前回の続きみたいなトピック

「マツリこと」考えてみた!

 

明け方の夢うつつに

〜まつりの意味〜が思い浮かんだ

その考えが「なるほど」だった…

選挙もあったし政治にも絡む

 

 

 マツリコト

 

「マツリ」を考えていて「間を吊る」まではわかったけど…それが何?という感じでした。その本質が見えない。お裁縫の「まつり縫い」もヒントだったけど、これだ!とは思わなかった。

まつり縫い

──男子で「まつり縫い」と言われて、あぁ…と思う人はあまり居ないと思うけど…、これを読んでいるあなたが男性としたら、まつり縫いを実際にしてみると「まつる」の意味が相当深くわかってくると思うよ。うん。ま(間)のある布を糸で吊ってあわせる、あつめる、まとめる、そんな感じなのだ。あれが実に言いえて妙。間を吊る──マツリとは、間を詰めてまとめる…だから政治〜マツリゴト〜とは、何かひとつの共同体がまとまっている様子ともいえる>国や地域や町…

 さらに

「祭」も、バラバラな人の心を合わせてまとめるものなのか?などと思いました。祭の意義って、コミュニティの維持や、人の輪を取り戻すみたいな、心の間を詰めてまとめる事が本質にあるのかもしれない…って思いました…

川越祭は秋の収穫祭

人がまとまるために集まる

 

 

 まつろわぬたみ

 

以前から「まつろわぬ民」という呼び名が気になっていました。まつろわぬとは、大和政権が地方の人たちを勝手にそう呼んでいたわけですが、それはヤマトという共同体にまとまらない人たちのことと解すると、なるほどと思うわけです──その人たちから見れば「釣られてたまるか」と思ってたよそして私の想像するに、そういう人々は大きな集団を作らず少人数の同族集団で暮らしていた(宮崎駿監督の「もののけ姫」でアシタカが属していた村みたいなやつ)──彼らが祀る神は祖先神祖神オヤガミともいう)それぞれの昔語りを持ち、神話をもっていた。だから、大きなまとまりの(大和政権の)祀る神も神話も違うから、まつろわない。中央政府にまとまらないからと言って、何も悪いことはないはずなのに、人間というのはまとまらない者を放ってはおけなくて侵略とかしちゃう…

オニといって追いやられた

この島国に古くから住む人々がいた

イケメン風オッサン鬼

 

 秩父という場所

 

秩父にはたくさんの神とたくさんの祭りがある。夜祭りは有名だけど、四百を超える祭りが秩父地域にはひしめいているらしい。なぜかというと、日本中からの流民…漂浪の民が、この山奥の盆地に流れ着いて住み着いているから。地形的などん詰まりの場所である秩父は、西や東や北や南から色々な人たちがそれぞれの神を持ってきて祀って暮らしている。だから祭りの数も多い。住み分けが、なんとなく出来上がっている不思議な場所。まつろわぬ民たちも多く流れてきていると思われる…

───「日本という国」の雛形?????😅

山に囲まれた盆地の秩父

荒川が一旦北に向かい

寄居町で南下して

関東平野を流れ下る

 

 

 この島国に流れ着いた人々

 

この島国には、大陸からの様々な文化民族物語が流れ着いている。海洋民族騎馬民族職人商人宗教者王族貴族たちが新天地求めてとか逃避行とか薬草(蓬)を探してたり色々な目的でやって来た。これまた、それぞれ流れてきた者たちは住み分けを上手にして暮らす。たまに大きく争うこともあるが。概ね、不思議な距離感を保つように自然に暮らすようになって行く。

秩父はそんな日本の雛形と思う(……という話は度々、チチブ友と話題にする)だから、秩父が変われば世界が変わる、と、内輪受けの話で盛り上がる。笑える話。だって、本気でそう思ってるんだから。

image

 

山の中にひっそりと

お天狗様(秩父横瀬)

秩父はなんと言っても

オオカミ信仰(釜伏奥宮)

諏訪信仰はたくさんの支持を受けて

あちこちに祀られている(群馬)

忘れ去られる神もいれば

時代にもてはやされる神もいる(両神)

 

 

祭は大切

祀りも大切

まつりごとも大切

心の輪を取り戻す

 

 

 日本は、神域が人の暮らしのそばにあり、精神性を保護した。そこにはコミュニティを支えるシャーマンがいたし(村の顔役、知恵者、賢者も)争いごとを収め、婚姻を祝い、出産を助け、悩み事によりそう賢い老女や翁が尊敬をあつめていた、と、想像する。だから、争い事は少ないし、秩序が保たれていた(過去形🤣)

 

ありすぎる秩序も問題になる😅息が詰まっちゃうよね😅こともあるけど、そこは漂浪民が流れてきて(サンカとか歩き巫女とか高野聖とか)コミュニティに新しい息を吹き込むシステムもあったはず…と、思われる。

 

またまたimageしょうもない 

ことばかり考えてる

るーぱでした

 

 

 

まつりこと

わとなりまはり

たちかはれ

よきまあいつり

ながれおさまり

 

