旅するカジの木

倭 文

しずり

…………

という映画をご存知でしょうか?

 

 

 樹皮の服

 

「倭文神」というのは、星の神『香香背男』=天津甕星アマツミカボシを倒したと言われる神の名で、織物の神です。→武葉槌神または天羽槌雄神ともいう…

 

映画の中では、工芸品の再現を縦糸に、神話の物語を横糸に、映画作品を織り上げています。なぜ、織物というたおやかなイメージのある神が、強い星神を倒せたのか?という謎。

もしかしたら、そこには女性というキーワードがあるのかもしれません。映画に出てくる三人の職人の女性は、その象徴。繊細な指先で糸を紡ぐ中に、しなやかで強い呪力が秘められていたとか???

想像しすぎ?image

オセアニアなどの南洋の島々では「梶」の木で作った樹皮服「タパ」といい、このタパを使った衣服を身につけます。その服には独特の紋様が描かれており、女性が顔に刺青をする文様と同じ文様を樹皮服に施します。まるで、服が第二の皮膚になるように。(オセアニアといえば、前記事の「マナ」にも通じます)

一枚葉の梶紋

諏訪の神紋として有名

諏訪のものは三枚葉

諏訪紋

 

梶の木の皮を叩いて伸ばし『鋸歯紋』と呼ばれる柄を泥の絵の具で描く。とても原始的かつプリミティブで神秘的な文様です。

 

梶の木の皮で服を作る文化は、環太平洋に広がっていたらしく。台湾の遺跡でも確認でき(→樹皮を叩く棒、紡錘車などが出土)太平洋の島々に梶が旅をしていた軌跡が見え隠れします。まさしく「旅するカジの木」……

秩父の諏訪神社にある梶の木

 

映画では、梶の木から糸を紡ぎ、文様を描き、古代の織物倭 文を再現していく。その過程の細やかさは、この島国のモノヅクリ文化の厚みをそのままに観る感じです。この文化の厚みこそ、この国の人々の心そのものを映し出しているような気がする。

 

 『紙布』の技

 

『紙布』と言い、和紙を2センチ幅(→間違えました2ミリです!)に切り、それによりをかけて糸にして布を織る。わざわざ紙にしてからそれを切り、布に織るとは……あまりに繊細な仕事に思わず声が上がりました。。。

 

天皇の即位式「大嘗祭」で献上される阿波忌部の三木家が織った布は、昔はなんと梶の木の布だった>DNA鑑定で麻ではないことを証明

てっきり麻だと…!image

 

 

 茨城の大甕神社

 

茨城の大甕神社には、倭文神に制圧された「甕星:カカセオ」が封じられた「宿魂石」があります。

映画では、この神社のあたりが大和政権と蝦夷の戦いの最前線だったのではと語る。つまり星を祀っていたのは大和と敵対した人々。星を祀る神社は茨城や栃木に多い(埼玉の飯能にもあります)>つまり、星を祀るとは大和政権に争う人々がいたと言うこと。

image

 

 

 

ちなみに、倭文神シズリガミを祀る神社は「静神社」ともされます。山歩きをしていると静神社の祠を時々見かける…

 

 

 海の星=ヒトデ

 

映画中、オセアニアの人の話の中に海の星ヒトデの話もありました。海洋民族が太平洋を渡り、梶の種子を伝え、布を伝えたルートが紹介されましたが、なんとハワイも入っていました。すごいな、海洋民の広がり。

 

西陣織の大将は、漁の網でヒトデを絡め取るイメージで布を作っていました。それもまたありです。

 

阿波忌部が海洋ルートを辿って千葉にたどり着き、そこから茨城。織物の道があったのだと想像できます。シルクロードならぬ海のカジロード。古代の人の息遣いが

 

 

 

 

映画を見終えて、やはり古代の呪力か…と、思いました。

布そのものに宿る呪力、布に描く文様の呪力(形霊)、色に宿る呪力(色霊)

>ヌシが描く古代文様

日本の「祭」は呪力と関係している…

 

 

呪力こそは祀り

心が形になり色になり「アヤ」として織物になる

自主上映でしか見られない状態ですが、ご縁のある方には是非見てほしい映画です。

image

 

 

たづからへ

あわ戸つながる

ときはきき

あまつみかほし

いまかがやきに

 

 

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今回は言霊学のコアな部分

難しいトピックなの

テキトーにスルーしてね

imageよろっ

 

 マナの正体⁈

 

