ことさかのおのかみ 事解之男神
・素戔鳴尊(合祀神)
と、いうことはもともとこの沢の神格の祀られていた古い場所に、妙見と熊野が後からやって来たってイメージかな。古い感じは、自然崇拝の聖地とかね… 縄文臭です😅笑…

本殿への急な階段

 
 

妙見宮があります

image
 そしてこの素晴らしい尾根筋ある石尊宮
(地図では奥沢神社奥宮とされている)

 

石尊とは石尊権現。つまりここも修験の香り強く、行場としての山の姿が見え隠れします。大山信仰の流れみたい。ふむふむ。大山信仰なのね。色々入り組んでるなあ。それにしても「石尊」って、古代の磐座信仰にも通じていそうです>「石神」=シャクジ(ミシャクチ)などなど。

梵天が立ってました
 
梵天と祭りと山岳信仰とかって
どんな関係か…?大山信仰は天狗信仰でもあるとか。秩父・横瀬の丘陵にある小さなやしろは「お天狗様」と呼ばれて、梵天を高く挙げるお祭りがありました。

そのお天狗様の社

梵天揚げの説明

 

 

残念なことに、横瀬のお天狗様のお祭りは数年前に途絶えました。武甲山と共にあった信仰でした。祭りを守ってきたご家族に感謝です。

こちらは武甲山御岳神社里宮の梵天

梵天って色々な種類があるのね🧐

 

 梵天・御幣・ぼんでん

神を招く目印として祭礼に用いられる道具。樹木や長い棒や竹などの竿に幣束を取り付けたもの。

神の依代(よりしろ)または奉納物としての大きな御幣(ごへい)。「ぼんてん」ともいう。語源については諸説あるが、「ほて」の語が梵天に引き寄せられたものであろう。「ほて」は目印として立てるものであり、西日本など広い地域で占有標をいう。秋田県その他でぼんでん祭りというのは、杉丸太に大きな御幣をつけ、火消しの纏(まとい)状にしたものを土地の神社に担ぎ込んで奉納する祭りである。福島・栃木・茨城県境の八溝山(やみぞさん)には干瓢(かんぴょう)ぼんでんなどを奉納する祭りもある。また江戸時代には、ぼんてんという、棒の先に魔除(まよ)けの御幣を数多く刺したものを、担いで売り歩く者があった。そのほか、魚などを串(くし)に刺して巻藁(まきわら)にたくさん突き立て、いろりの上などに吊(つ)る「べんけい」をいう地方もあり、魚の行商人を「ぼてふり」というのも、天秤(てんびん)棒から数本の縄を下げた形からの連想であろう。近世、劇場の櫓(やぐら)の左右に立てた2本の「招き」もぼんてんとよんだが、それらの先後関係は不明。

 

かかげるぼんでんに降りてくるのは

天狗?はたまた宇宙人?🤣

 

 

さて、話を小川町に戻すと、古墳がありました。穴八幡古墳。ここの気の流れもめちゃいい〜💕なんだか、小川町ってすごいパワーなんだな。古代から人が好んで住んでいたのはうなづけます。ほんと、気持ちいい。

 県指定史跡 穴八幡古墳

小川町大字大塚と増尾の間に位置する八幡台地のほぼ頂部に立地する穴八幡古墳は、埼玉県内でも最大級の規模を持つ方墳です。首長を治めた横穴式石室は南に開口し、内部には下里産出と考えられる大きな緑泥石片岩を利用しています。また、この位置が小 川の盆地を一望にみわたせることなどから、この古墳の被葬者はこの盆地を治めた有力人物であったのかも知れません。

新編武蔵風土記稿によれば、この古墳は寛文(1661〜1673年)の頃、切りくずして陸田にしようとしたとこ ろ、石室が現れたので中止したことが記されています。なお、文政十二(1829) 年、島田氏が八幡神社を勧請したので穴八幡と呼ばれるようになり、遠く江戸吉原のおいらん衆が奉納した提灯や手ぬぐいが残っていました。

 

すぐ側には八幡神社。ここも気持ちよかったよ。面白いのは狛犬。と、狛鳩。笑。下の下に写真。

八幡神社

所在地 比企郡小川町大字大塚

八幡神社は、元弘三年(1333)に、創建されたと伝えられている。

もりくにしんのう鎌倉幕府の滅亡に際し、将軍であった守邦親王は、慈光寺山麓の古寺の里に亡命し土豪猿尾氏に迎えられ、梅香岡に仮寓したという言伝えがある。

守邦親王が鎮守神明社の境内に勧請したのが、八幡神社のはじまりであるといわれている。

慶安二年(1649)、三代将軍家光より社領十石二 斗余を賜って以来歴代将軍から、御朱印を受けていたと 伝えられている。

守邦親王が生前、小字的場で馬術を練習した故事にな らって境内でかつて流鏑馬や馬くらべが行なわれていた。

八幡神社の大けやきは、町の天然記念物に指定されている名木で、この木が下から水を吸い上げるため、この地の井戸はどんな日照りでも水が涸れることがないと言 われている。