 

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最近「アーク」=聖櫃の探索を

リモートビューイングで行った…と

いう都市伝説の話題を知りました

リモートビューイング…

なつかしいなぁ

 

 

 神降ろしはふたりひと組

 

リモートビューイングは神降ろしの一種だと思われます(私的解釈)

 

リモートビューイングとは、封筒に入った「ターゲット」と呼ばれる目標の事物をビューアーが当てる…というゲームめいた感じの超能力実験です。これをふたりひと組で行います─→神降ろしと呼ばれるものもふたりひと組です〜ひとりはは神託を受け取る依代ヨリシロとなり、ひとりはその神託を精査する審神者サニワという役割〜

どちらの人にも、カンナギ『覡』=巫としての能力が必要みたいです。とはいえ、この実験は超能力に無関係な普通の人も能力が開花されるという触れ込みで広まったものだったかと🙄たしかね🙄

ここでは、ビューアーではなく、封筒を持った側の能力が優れている方が、結果が良いと聞きました。なぜなら、空中に広がっている情報を導き出すロートのような役割が、封筒を持つ側にあるからとか……導き出す方が重要と……?う〜ん、わかるような気もする…神降ろしで言ったら、依代より審神者の能力が問題である、ということですね…

「ロート」ですかぁ

 

 琴弾きと神降ろし

 

神降ろしの一例として、古事記のエピソードを挙げてみます───仲哀天皇が琴を弾き、神功皇后が依代となり、武内宿禰が審神者をした話です=>

「天皇御琴を控かして、建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひき。ここに大后神をよせたまひて、言教へ覚し詔り給ひしく〜云々〜」

神功皇后

 

琴を控(ヒ)くとは「言を引く=言葉を引きだす」に通じています。ここでは琴を弾くことで、言葉(神託)を引き出すのが「神降ろし」……

古来の「琴」は
知られている箏と異なる

 

神の言葉を下ろして国の方向を決めるという古代の天皇の政治。天皇の役割は神官ですから、神ごとをする人のトップという事になりますよね。その役割は、国を動かすための祀り事(マツリ言)になります。どこまでも言葉が大切ってことですね!

天皇の言葉を「ミコトノリ」と言いますが、それは(ミコト)宣る(宣言する)ことであり、命とは御琴を弾く人すなわち天皇のことを指す。みこと、とは「御言葉」>命が御琴を弾いて御言を降ろす。なんじゃろうなダジャレみたいな話ですが笑い泣き日本語ってこういうものなんですから仕方がない。

image

それでは日本語の「コト」って何?って話になる…この概念は難しい…「出来事」などとも言い表すように、コトとは事象、現実のこと、現れ出た世界の全部みたいです。難しいね。

いま、周りを見回して、そこにあるものは全て「コト」である…みたいな???コトがコトになってコトで落ち着いている…

???imageえっと〜

「事のはじめ」には言葉が先駆けとなって「事が起こる」聖書にも最初に言葉ありきとあります🧐何かを始める時には必ず言葉で考えている🧐その言葉を清めるために祝詞とか唱えるわけですね!

 

事があるのは言葉があるから。目に見える世界の前に、言葉が先にあるっ。それはつまり、目に見える世界の前には心があって、心に紡がれた言葉によって、世界が定まっているという摂理?原理??土台???を教えているのかもです。

難しすぎて寝ちゃいそう😴😴😴zzz…

 

 日本語の「コト」

 

・事なきを得る

・事による

・事に臨む

・ことほぎ=言を祝う

・ことわる>事を割って(言を割って)元に戻す

・ことわざ=言の技…言い当て妙❣️

「コト」って難しいけど、こうして単語を並べて行くと、なんとなく「コト」が見えてくる様な気がします。不思議。

 

難しくてさぁ知らないんだけどぉ

知ってるからぁわかるのよねぇimage

 

っっっっていうのは、人は母国語には無意識だから…なのですがね。使えてしまっているので、疑問に思わないのが言葉の不思議です。赤ちゃんは自然に言葉を覚えていきます。先生はいません。おかあさんやおとうさんや周りの事象を観察して、自然に言葉を覚えてしまうという、偉大な能力を赤ちゃんは持っている。成長と共に身につくので、苦労してないから、自覚がない。自覚がないので、言葉に無意識。その無意識が作り出した世界が、いまの世界。

こう考えると、人間とはなんと無責任なのか…

image←えらそう

この無意識は一体どこが始まりだったのか…、というインド哲学の命題がありますが、…それには始まりがない…、と教えられます。

なんですって、始まりがないってどういうこっちゃい…!文句を言いながらも、ずっとその琴を考え続けている自分がいます。琴でも弾きながら、事を考える。問い続けていると、何か見えてくるものがあるので、ひたすらしつこく問う。このしつこさが、通じるんだよね。

 

シゼンノコトワリ

を思ふ

 

 

都市伝説の話はどこに行った?