人類学だか民俗学だかによると「mana」とは、目に見えない霊的なパワーとする見解があるようだ(「マナ」は、太平洋の島々で見られる原始的な宗教において神秘的な力の源とされる概念。人や物などに付着し特別な力を与えるとされるが、それ自体は実体性を持たない。メラネシア語でマナは「力」という意味→ばぃwiki)

マナの宿っていそうな樹

 

聖書に出てくるマナ(イスラエルの民が荒野で飢えた時に神が降らせた食べ物。神が作った超自然的なものとされ40年間民の腹を満たした「これは何だろう」を意味するヘブライ語がマナと呼ばれるようになったという)

空から降ってきたマナ

 

マナという言葉は、ハワイ語、インドネシア語、スエーデン語、またフィンランド神話にもあり興味深い。

ハワイと日本、近くはないけど

文化的には遠くない

地質学的にも

秩父の武甲山はハワイの近くから

地殻変動により移動してきた

 

 

『野生の思考』構造主義で有名な人類学者(哲学者でもある)レヴィ=ストロースマナ「通常の能力・状態に宿る神秘的な付加要素」と規定する。面白い。通常に付加される能力??(レヴィ=ストロースは日本人を高く評価してるんは、なぜぇ?……それは、日本人が見えない世界と深く繋がっているから🤓日本語を通じてね…🧐)

 

サンスクリット語では「マナス」や「末那識」として知られる言葉の√manは、考える、思う、心で把握するなどの意味を持っている…「把握」と言うのが、言い当て妙。心の状態を把握するを真名と言うは…

膝を打つ!

 

このところ「マナ」を頭の中に並べて色々考えていたので……結論はないけど、見えない世界の話であることには違いない。見えない世界とは、心のこと。決して超常現象ではない。超常現象を生み出している大本、主体の心のこと。

 

・真名

・マナ板(真名板)

・マナコ(眼)

  まなざし>真名を指すとは?

・マナび(学び)>真名の霊かな?

・マナ(愛)>愛をマナと読むなんてどゆこと?

 

神社にもマナは宿る
自然の中にも

 

 

現象を作り出す真名とは

霊力や呪力 見えない力
image
これも呪力ね
image
 
image
光も
 
 

言霊学では「タトヨツテヤユヱケメクムスルソセホヘ」「ラサロレノネカマナコ」の二十八子音「真 名」とする。心の中で言葉が循環する過程を表す言霊(〜神名四つを含め…🧐

 

 

 日本語の霊力

 

【天津金木音図】として知られるアイウエオ〜五十音は(えっっっびっくり?知られてるの?)またの名を「虎の巻」「トーラ」「孫子の兵法」「六韜三略」とも言い、百戦危うからずの心の状態を表す音図。この秘法は、物質文明を席巻してきました。

そして、現象世界を司る神名としてはミケツカミや保食神、豊受大神などに喩えられてきました……

アレ?と思う人もいるかもですがimage

食を司ることは肉体を司ること、肉体を司ることは物質をも司ること、ミケツカミ、保食神、豊受神とされたのです=>喩えに使われたこれらの神名>喩えに使われるために古事記に神名として引用された>歴史と思って古事記を読むと、変なことになってしまう所以…歴史としても読めないことはないので更に混乱するという…

 

 稲荷信仰が現世利益なのは

 

伏見とか渡来系の秦氏にまつわる、呪術:占術:陰陽道:引き寄せの法則に見えるおまじない各種などは、なるほど、現象世界をいかに動かすかという秘法でもあったわけです>伏見とミケツカミの関係、ケツネ(狐)と豊受神などなど。

でも、金木音図を使っている秦氏や八咫烏、密教系や賀茂氏に

は金木以上の「太祝詞音図」

についての知識がない。。。。。。。。。。

 

長々と訳のわからんことを読んでいただき、ありがとうございます。これを説明するには心を知る以外になく、心を知るには外側の知識では無理なのでした>「語説不可得」「不立文字」

見えない心の世界を知るには、深く内側に入り込んで探らないとわからない。でも、おもてに出ている現象は、それを知る手がかりにはなる筈です。

インド哲学では、目を表から裏に切り替えるなどの記述がありますが [kathopanisad4-1ある賢者は不老不死を求めて、眼を(外界から)ひるがえし(外部とは)反対の方向にアートマンを観察した] それは決して説明できる世界ではなく…。これが心の世界「高天原」という場所の真実。世界のどこかにある場所ではない。

これを探すために何処かに出かける必要はありません。

ラマナマハリシは、これを真我の探求と呼びました。

image

 

いま、気になってることは「まなび」マナを日に晒すこと。

言霊の次元は「イ」と「エ」にあり、この次元まで登らないと言霊のことはわからないらしい。マナのヒに努めます。

 

 

 

 

まなひつと

コトタマてらす

みはれやし

あらわれいでる

ひかりいまここ

 

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興味が尽きない言霊のこと

 

image

無意識に使っている日本語のヤバさ

「まな板」ひとつにしても

エウレカ!