鳩!それも親子。鳥関係。鴨か烏か白鳥か。はたまた、金鵄か。

 

狛犬がじゃれてますよ!わんわん!…じゃないか…😅

ここもまぁ気持ちの良い神社でした。勧請された八幡神の前から聖地だったことがうかがえる、気持ちの良い場所でした…

 

 

 

以上

 

 

すみわたる

しじまのゆきて

なをなさぬ

さかしゆきせん

ふるはらさねも

 

いみふめいなり

---------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

 

 

 



秩父の連続投稿です

『秩父修験』とは?

熊野とつながりのある山岳信仰の由

武甲山の頂上には蔵王権現が祀られる

つまり熊野信仰

 

 「秩父修験道」

影森*はその名の示すとうり武甲山の陰に位置し立冬から立春まで日の出が遅くその上水の便悪く飲料水にも事欠く状態でしたから開発が遅れたことと思います。然し武甲山の北尾根?に伸びる岩山が走り東の斎所山・東の護国観音の地は共に大きな磐境で樹木もまばらでしたから(東南東?)には武甲の峰乾(北西)には両神山を眼前に望むことができました。その間一枡岩づたいの道は大木に覆われ?うっそうとしていたことと思われます。このような地形を利用して秩父修験の行者たちはこの道を何往復もし武甲山頂を拝し両神山をおろがみ邪心を去り?行を積まれました。こうした行者の方々が江戸へ出て観音講を広め喜捨をを受けその御寄進によって大仏を作りこの地に運び建てられました観音様には正徳四年の年号と江戸の大勢の方々の戒名が記されています。二十六番の岩井堂、二十七番の?影堂そして二十八の御堂も行者の方々の努力と地元の方の労力奉仕によって建造されたものであります。

「影森*」というのは、武甲山の北西山麓の地名です。

武甲山麓に琴平ハイキングコースという道があります。武甲山の北側を沿うように歩く道で、ここはいにしえの修験の道。巡礼道でもあったと思われます。その起点に札所二十六番の「岩井堂」があり、岩井堂を下ると二十七番大渕寺に至り、さらに西へ回り込むと二十八番橋立堂に辿り着きます。

 

ハイキングコースの途上には修験のお堂があり───

そこに上記の「秩父修験道」の木札があります。だいぶ雨風に晒され文字が消え掛かってます。あと何年持つのやら。新調しないのですかね。

image

堂内部には、修験にまつわる仏尊の名が連なる…

image

 

image

「象頭山大権現」とは金毘羅権現のことであり、金毘羅つまり「クベーラ神」インドのクベラ神の信仰がもともと???でも、「象頭」って、どう考えても「ガネーシャ神」だと思うのよね。。。。。習合されると、元々の神がわけわかめになるので、わかりませんけどね……

image

雰囲気たっぷりのお堂です。丘陵のコースですが、アップダウンが激しく歩くかたは必ず登山靴で。

 

秩父地域の修験をたどるなら、ここも紹介せねば。

秩父大滝「普寛神社」木曽の御嶽山の王滝口を開いた上人を祀る神社です。

 
image
「修験者、普寛行者は越後の八海山上州武尊山等を開き…云々」
ほぅほぅ八海山に武尊とは…びっくり
image
 
image
「天台修験〜」と見えます、そうなんだね〜
ここ、大滝が普寛上人の生誕地なので、遺徳を偲び神社として祀っているということですね。

image
 
image
境内の塚には、北辰講の文字が。つまり「星信仰」です。
 
その境内から山道を探りますと………何やら諏訪のミシャグチ信仰が臭ってくるぢゃないですか!えっっっ?!ミシャグチ???びっくり(急くあまり端折ってしまいましたが下記に説明あり)やはり、秩父と諏訪はとても密接ということがわかります。星信仰と、スターナビゲーション。
映画「旅するカジの木」……
合格♪お諏訪様だ〜縄文だ〜←─単純汗あいだの説明なさすぎてわけわかめになっている汗
image
稲荷社
天神社
山神社
(合祀)
image
ここはお稲荷さんですが、稲荷信仰とミシャグチ信仰は密接に繋がっているらしい(ミシャグチに詳しい友人によると)。そこには必ず巨石があり、磐座信仰と結びついている。磐座つまり、宇宙開闢の縄文の神とのつながり。自然崇拝の名残り。
そして