神降ろしは都市伝説か

それとも真実か

 

かみかかり

あわを「あわ」せて

とらまえし

ことのはしずく

みえなき撚り似

 

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お能の舞台の背景には

image

「鏡の松」

という松の絵があります

これは「影向の松」

〜ヨウゴウノマツ〜

と呼ばれるそうです

言霊学を学んでると、世の中のコトを全部コトタマで解釈するという脳の回路ができてしまいます…汗😵‍💫汗その回路で、能舞台の背景に描かれている「鏡の松」を解釈すると、言霊ウから言霊アとワが生じる様を松の葉で象徴しているのだと納得できます。

心の宇宙の別れていく様子は
松葉のようです
ここでは、鏡の松を「神の依代」として扱い、依代の意義とか構造とか、役割について考察してみたいと思います。

 

  依代いろいろ

 「鏡の松」は、神の依代となる木です。神が松の木に降りてきて舞を舞ったという伝説が能楽にあり、それから「松」が能舞台に描かれるようになったようです……しかし、神が降り来たる木とは一体何のことでしょう…?

 

幣束または「」〜ぬさ〜

下の写真は、祭りのご神体となるですが、ここににも神が降りてきます。神様にとって、目じるしとなるものって感じなのでしょうか?

これは秩父の夜祭で撮った写真ですが、祭の最後───山車の引き回しもお囃子も終わった後───厳かな雰囲気の中、神職による様々な行事がおこなわれます。それが終わったあとのものです。様々な供物が供えられ〜餅やら酒やら海のもの山のもの五穀などなど〜篝火がはぜる音だけか響く静寂の中、その雰囲気はなんとも表しがたいものがあり、神が依りついた幣は何かが違うと感じました。…これが、神気というものなのか…と、深く感銘を受けました。人知を超えたものは存在するのだと確信します。。。。🧐

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・岩戸隠れ神話

 日本神話では、岩戸に隠れた天照大神を誘い出すために、八意思兼神─ヤゴコロオモイカネノカミ─が知恵を出すシーンで、このように↓語られています。

「賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡と布帛をかけ、布刀玉命が御幣として奉げ持った」

伊藤龍涯 作 「天照大神」から

(※秩父神社の祭神はヤゴコロオモイカネ)

 

この絵だと鏡がよくわかりませんが、榊と鏡と幣(布帛)をセットにして「依代」としている図になります。

〜鏡と勾玉と幣と常盤木〜は、どれも神道では重要なアイテム(ちなみに、映画『倭文・旅するカジの木』でもこのトピックは扱われています!)

 

そして例えばこれも…石上神宮の「七枝刀」ですが、これも神の依り憑く器物ではないでしょうか?

image

 そう思って周りを見ると、それらしいもの〜神の依り憑くもの〜は沢山ある。日常使いの箸やまな板、糸と針、紐、筆、鈴に至るまで。これらは年を経ると付喪神ツクモガミになるようですが、もともと物には神が憑くという思想が根底にあるからでしょう。

 

・砂曼荼羅

以前、チベット仏教のお坊さまが砂曼荼羅を描くのを見に行きました。──お坊さまが何日もかけてとても微細な砂曼荼羅を描き上げていきます…

とても微細な作業で

ものすごい集中力を伴うものです

(集中が鍵なんですよね…)

 

出来上がった曼荼羅に、お坊様たちの祈りによって仏様を降ろす儀式が行われました。その儀式の後の砂曼荼羅には、これまた凄い神気を感じました…😵‍💫ビリビリと手で触れられそうなくらいの何か…😱実体のある神気です。物理的に何かがそこに居る…、という感じさえしました。こういう経験は滅多にありません。ただただ驚愕──

 

 

 ひもろぎ

 

相撲の土俵に埋める「しずめもの(鎮物)」写真

相撲は「神事」神事の場は「土俵」と呼ばれ、特別な場所となる。米や塩などの縁起物が供物として埋められる風習が謎すぎ…

 
サムネイル

 

これらのもの『依代となる器物』は「籬」ひもろぎと呼ばれます───

神籬ヒモロギ=神体>神霊が宿る器物

幣、榊、鏡、剣、玉…

image 

 

神奈備カンナビ=神域>神霊が宿る場所

磐座、巨木、山、島…

image image

 

お能の役者は、面を付けることで役と一体になる、それは神に依り憑かれること──ヒトが、神の依代となるのです(神がヒトに憑依する)〜自分であるもの(自我)を神に明け渡し、神が自在に体を操る、役者が神と一体になるに任せる。インドでは、バクティと言ったりする=>神への明け渡し

神の依代こそが原始の芸能だった…河原芸者と呼ばれた初めから、いやその前から、芸能は神降ろしの一部だった。猿楽、神楽、雅楽、能…神降ろしを担うのは、芸能の分野だけではない。むしろそれよりも古い歴史のある、巫女、かんなぎ、など名前は色々ですが……沖縄ではユタ、ノロ、東北では名取老女がおり、全国のあるき巫女、梓巫女、口寄せ巫女、イタコ、日本にとどまらず西洋にもメディウムという霊媒師やシャーマン、メディスンマンたちが、人の生活のすぐそばにいて、人の悩みや争いごとに助言や答え合わせに力を貸してきた。シャーマニズムという厚みが人類史の背後にある。見えない世界とのつながりを担う人々。

それが興味深い。。。

去年の10月、秩父で東北イネハポに講話をお願いしました。その時私のリクエストは「シャーマニズムについて語って!」でした😅つまり、この世では「巫女」と呼ばれる人たちがあの世の神託を伝える役割を担っていた。あの世とこの世。イハローカとパラローカ。。。。

つまるところ『呪』とは何か『巫女』とはなにか『シャーマン』とは?…『依代』は『神がかる』何かですが、一つの答えとして「あの世からの神託」見えない世界とこの世界とをつなぐ役割が「かんなぎ(巫)」であり「ひもろぎ」であると…

そして

『舞台』というのは、魔術めいています…

あの世とこの世を結ぶ、能舞台の「橋」そしての松。どれもこれも、呪術ちっく。

imageかがみ…

鏡は映るものと映っているもの

主体と客体がひとつとなって

補完するもの

カミとヒト

あの世とこの世

「鏡の松」の教えはそんなものかなと

  ア─主体映るもの

   (松葉)

  ワ─客体映っているもの

安易ですがimage

ちなみに相撲の鎮め物は
米、昆布、粟、かやの実、するめ、勝栗、塩

など七種だそうです。これも言霊学で解釈できます!笑!日本の伝統では結納品>長熨斗、御帯料(おんおびりょう)末広(すえひろ)友白髪、子生婦(こんぶ)寿留女(するめ)勝男武士(かつおぶし)家内喜多留(やなぎだる)も、さもありなん…

言霊の世界は語呂合わせの世界です!てか、日本語はもともと

ヒトモジで意味があるので、自然と語呂合わせになっちゃってアワアワ笑い泣き

 

相撲の話は思っていることが色々あるんだけど、またなんか思いついたら書きますわ〜

 

 

ひもろぎと

鳴りし合わ日の

かがみ依り

かみはそこなと

あらわれとして

 

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旅するカジの木

倭 文

しずり

…………

という映画をご存知でしょうか?

 

 

 樹皮の服

 

「倭文神」というのは、星の神『香香背男』=天津甕星アマツミカボシを倒したと言われる神の名で、織物の神です。→武葉槌神または天羽槌雄神ともいう…

 

映画の中では、工芸品の再現を縦糸に、神話の物語を横糸に、映画作品を織り上げています。なぜ、織物というたおやかなイメージのある神が、強い星神を倒せたのか?という謎。

もしかしたら、そこには女性というキーワードがあるのかもしれません。映画に出てくる三人の職人の女性は、その象徴。繊細な指先で糸を紡ぐ中に、しなやかで強い呪力が秘められていたとか???

想像しすぎ?image

オセアニアなどの南洋の島々では「梶」の木で作った樹皮服「タパ」といい、このタパを使った衣服を身につけます。その服には独特の紋様が描かれており、女性が顔に刺青をする文様と同じ文様を樹皮服に施します。まるで、服が第二の皮膚になるように。(オセアニアといえば、前記事の「マナ」にも通じます)

一枚葉の梶紋

諏訪の神紋として有名

諏訪のものは三枚葉

諏訪紋

 

梶の木の皮を叩いて伸ばし『鋸歯紋』と呼ばれる柄を泥の絵の具で描く。とても原始的かつプリミティブで神秘的な文様です。

 

梶の木の皮で服を作る文化は、環太平洋に広がっていたらしく。台湾の遺跡でも確認でき(→樹皮を叩く棒、紡錘車などが出土)太平洋の島々に梶が旅をしていた軌跡が見え隠れします。まさしく「旅するカジの木」……

秩父の諏訪神社にある梶の木

 

映画では、梶の木から糸を紡ぎ、文様を描き、古代の織物倭 文を再現していく。その過程の細やかさは、この島国のモノヅクリ文化の厚みをそのままに観る感じです。この文化の厚みこそ、この国の人々の心そのものを映し出しているような気がする。

 

 『紙布』の技

 

『紙布』と言い、和紙を2センチ幅(→間違えました2ミリです!)に切り、それによりをかけて糸にして布を織る。わざわざ紙にしてからそれを切り、布に織るとは……あまりに繊細な仕事に思わず声が上がりました。。。

 

天皇の即位式「大嘗祭」で献上される阿波忌部の三木家が織った布は、昔はなんと梶の木の布だった>DNA鑑定で麻ではないことを証明

てっきり麻だと…!image

 

 

 茨城の大甕神社

 

茨城の大甕神社には、倭文神に制圧された「甕星:カカセオ」が封じられた「宿魂石」があります。

映画では、この神社のあたりが大和政権と蝦夷の戦いの最前線だったのではと語る。つまり星を祀っていたのは大和と敵対した人々。星を祀る神社は茨城や栃木に多い(埼玉の飯能にもあります)>つまり、星を祀るとは大和政権に争う人々がいたと言うこと。

image

 

 

 