修験と縄文は切っても切り離せない何かがある。自然崇拝と山岳信仰。修験の行者は山を歩くことで、人の世界と神の世界を行き来することになる。

山は異界──

image

人の世界ではないのです。昔の人は、山は平地から拝するものとしてきました。信仰の対象であり、田畑を潤す水神のおわす場所です。そして、祖先神がいる。子孫を見守り、幸せを願っている。この場所にはその一端が見えます。

 

 

image

近くにあった祠に「諏訪」「意波羅山三社宮」(→ミシャグチ=三社宮)とある。この祠から秩父御嶽山に登るコースがあり、その脇に意波羅山がある。意波羅、なのか、意和羅、なのか?この名前の謂れは何か気になるのですが、わからない。
イワラ……イーシュワラ…インド頭で考えすぎ!
ミシャグチの痕跡が修験(普寛上人)と重なり、稲荷と重なり、縄文の息吹を伝えている…………山が、歴史を伝え、記憶をつなげてきたことが分かる。

スゴイネ

 

 

以上

 

 

 

ひらめきを

おもひのなには

みさためて

ちにみてやすら

とわのいしづえ

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

 

 武甲山の丁目石

丁目石(ちょうめいし)は、昔の日本において街道や町の区画を示すために設置された石のことです。「丁目」は都市の区画を示す単位で、現在の日本でも住所の一部として使われています。丁目石はその区画を示すために道沿いに設置され、町名や丁目番号が彫られていることが一般的です。

 

江戸時代には、町の大きさや距離感を示す目印として重要な役割を果たし、特に大都市では頻繁に見られました。現在でも歴史的な地区や古い町並みを歩くと、当時の丁目石が残っていることがあります。これらは、昔の都市計画や街道の仕組みを知るうえで貴重な歴史的資料となっています。

 

武甲山の丁目石を、一番から頂上まで載せたいと常々思っていたので、今回やっと実行しました。が、数枚足りなかった。

足りない丁目は、ぼちぼち追加していく予定です。

早速、一丁目〜六丁目が無かったけど収録できました!

 

 

 

 

 

↓前回は七丁目からでしたが、壱から十丁目まで完璧

 

 

 

十一丁目の石は、行方不明だそうです。
台風の時に流されたみたい。捜索したけど見つからないとか。

 

image
 

 

 

十五、十六丁目も揃いました!

 

 

 

 しかし、写真の季節と年度がバラバラなので、劣化の激しいものとか、新し目のものとかごちゃ混ぜです。

 

 

 

 

二十五丁目も揃う

 

 二十六丁目の石積み

image

 

 

 

 

 

 

大杉の広場:三十三丁目

 

 

 

 

 

 

 

四十一丁目も収録

image

 

 

image

 

四十三〜四十五丁目も補充終了

 

 四十六丁目辺りに

武甲山の生きとし生けるものへの

慰霊を込めての塔婆がある

破壊で失われた命もあろうし
歴史もあろう
心もあろうと思う

 

 

 

 

頂上直下の水場…観音様が祀られています。

(未:四十八丁目)

 

(未:五十一丁目)

 

〜五十二丁目:頂上〜

 

頂上、御岳社

 

〜頂上の白鳥神社〜

 

 頂上

 

 

 

 

う〜む…19個の石を撮り残しています。。。

また登るので、追加されたらお知らせします。

 

全体の風景:冬 琴平ハイキングコースから

 

 武甲山は、破壊の激しい山ですが、これほど愛されている山もないような気がします。登る人たちが、祈りを込め感謝し願い、地元の人には日々生活の中に見上げる山として存在します。

秩父の歴史を見守り、信仰を支え、ある人には利権の、ある人には感謝の対象。

ここまで破壊され、なお人の生活を支え続けた慈悲深き山。

観音霊場、秩父の象徴としてこれほどの存在はありません。

ただただ感謝。

 

 

 

 

いにしえの

かげささやきて 

ここになと

ときは名枯れり

おもひもせずと

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

 

続きです

多分、前回よりも難解でワケワカメ回なり

難しいトピックを難しいままに笑い泣き

わかりやすく説明する能がない汗
 

 世界が言葉によって生まれる過程

「言葉の四階層(四種のヴァーク)」は「思考・言語・世界」がどう生まれるかを心の内部から解剖するインド哲学の理論です…

 

今回は

    1. 四階層それぞれの内的体験

    2. 「言葉がどう分解され生まれるか」

    3. マートリカーとの関係

を軸に、できるだけ立体的に見ていければな、と

 