ちなみに、倭文神シズリガミを祀る神社は「静神社」ともされます。山歩きをしていると静神社の祠を時々見かける…

 

 

 海の星=ヒトデ

 

映画中、オセアニアの人の話の中に海の星ヒトデの話もありました。海洋民族が太平洋を渡り、梶の種子を伝え、布を伝えたルートが紹介されましたが、なんとハワイも入っていました。すごいな、海洋民の広がり。

 

西陣織の大将は、漁の網でヒトデを絡め取るイメージで布を作っていました。それもまたありです。

 

阿波忌部が海洋ルートを辿って千葉にたどり着き、そこから茨城。織物の道があったのだと想像できます。シルクロードならぬ海のカジロード。古代の人の息遣いが

 

 

 

 

映画を見終えて、やはり古代の呪力か…と、思いました。

布そのものに宿る呪力、布に描く文様の呪力(形霊)、色に宿る呪力(色霊)

>ヌシが描く古代文様

日本の「祭」は呪力と関係している…

 

 

呪力こそは祀り

心が形になり色になり「アヤ」として織物になる

自主上映でしか見られない状態ですが、ご縁のある方には是非見てほしい映画です。

image

 

 

たづからへ

あわ戸つながる

ときはきき

あまつみかほし

いまかがやきに

 

 

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今回は言霊学のコアな部分

難しいトピックなの

テキトーにスルーしてね

imageよろっ

 

 マナの正体⁈

 

人類学だか民俗学だかによると「mana」とは、目に見えない霊的なパワーとする見解があるようだ(「マナ」は、太平洋の島々で見られる原始的な宗教において神秘的な力の源とされる概念。人や物などに付着し特別な力を与えるとされるが、それ自体は実体性を持たない。メラネシア語でマナは「力」という意味→ばぃwiki)

マナの宿っていそうな樹

 

聖書に出てくるマナ(イスラエルの民が荒野で飢えた時に神が降らせた食べ物。神が作った超自然的なものとされ40年間民の腹を満たした「これは何だろう」を意味するヘブライ語がマナと呼ばれるようになったという)

空から降ってきたマナ

 

マナという言葉は、ハワイ語、インドネシア語、スエーデン語、またフィンランド神話にもあり興味深い。

ハワイと日本、近くはないけど

文化的には遠くない

地質学的にも

秩父の武甲山はハワイの近くから

地殻変動により移動してきた

 

 

『野生の思考』構造主義で有名な人類学者(哲学者でもある)レヴィ=ストロースマナ「通常の能力・状態に宿る神秘的な付加要素」と規定する。面白い。通常に付加される能力??(レヴィ=ストロースは日本人を高く評価してるんは、なぜぇ?……それは、日本人が見えない世界と深く繋がっているから🤓日本語を通じてね…🧐)

 

サンスクリット語では「マナス」や「末那識」として知られる言葉の√manは、考える、思う、心で把握するなどの意味を持っている…「把握」と言うのが、言い当て妙。心の状態を把握するを真名と言うは…

膝を打つ!

 

このところ「マナ」を頭の中に並べて色々考えていたので……結論はないけど、見えない世界の話であることには違いない。見えない世界とは、心のこと。決して超常現象ではない。超常現象を生み出している大本、主体の心のこと。

 

・真名

・マナ板(真名板)

・マナコ(眼)

  まなざし>真名を指すとは?

・マナび(学び)>真名の霊かな?

・マナ(愛)>愛をマナと読むなんてどゆこと?

 

神社にもマナは宿る
自然の中にも

 

 

現象を作り出す真名とは

霊力や呪力 見えない力
image
これも呪力ね
image
 
image
光も
 
 

言霊学では「タトヨツテヤユヱケメクムスルソセホヘ」「ラサロレノネカマナコ」の二十八子音「真 名」とする。心の中で言葉が循環する過程を表す言霊(〜神名四つを含め…🧐

 

 

 日本語の霊力

 

【天津金木音図】として知られるアイウエオ〜五十音は(えっっっびっくり?知られてるの?)またの名を「虎の巻」「トーラ」「孫子の兵法」「六韜三略」とも言い、百戦危うからずの心の状態を表す音図。この秘法は、物質文明を席巻してきました。

そして、現象世界を司る神名としてはミケツカミや保食神、豊受大神などに喩えられてきました……

アレ?と思う人もいるかもですがimage

食を司ることは肉体を司ること、肉体を司ることは物質をも司ること、ミケツカミ、保食神、豊受神とされたのです=>喩えに使われたこれらの神名>喩えに使われるために古事記に神名として引用された>歴史と思って古事記を読むと、変なことになってしまう所以…歴史としても読めないことはないので更に混乱するという…

 

 稲荷信仰が現世利益なのは

 

伏見とか渡来系の秦氏にまつわる、呪術:占術:陰陽道:引き寄せの法則に見えるおまじない各種などは、なるほど、現象世界をいかに動かすかという秘法でもあったわけです>伏見とミケツカミの関係、ケツネ(狐)と豊受神などなど。

でも、金木音図を使っている秦氏や八咫烏、密教系や賀茂氏に

は金木以上の「太祝詞音図」

についての知識がない。。。。。。。。。。

 

長々と訳のわからんことを読んでいただき、ありがとうございます。これを説明するには心を知る以外になく、心を知るには外側の知識では無理なのでした>「語説不可得」「不立文字」

見えない心の世界を知るには、深く内側に入り込んで探らないとわからない。でも、おもてに出ている現象は、それを知る手がかりにはなる筈です。

インド哲学では、目を表から裏に切り替えるなどの記述がありますが [kathopanisad4-1ある賢者は不老不死を求めて、眼を(外界から)ひるがえし(外部とは)反対の方向にアートマンを観察した] それは決して説明できる世界ではなく…。これが心の世界「高天原」という場所の真実。世界のどこかにある場所ではない。

これを探すために何処かに出かける必要はありません。

ラマナマハリシは、これを真我の探求と呼びました。

image

 

いま、気になってることは「まなび」マナを日に晒すこと。

言霊の次元は「イ」と「エ」にあり、この次元まで登らないと言霊のことはわからないらしい。マナのヒに努めます。

 

 

 

 

まなひつと

コトタマてらす

みはれやし

あらわれいでる

ひかりいまここ

 

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興味が尽きない言霊のこと

 

image

無意識に使っている日本語のヤバさ

「まな板」ひとつにしても

エウレカ!

って叫びたい 

ギリシャ哲学で「エウレカ」は

アルキメデスが

叫んだとかで有名

私も叫びたい

マナイタッッ!って

違うだろimage

 

 

 

  コトタマ「真名板」

 

料理といえば「まな板」〜まな板は食べ物を作り揃える器具です。そして、神道の中で、食べ物の神といえば「豊受神」ではないでしょうか……

豊受神はミケツカミ(御食津神)とも言います。ご飯の神様とされます(→違う…😅)じゃなくて天照大神のご飯を司るために伊勢神宮の隣に勧請された神様として有名な神様。そんなで覚えるな!と、怒られそうではあるが…😅

伊勢神宮の縁起──それはそういう神話の物語として…神話が示すメタファーへの興味が尽きません。

 

 

東北イネハポがたびたびトピックとして扱う「保食神」も「ミケツカミ」で食べ物を司る…

ミケツカミの「ケ」が、食べる事を指すというのは、よく聞かれますが「食ぇ」が「クェ」→「ケ」になったとか言う……なので、漢字表記では「御食津神」となる。

 

重要なのは『食べ物』が何を例えているのか???ということです。

言霊学では、食べ物とは即ち『真名』である(→聖書にマナという食べ物が空から降ってくる、という奇妙な話がありますが、それってなんだよ!っていいたいよね)

『真名』を調理して、食べられるようにする?みたいな意味が込められた御食津神。

 

 

食べ物=言葉
神への捧げ物
祝詞も神へ捧げる供物
神とは内在する意識体
神に捧げる言葉は浄化された
清らかな言葉であるべき
…とかね笑い泣き「宣り直し」だね

 

 

さてここで「まな板」ですが。ご飯につきものな「まないた」>調理のためには、まな板で材料を切らなくてはいけません。切り分けて、食べやすい大きさにしたり、形を整えたりする。調理するためには大事な道具。これを「まないた」といいますが。これを言葉に置き換えたなら、言葉を切り分けて、形を整え、食事となす……「宣り直す」

って事でしょうかね?image

『真名』という心の中にある言葉を、分析して=切り分けて、食べやすい形に=理解しやすいようにする。それがまな板の役割としたら、言葉を分析して=思考を分析して「こういうものだ」と理解したものを天照大神に捧げる…「ぢゃあ、天照大神というメタファーが示す意味はなんだ?」って事になりますねぇ…。そもそも天照大神とは何ぞや?日本人にとってこれほど大切な神のことを、ほとんど何も知らない。

天照大神は日ノ神というが、太陽が私たちの精神の中でどういう位置付けなのかということも。全てを照らし明らかにする、それが言霊とも謂う…

 

言葉は概念でしかなく

おおむねにしか(概ねにしか=概念)

事象を表せないということをわかれば

言霊がどれだけ真実を照らすのかも自ずと知れる

その叡智を示すのが

天照大神という名の存在であるとしたら

「名」として出てきたものは

個々を照らす言霊

 

ラ サ ロ レ カ マ ナ コ

 

さて、意味不明になってきたところで
お開きっっっ!
ご静聴どうもっimage
 
 

みけつかみ

のりなおしから

とりたして

あまつはしきて

みそらのひらき

 

えっ!?

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今年の蔵と現代美術展

 

終了しました

とても評判が良く

やりがいがありました😊

 

次は来年5月の寄居展か

もしかしたら11月に蔵展?