四つのヴァーク(Vāk)とは何か

インド思想では、私たちが発する言葉は「最終段階」で氷山の一部に過ぎず、その背後により深い三つの層を観ます(以下、前回と同じ説明)

image

重要なのは、

>上から下へ「分化」する流れ

(言霊学で言うなら、ウ>ア:ワ演繹法ニギテ』

> 下から上へ「回帰」する流れ

(言霊学て言うなら、 ア:ワ>ウ帰納法『オキテ』

の両方があることです。

言霊学の宇宙剖判(宇宙開闢)

① パラー(parā)→言葉以前の言葉

● 特徴

・音がない(沈黙の流れ)(…スの神?○)

・意味も形もない

・主体と客体が分かれていない(言霊学のア:ワが未分化)

>>>ここは「言葉」というより「意識そのもの」

● 体験的には?

・深い瞑想の静寂(ラマナマハリシの言う「沈黙の流れ」)

・何かを「言おうとする前」の完全な充足

・意味がまだ「分かれていない」状態

>>>タントラではここを

    para-vāk = brahman ブラフマン(梵)

 自己認識と呼ぶ

 

② パシュヤンティー(paśyantī)→「見る」言葉

paśya = 見る

〜音ではなく、意味が“見えている”段階〜

● 何が起きているか

・言葉になっていない

・が「何を言いたいか」はすでに明確

・音節も文法も未だない

…例えるなら…

    頭の中に意味の塊が光として立ち上がる感じ?

 >>>まさしくコトタマ→光=霊(ヒ)が閃く

 閃きすなわち雷=>幣束>image

 

● 哲学的に

・主体と客体が分かれ始める

 >言霊学でいうア:ワの剖判(宇宙の開闢)

・世界が「像」として立ち上がる最初の瞬間

・マートリカーが芽生える前夜笑い泣きなにその詩的表現

 

③ マディヤマー(madhyamā)→分解される言葉(核心部)

madhya = 中間

> 内側で鳴って(=成って)いる言葉

● ここで起きる「言葉の分解」

パシュヤンティーの意味の塊が、ここで初めて分析・分節される

 >分解のプロセス

    1.    意味が

    2.    **語(pada)**に分かれ

    3.    語が

    4.    **音節(akṣara)**に分かれ

    5.    音節が

    6.    **マートリカー(音素)**になる

つまりマートリカーはここで本格的に働き始める

● 体験的には

    •    心の中で独り言を言っている状態

    •    声に出していないが「文章」がある

    •    論理・文法・時間が現れる

カシュミール・シヴァ派では

    madhyamā = māyā マーヤーが最も強く働く層

(マーヤー…幻なんだ…びっくり

 

④ ヴァイカーリー(vaikharī)→音になった言葉

vi-khṛ = 分けて鳴らす

● 特徴

    •    声帯・呼吸・口腔を使う

    •    物理的音

    •    他者に共有される言葉

ここで言葉は

    •    完全に時間化され

    •    完全に外在化され

    •    誤解・ズレが生じる

しかし同時に世界を実際に動かす力も持つ

びっくりハァァ〜ムズすぎてタメ息

image

沈黙(存在>ただ在る状態)

  ↓ parā

意味の光(ひらめき)

  ↓ paśyantī

内語・文法(意味として出来上がる)

  ↓ madhyamā

音声・文字(外在化?)

  ↓ vaikharī

 

この「下る流れ」が宇宙創造(sṛṣṭi)であり、逆に発声の背後を源にたどる

→ 内語を沈める

→ 意味を溶かす

→ 沈黙へ

この「上る流れ」が解脱(mokṣa)といわれる(仮)

 
へ〜っっ???😱オドロキ😱モークシャ?…?ここまでくると凡夫には想像もつかない修行者の世界…😵

 

マートリカーとの決定的関係

    •    マートリカーは「分解の女神」

    •    意味を音素へとほどく力

    •    世界を「言えるもの」にする母

しかし同時に>言葉に分けるから、世界は分離する<なので修行ではマートリカーを否定せず、理解し、超える。

 

最後に

カシュミール・シヴァ派ではこう言います

「沈黙」は言葉の否定ではない

言葉が完全に統合された状態である

image

ゆっくり呼吸をしてみよう

きっと今までとは違う世界が

 

 

しぐさのて

ここにあらわれ

いつきみて

なくやこの世の

いくさまありて

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

今回ガチでインド哲学と言霊学

自分のメモのために書く…

読む人はムズイの覚悟してね

 

 サンスクリット語「マートリカー」(मातृका / mātṛkā)字母について

 

サンスクリット語=梵語(仏教で専門用語に使われたりする言葉>インド起源)の「マートリカ」と言いう言葉についての深掘り解説の回です合格

はじまりはじまりぃ〜

image頼まれてないけどぉ

 

「マートリカー 」は文脈によっていくつかの意味がある。語源を説明すると…=>mātṛkā mātṛ(मातृ, 母)に縮小辞 -kā がついた形で、直訳すると「小さな母」または「母的存在」となる>日本語の「母音」と重なるような気がしてマス…ニヤリ

⌘ 宗教的、神話的意味

ヴェーダの韻律が神格化された

ガーヤートリ女神の絵

インド神話で「マートリカー神軍>Mātṛkās」=>「母なる女神たち」として知られる七柱または八柱の女神たちがいる。

八柱なんだびっくり

 彼女らは神々の女性的エネルギー(シャクティ)を象徴し、悪を滅ぼす役割を担う→インドではしばしば強烈な個性の女神が悪魔を倒す物語が散見されます…(別トピックね)

(各マートリカー=「字母」は特定の女性神の力=シャクティの顕現)

⌘ 言語・哲学的な意味

>音や文字を意味する「母音・母なる音」としての文脈ではmātṛkā はサンスクリットの音節(特に母音や音素)を指すこともある。音は万物の母であるという観念から、言葉=ヴァーク…宇宙の根源的な母性原理として理解することができる。特にタントラ文献では、サンスクリットの50音(マートリカー)=神聖な音の母たちとされ、曼荼羅や身体(チャクラ)に対応している。

image

まとめると、一般語「 小さな母、母のような存在」 mātṛ+kāと

神話 女神群「マートリカー」 神々の女性的側面とタントラ哲学 音・文字・言霊の原理 「音は母」という思想がこの言葉にはある、ということになります…。

 

この「マートリカー=音の母/言葉を生む原理」というタントラ的解釈が特に面白いのでさらに深掘りすると───

 

「言葉=宇宙の創造原理」を象徴する非常に深い概念になる…

言葉は宇宙創造の根源

「ハジメニコトバアリキ」

 

⌘ 〜基本観〜「音は母(मातृ)」という思想

インド哲学(特にタントラやカシュミール・シヴァ派)では、

宇宙の根源は「意識(シヴァ)」と「力/エネルギー(シャクティ)」の相互作用によって展開すると考える。このとき、シャクティ(エネルギー)の最も微細な形が

 

(nāda)→言葉(vāk)→文字(mātṛkā)

 

へと展開していくと説く。つまり…

 音と言葉は、宇宙の母(mātṛkā)それらが世界を生み出す「母胎」…胞衣(えな)ですな!照れであると。

⌘ マートリカーは「言葉の母」=言霊の源

サンスクリット語では「マートリカー」は音素(phoneme)や文字(akṣara)<<<を指すことがある。

>>>アクシャラ(akṣara)=文字のトピックは言霊学と繋がりそうで、ワタシ的にすごく注目してる部分

特にタントラではサンスクリットの50音(अ〜ह)は、それぞれが女神=マートリカーとして人格化される。この思想では

 *各音が宇宙原理(タットヴァ)と対応

 *人間の身体(チャクラ:ナーディ)と対応

 *声を発すること=宇宙を振動させる行為!びっくりなんですってっ

という構造が成り立つのでした…

 

⌘ カシュミール・シヴァ派における解釈

特にアビナヴグプタ(Abhinavagupta, 10〜11世紀)の体系では「マートリカー」は単なる文字ではなく、意識の振動(spanda)によって現れる創造的力とみなされます。

 *シヴァの静的な意識が「ナーダ(音)」として揺らぎ

 *その振動が「マートリカー(文字・音素)」として具体化

 *そこから宇宙(名称と形なーまるーぱ)が生じる

るーぱダヨ

つまり、マートリカーとは…

 無限の意識が

言葉という形で自己表現する

最初の段階

言霊と同じ思想じゃん!!!

image

 

⌘ 哲学的意味>マートリカーを超える

一部のタントラ経典(例:Mālinīvijayatantra)では、

修行の目的は「マートリカーを支配し、超える(mātṛkānyāsa・mātṛkāmochana)」こととされる。これは、

 言葉(思考)という構造に

囚われない純粋な意識に還る

という実践的な教えを表す…

「言葉」は世界を生む母でありながら、同時に幻影(マーヤー)を生み出す母でもある───マジか?びっくり

したがって修行者は「マートリカーの力を知り、超える」ことによって真の自由に至るのですと…

おぉ修行者の諸君!頑張ってくれたまえ!笑い泣き

「マートリカー(言葉)を超える」=沈黙の意識への回帰

→「沈黙」についてはラマナマハリシの本を読め!じゃないと、ここで説明していることがチンプンカンプンだと思う

 