未定ですけど

 

 

 コトタマをネタにするといろいろなアイデアが浮かび収拾がつかない…

今回の「蔵と現代美術展」の出品作品は、普段から色々考察してる「言霊学」をネタに製作したのですが。妄想が走りすぎてあれもこれも…と、出来が追いついてなかった気がします汗

なかなか表現しきれない言霊の世界ですけと

ちょっと味をしめてしまった

言霊〜呪術路線でやっていこかな〜笑い泣きなんて思ったり

コトタマ学からは外れてしまうかもしれませんがね…ニヤリニヤリニヤリ

 

神社の幣束は言霊学では父韻

 

コトタマ父韻の働きは

神社の幣束に表されています

こんな感じで

で。こちらは展示した作品。

image

 これは「雷の形」といいます

つまりイナズマ

〜稲 妻〜

image

言葉とは思考

思考とは言葉

思考は言葉でできている

精神は思考でできている

思考は心の中にある

心は言霊でできている

 

言葉を浄化するのが

天津太祝詞音図

 

言葉は多様に奔放に心の宇宙を駆け巡り

人は心の流れに翻弄され踊り続ける

 

 言ノ葉が はらはらと散らばる様子は

心の乱雑さのよう

それをまとめるのが五十音図

 

 

 

父韻が⚡️神鳴る…

 

 

 

というわけで

きっと次の作品も言霊です

 

ご静聴どうもっ

 

 

 

いなつまわ

とこしえはえる

むらくもの

こころひらめく

ためにあかして

 

お粗末です

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蔵と現代美術展開催中!

 

ぬしも参加中してるぞ

11月2日(日)〜11月16日(日)

街中アートです

川越の蔵造りの町並みの中にアート作品の数々

 

 

 

https://www.instagram.com/kawagoe.kurart?igsh=MXRjcXh3Nm5nZWg1Mg==

 

言霊を題材に

見るものとみられるものを作品に込めて

あなたとわたし

我と吾

哲学のトピックを作品に込めて

 

 

 

 哲学主題をアートで形に

 

なかなか言語化できないコトタマの世界だけど、アートならわけがわからなくても全然オッケーだよね!というわけで…

 

 インスタレーションで言霊学を作ってみた!楽しいッ!💕

 カタチ達の不思議なおしゃべり!

 聞いて❤️聞いて

 

 言ノ葉が はらはらと散る

 ほらほら…

 

 

フシギカタチのおしゃべり

 

2025秋

「コトタマの結界」

日本的な言霊の哲学を

アートに昇華して表現

コトノハの世界をカタチで伝える 

三十一文字(ミソヒトモシ)の言霊の道を

作品に込める

言霊に秘められた心のこと

我と吾

見るものと見られるもの

シニフィアンシニフィエ

あなたとわたし

表現者と鑑賞者

アとワ

スの神などなどの主体客体の哲学

父韻が⚡️神鳴る…

シニフィアンシニフィエの哲学
あなたとわたし──心の言葉
コトノハのおしゃべり

 

私の作品は街中8箇所ある展示場所のうち「旧山崎邸別邸」児童部屋にて展示中です

 

秋は芸術祭の季節

街中には

他のアーティストの作品もあります!

 

 

他の作家さんの作品たち

 

 

OSUMI Mika

 

HUJISAWA Eriko

 

 

SASAOKA Keihou

 

 

TAKANO Yasuhumi

 

YOKOTA Ryoko

 

MATHIDA Kanako

 

 

YANASE Toshio

 

 

 

 

 

 

というわけで

ピンときた方、おひまな方

川越で観光がてらの方

お待ちしております

 

ご静聴どうもっ

 

 

 

われとあれ

ひふみよとなえ

ももちたり

あまとひらくは

みちのことわり

 

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「言葉」と向き合う時

ふと気づくこと

例えば

実物の石と、石という単語には

なんの繋がりもないのだということに

愕然とする

うそッッッッッッ

 言葉を深掘りして見ると

 

実に、何十年も生きて言葉を喋ってきたのに、自分が話している言葉のことを何も知らないのだと気つく。

ソクラテスも言っている

「無知の知」と。

知らないことに気がつく重大事件。例えば、万有引力の法則だってみんなその法則に従って生きているにも関わらず、そこに固有の力を見つけることはなかった。でもそれを発見して言語化したのがニュートン。コロンブスの卵もそうかもしれない。

そして日々日常あまりに当たり前に使っている言葉というものの不思議。それを掘ると、人間の存在・『意識』・私はだれか?という主題の、恐ろしい深淵を覗くことになる。。。。

………………………コワイ

 

 

フランスの言語学者ソシュールの提唱した「シニフィアン・シニフィエ」…私程度の頭では到底理解できないむずかし〜概念ですが。でも、それはふだん私たちが何気に使っている言語を『意味化』して説明しようと試みる、コペルニクスの地動説にも匹敵する説なのでした。。。。

頭がついていかんimage

 

人は成長する過程で、とてもとてもとてもとてもとーっっても難しい「言語の習得」という難事業を、いとも簡単に成し遂げてしまうのでその神秘に気づかない。。。。気づかないっていうか、どうやって言葉を覚えたのかを説明できる人っていないよね。その説明を試みる人たちが言語学者や哲学者でした。

フェルナンド・ソシュール 

 

インド古代の文法学者パーニニ

 