 マートリカと身体(チャクラ)

 

ここからは、宇宙論だけでなく「人間の身体と意識の構造」に関わる内容になります。。。

 1. マートリカー・チャクラ(मातृका चक्र)

「マートリカー・チャクラ」とは、サンスクリットの五十音(अ〜ह)=マートリカー(言葉の母)が、身体や宇宙のエネルギー構造に対応しており「宇宙の五十音は全て人間の身体にある」「身体そのものが神聖な文字の曼荼羅である」というタントラの基本思想。

 

2. 五十音と身体の対応

タントラ文献(特にカシュミール・シヴァ派やクンダリニー・ヨーガ系のもの)では、サンスクリット五十音は、脊柱を中心に配列されるとされるのだそうです。

つまり五十音=宇宙の展開過程でもあり、同時に人間の内部における「意識の上昇過程(クンダリニー覚醒)」とも対応します。

 

3. マートリカー・ニャーサ(मातृका न्यास)

サンスクリット語「ニャーサ」 nyāsa →「置く、配置する」

儀礼的には聖なる音(マントラ)を身体の特定部位に「置く」ことで、その部分を神聖化する行為

マートリカー・ニャーサの内容

50音(マートリカー)を身体の各部に順に「置く」その際自分の身体=宇宙の縮図(ピンダ=アンダ)であると観想する。結果として、修行者は「音の母(マートリカー)」と一体化し、言葉の束縛から解放された純粋意識を体験するびっくりすげ

>コトタマ「ウ」からスの神に還る感じみたいだよ

この儀礼は、単なる宗教儀式ではなく「音と言葉(ヴァーク)が現象世界を生む構造」を、自らの身体を通して“再現・統合”する行為とも言える汗いや、この知識はマジやばいかも汗

→「現象世界を生む」ってとこ、言霊学の父韻の動きからイザナギ:イザナミが「いざっ」と、現象を生むのとおんなじだよ〜汗汗汗

 

 言葉(ヴァーク)とマートリカーには四つの階層

パラー(parā) 超越的言葉(沈黙) シヴァの意識そのもの

パシュヤンティー(paśyantī) 「見る」言葉(直観) 意識の最初の振動

マディヤマー(madhyamā) 内的言葉(思考) 言葉が心に形成される段階

ヴァイカーリー(vaikharī) 外的言葉(発声) 音声として現れる段階

「マートリカー」はこの中の マディヤマーヴァイカーリー の領域に関わり、言葉を発する前の振動段階を司っている女神的原理ということになる…と。

修行者が「マートリカー・ニャーサ」を行うのは、この振動を内側から純化し、最終的に パラー=沈黙の意識 に還るため…なんですと。

意味不明ながら

なんか凄そうみたいな笑い泣き

 

この記事で、神道の『警蹕』という音による結界とインドの聖音を関連づけて書いてますウインク

 

まとめ〜概念 意味 対応〜

マートリカー→言葉・音の母、宇宙を生む力 五十音:女神たち

マートリカー・チャクラ→身体内の音の曼荼羅 チャクラ・ナーディ

マートリカー・ニャーサ→音を身体に配置する修法 

「音=宇宙」の体験

修行目的>言葉を超えた沈黙へ

     意識の統合

    (シヴァとシャクティの合一)

 

 

密教の秘儀みたいな感じになっちゃって大丈夫かコレ。実は逆に到達への障害となる知識じゃないかとも思ったり……だから好奇心はやばいんだよ……とか言いながら、まだ続きます。次回。

 

これも合わせて読んでみてね

 

しぐさのて

ここにあらわれ

いつきみて

なくやこの世の

いくさまありて

 

お粗末です

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

 

😅テレパシーシリーズ😅​​​​​​​

考えてみれば

「空気を読め」ってくらい

不条理なことあるのだろうか…

そもそも見えない味ない匂いない

(匂いはあるかも?)

五感で捉えがたい空気

空気を読めとはテレパシーを使え!

くらいの無謀な話だと思うのだけど…

image

そういうことを平気で要求する日本社会って何?とか思う。空気を読むのは大事⁈!?……

 

「空気読めよ」=無言の圧力

これを是とするか否とするか…読みすぎるのはダメだけど、読まないのもダメ。要するに、タイミングとか流れの背景、全体のエネルギーがどうなっているのかわからないと、命の危険さえあるのが「空気を読む」能力…それは「会話はコンテクスト」

ということを、どれだけ理解してるか。日本とゆー特殊社会で生きる必須のスキルが、空気を読むスキルだったりして…😱ヤメテ〜

 

 

 同調圧力

日本では空気を読めない人は排除する、っていう、ものすごい見えない力が働いている社会。でも、読めないのと、読むのを敢えて拒むのとは違う。この、同調を敢えて拒む勇気が、バランスを生む。。。。ということもあるよねー

 

 

image

 

空気=雰囲気みたいな?

空気=テレパシー見たいな?

重要なのは

空気が正しいわけじゃない!

ってことね汗びっくり汗汗

正しい正しくないなんてそもそも確定していないのが世の常。それを、その場だけの正義を振りかざしても仕方ない場合もある。だけど、空気を無視してしまうのも大きな問題を生む。難しいんだ、このトピックは。。。。

 

 

 コンテクスト

 

空気や雰囲気をコンテクストと呼んでもいいと思う。コンテクストの語源を調べた。

ラテン語「 contextus 」に由来。

これは動詞 contexere から来ていて、

• con-(共に、一緒に)

• texere(織る、編む)

「一緒に織り上げること」「織り合わされたもの」

なんと、やはりここでも「編む」=テキストがくるんだね〜

言葉と「編む」という表象は綿密につながっている。

 

 

 言葉と、編む、の掛け合わされる単語はいくつかあって

編纂 編集 編成 編曲 編制 詩篇 長編 短編

エトセトラ…

 

 

テキスト=編む…から発展して、

• 文や言葉が「織り合わさって意味を作る」→ 文脈

• 出来事や状況が「絡み合って意味を持つ」→ 状況・背景

 

という今の「コンテクスト」の意味になったそうです。

 

少し詩的に言えば、コンテクストとは「意味の布地」のようなもの………カックイイ!!! 縦糸と横糸、世界と人が織り合わさって意味の世界が(布が)生まれる(織り上がる)美しい!!!

 

織りもの好きです
ダンボールを使って
織ってみたヘンプのマフラー

や、編み物

 

 

 

 遅ればせのご報告

 

4月5日、ささやかながら今回も言霊学やインド哲学のお話と日本の裏歴史含めてめてお話しさせていただきました。10名ほどでしたが、拙い私のおしゃべりに付き合っていただきありがとうございました。
知らないことを教えてもらったとか、難しかったなどのご意見賜り、反省しつつ次回があるなら役立たせていただこうと思っています。感謝ラブラブ

 

 

---------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

 

↑どんなスピタイトルじゃよ↑

コトバのことを深ぼりしたいだけ

コトバって考えれば考えるほど不思議で、ヒトはコトバを普通に使うけども、じつはソレ異常にすごいことなんじゃないか?って、あらためて思い始めてて(→赤ちゃんは天才だ、のトピ)…っっっってばさ、実はあたしらテレパシーで会話してるんじゃないの?なんて妄想が

ラブラブ$#)&%%$P+*R"#ラブラブ

 

 

 コンテキスト(Context)

最近、語学とか日本語について

話してるYouTubeをハゲシク

楽しんでいる

究極、ニンゲンてばさ

言葉では会話してない?

とか思う

みんなテレパシーで会話

してんじゃね?みたいな

ふふふ妄想じゃよ

「コンテクスト」って英語があります。文脈とか、背景とか状況と訳されます。これがね、意味深すぎてクセモノ…「文脈」「背景」ですよ「状況」ですよ。エ?って思っちゃう。

ヒトは言葉じゃくて文脈で会話してるって話。会話の「流れ」や、その流れの背景にある関係性や、地域性や、信仰(日本なら神道とか仏教とか)も含めて、それらの上で〜踊るように〜会話してるってことでしょ!

人生はダンスだ!

 

YouTubeのショート動画であったんだけど、コンビニで店員が「ッッッシャイセ」って言う。コンビニと店員と入ってきたお客という状況(コンテクスト)が無ければ、「ッシャイセ」は普通なんのこと言ってるのかわからないはず。だけど、わかっちゃうこのオカルト!(この例は日本語特有の省略文化らしいけど)年末のアメ横では「ッシャイセ!ッシャイセ〜」と聞こえるんだけど略しすぎでしょ。誰がわかるの?わかるんだよ〜!えーんエモい〜〜〜ッッッ

 

・『ノンバーバルコミュニケーション』

会話とはコトバ以外での意思疎通が大部分なのだ、という話もあります…手振り、身振り、表情、声色、つまり、言葉以外でのやりとりの方がたくさんの情報を扱っている…だからネット上の「言葉だけ」のやり取りでは、たくさんの情報がこぼれ落ちてしまい、炎上、誤解、曲解、うっかり、魔変換が蔓延したりするわけですな看板持ち

 

 