今使っている言葉や心を言語化するって難しいですよね。

その難しさを言語学者や哲学者は挑戦してきた。尊敬に値する。

私たちは何を見て

何を言葉として

表現しているのか

そもそも言葉とは何か

言葉とは何かとはつまり

私は誰かという問いでもある

さあ、めんどくさくなってきたぞ。

ワクワク笑い泣き汗汗汗

赤ちゃんはそもそも世界と自分を分けていない。

主体と客体を分けていない。一元の世界に生きている(ほぼ一元…完璧じゃないけど)。それが初めてお母さんと自分は別の存在ということに気がついたところから、二元が始まり、対象と自分は異なるという哲学者が考える主題を体感として覚えて行く。そこから、世界はこういうものなのだということを学んでいき、同時に言語を習得する。赤ちゃんが概念的な言葉を使うわけでないけども、赤ちゃんは不二一元論を体得している。

そして、成長と共に忘れる。。。。。。。。。ガーンびっくり

忘れちゃうのぉぉぉ〜ッ?

人間とはなんと不思議な生き物なのか。

肉体が成長するとともに、ひとつであったことを忘れ、二元の世界にどっぷり浸かって神を忘れる。そして、肉体を離れ死んだときにまたひとつであることを思い出す。

手遅れなんだけど。

だから、インド哲学の師匠は「生きているうちに」という。

生きている間は、あれこれそれと違うことに夢中になってるからね。自分が誰かなんて、やっぱり死んでからじゃないと思い出さないかもね。

きゃ〜

 

というわけで

何が言いたいか

わからなくなってきたので

おしまいだ!!!

ご静聴どうもっ

 

 

「言葉の発達の謎を解く」今井むつみ著

言語学の本です。赤ちゃんがどうやって言葉を自分のものにしていくかの謎と不思議が書かれています。私たちが言葉を喋ることは奇跡なんだって思われます。

 

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ちょっと気になったので

【神社巡り12】の

ときわ台天祖神社のことです

東北と法華経

石原莞爾と宮沢賢治と法華経

徳川家と日枝神社

 

 

  「天祖神社」社歴

 

image

当社はかつて「神明宮」と称され、日の神、皇室の先祖神である「天照大御神」を主祭神とし、天照大御神の食事を司る「豊受姫命」、徳川の産土神、お酒の神として知られる「大山昨命」を合わせてお祭りしています。

中略

 

お末社の伊勢神社、月読神社からも、当社が伊勢神宮と深いつながりを持っていたことがうかがわれます。日枝神社は江戸時代には権現社と称し旧上板橋向屋敷にありました。榛名神社は群馬県から勧請した社です。

後略

image

江戸の歴史が香る神社ですが、石神井川のほとりということと(縄文起源の可能性)、伊勢神社は末社(メインでは無い、ということ)などから、もとは土着の神域に伊勢をもってきたのかなぁ〜、とか、妄想逞しくし放題😅お目汚しですみません😅
あと、東北イネハポのこの記事も気になってて。
東北と法華経。宮沢賢治しかり、石原莞爾しかりで、法華経がなぜか東北とつながっている。
法華経は、天台法華ともいわれ天台宗と法華経は密接なつながりがある。(天台法華宗ともいう)法華経こそ最高の教えとした日蓮は、天台宗の比叡山で修行している。東北イネハポが説明するように、

日枝神社は、日吉大社(比叡山)より勧請されたものです。天台宗が多い東北なので、日吉・日枝神社は多いです。

 
東北と法華経、天台とのつながりなど、気になる点が色々。そこに川越が絡むのも、面白い。
>先日ワタクシ川越喜多院(→徳川)
で第九を歌いました笑い泣き
仙台出身の飲み友と、東北は法華経のつながりなど話していて、石原莞爾と宮沢賢治の話題になった。「八紘一宇」って、極右みたいな思想と思ってたら、法華経がベースの石原莞爾が日本書紀から作った造語だった。
*石原莞爾は、陸軍軍人。山形県出身。

 

東北は艮。大本神諭にあるクニトコタチ は東北から出て来るのでは?なんて、飛んだ話にもなって、変に妄想が爆走してしまいまして。こんな投稿になっております。
考えてみれば、ひ叡山、ひ枝神社、ひ吉大社、日蓮、みんな「日」です。
「ひ」は「霊」とも書き、ひ=言霊のことです。
とんでも話に聞こえるかもですが、師の師、小笠原孝次先生は真剣に法華経と言霊のつながりを説いていました
>「神道から見た仏教三部書─法華経要義、歎異抄講和、無門関講和」小笠原孝次・著
なぜこれらが言霊というまな板ひとつに乗るのか???というと、どれもが人間の心がベースになっているからです。(「まな板→真名の板…真名を分析し、調理する)
インド哲学も、聖書も、それを書いたり、思惟したりするのは人間であるということです。人は誰でも哲学するし、自己存在について悩み、考えます。そこから、心の学問に発展してきたのが、言霊学です。
 
比叡山に行って見たくなってしまった
imageご静聴どうもっ

 

和歌はお休みっ

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