欠けている情報には、体温や匂いなどの五感や、見えないオーラも関係しているんじゃないかとさえ思う…だからね、テレパシーなのよ。わははは!爆笑

普通の会話もテレパシー能力使ってるとしたら、人間ってなんやねんって感じやね。赤ちゃん時代は最もテレパシー使ってた時代だ。きっと。人間に、もともと備わっている「感応力」逆に言えば、その力がないと、会話すら成り立たない。コンテクストの奥にあるもの。背景の奥にあるものを理解する能力。

 

そして言葉を成り立たせているもの

それは✨「意識」✨

意識は「光」に、例えられます>それがないと見えない、観えない…認識できない。モノコトを照らしているのは意識の光。これはインド哲学の教え。

サムネイル

 

意識のない人とは会話できない>気を失ってるとか寝てるとか(!!!)当たり前のことではない。

つまり、意識を抜きにして、心を抜きにして言葉を、会話を成り立たせることはできない。『唯心論』?ってわけでもないけど。

 

とは誰の言葉だったか…

 

当たり前と言っちゃあ当たり前だけど、当たり前なことは「無意識」になってしまいがち、これを再意識化して自覚して使え!そしたら、この世界はマトモになるやも?

 

 

あ足り真へ

みつめなおして

ただずまい

張れやかさかん

ひ十理すず鳴り

 

すいません😢意味不明ス😱

 

 イベント告知

ほそぼそ〜ッッとまったり言霊学やインド哲学周辺の「心のはなし」をします。参加費無料で超ゆるゆるムードのお話会です。お隣の部屋ではスピイベントしてます(ヒーリングとか色々)

 

4月5日(日曜日) 13:00〜 入場無料

西武新宿線 上石神井駅 南口徒歩5分

ゆめみらいかふぇYumemiraiCafe

(カフェは休業中)

練馬区上石神井1-11-13

 ファイルがうまく変換できなくて

画像が荒いのですが↑

チラシはこんなです

 

私の顔でも見てやろう、みたいな奇矯で気狂で暇で近くにお住いの方はふるって!おいでください。

古事記の神代紀

百神の話とかする予定

(予定なだけかも)

 

 

---------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村

にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

 

 心=言葉?

 

心と言葉の関係を考えていて

全くわからん…

言葉のない世界にいる赤ちゃんの事を書きました ↑

赤ちゃんの心と大人の心の決定的な違い、それは言葉を持っているか持っていないか……

言葉のない世界のことを、言葉でいくら思考してもわかるわけがありません。思考が言葉なんだから…汗

そこに、赤ちゃんから大人になる過程のミッシングリングがある。それが何か、わかるようでわからない。言霊を勉強していて、言霊の中にその答えがあるのは見えているのに、それは言語化ができない世界。だからそれを言霊学では「高天原」というのかもしれない。。。

 

>>>古事記「千引きの岩」で分かたれた二つの世界

黄泉国高天原

それは不可侵の領域という…

言語化できないものを言語化しようとしても徒労に終わるだけなのかもしれない…

でも、知りたい。知りたいというか納得したい。

心理学で「幼児期健忘」というのがあるらしい。幼児期のことを忘れてしまう現象。記憶の倉庫にしまわれた世界。

これがミッシングリングかも?

稀に、出生児の記憶のある人がいる。有名なのは三島由紀夫。自分が生まれてすぐに産湯に浸かっているのを覚えていたそうだ。

それは、大人になって言語化した後の言葉。

でも、言語を通じて伝わるものもある───

物語や小説、詩や文章で、作者の心の世界を垣間見る。

不思議だよね。不思議すぎる。

 

 

 

というわけで、そんな不思議がる私のお話会だよウインク

 

 イベント告知

ほそぼそ〜ッッとまったり言霊学やインド哲学周辺の「心のはなし」をします。参加費無料で超ゆるゆるムードのお話会です。お隣の部屋ではスピイベントしてます(ヒーリングとか色々)

 

4月5日(日曜日) 13:00〜 入場無料

西武新宿線 上石神井駅 南口徒歩5分

ゆめみらいかふぇYumemiraiCafe

(カフェは休業中)

練馬区上石神井1-11-13

 ファイルがうまく変換できなくて

画像が荒いのですが↑

チラシはこんなです

 

私の顔でも見てやろう、みたいな奇矯で気狂で暇で近くにお住いの方はふるって!おいでください。

古事記の神代紀

百神の話とかする予定

(予定なだけかも)

 

 

-------

マンガやイラスト

キャラクターの製作

承ります

ご相談くださいね

 

*管理人の墨絵の作品集*

*ハンドメイドクラフト*

クリーマのページ

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分探しへ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村