って叫びたい 

ギリシャ哲学で「エウレカ」は

アルキメデスが

叫んだとかで有名

私も叫びたい

マナイタッッ!って

違うだろimage

 

 

 

  コトタマ「真名板」

 

料理といえば「まな板」〜まな板は食べ物を作り揃える器具です。そして、神道の中で、食べ物の神といえば「豊受神」ではないでしょうか……

豊受神はミケツカミ(御食津神)とも言います。ご飯の神様とされます(→違う…😅)じゃなくて天照大神のご飯を司るために伊勢神宮の隣に勧請された神様として有名な神様。そんなで覚えるな!と、怒られそうではあるが…😅

伊勢神宮の縁起──それはそういう神話の物語として…神話が示すメタファーへの興味が尽きません。

 

 

東北イネハポがたびたびトピックとして扱う「保食神」も「ミケツカミ」で食べ物を司る…

ミケツカミの「ケ」が、食べる事を指すというのは、よく聞かれますが「食ぇ」が「クェ」→「ケ」になったとか言う……なので、漢字表記では「御食津神」となる。

 

重要なのは『食べ物』が何を例えているのか???ということです。

言霊学では、食べ物とは即ち『真名』である(→聖書にマナという食べ物が空から降ってくる、という奇妙な話がありますが、それってなんだよ!っていいたいよね)

『真名』を調理して、食べられるようにする?みたいな意味が込められた御食津神。

 

 

食べ物=言葉
神への捧げ物
祝詞も神へ捧げる供物
神とは内在する意識体
神に捧げる言葉は浄化された
清らかな言葉であるべき
…とかね笑い泣き「宣り直し」だね

 

 

さてここで「まな板」ですが。ご飯につきものな「まないた」>調理のためには、まな板で材料を切らなくてはいけません。切り分けて、食べやすい大きさにしたり、形を整えたりする。調理するためには大事な道具。これを「まないた」といいますが。これを言葉に置き換えたなら、言葉を切り分けて、形を整え、食事となす……「宣り直す」

って事でしょうかね?image

『真名』という心の中にある言葉を、分析して=切り分けて、食べやすい形に=理解しやすいようにする。それがまな板の役割としたら、言葉を分析して=思考を分析して「こういうものだ」と理解したものを天照大神に捧げる…「ぢゃあ、天照大神というメタファーが示す意味はなんだ?」って事になりますねぇ…。そもそも天照大神とは何ぞや?日本人にとってこれほど大切な神のことを、ほとんど何も知らない。

天照大神は日ノ神というが、太陽が私たちの精神の中でどういう位置付けなのかということも。全てを照らし明らかにする、それが言霊とも謂う…

 

言葉は概念でしかなく

おおむねにしか(概ねにしか=概念)

事象を表せないということをわかれば

言霊がどれだけ真実を照らすのかも自ずと知れる

その叡智を示すのが

天照大神という名の存在であるとしたら

「名」として出てきたものは

個々を照らす言霊

 

ラ サ ロ レ カ マ ナ コ

 

さて、意味不明になってきたところで
お開きっっっ!
ご静聴どうもっimage
 
 

みけつかみ

のりなおしから

とりたして

あまつはしきて

みそらのひらき

 

えっ!?

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今年の蔵と現代美術展

 

終了しました

とても評判が良く

やりがいがありました😊

 

次は来年5月の寄居展か

もしかしたら11月に蔵展?

未定ですけど

 

 

 コトタマをネタにするといろいろなアイデアが浮かび収拾がつかない…

今回の「蔵と現代美術展」の出品作品は、普段から色々考察してる「言霊学」をネタに製作したのですが。妄想が走りすぎてあれもこれも…と、出来が追いついてなかった気がします汗

なかなか表現しきれない言霊の世界ですけと

ちょっと味をしめてしまった

言霊〜呪術路線でやっていこかな〜笑い泣きなんて思ったり

コトタマ学からは外れてしまうかもしれませんがね…ニヤリニヤリニヤリ

 

神社の幣束は言霊学では父韻

 

コトタマ父韻の働きは

神社の幣束に表されています

こんな感じで

で。こちらは展示した作品。

image

 これは「雷の形」といいます

つまりイナズマ

〜稲 妻〜

image

言葉とは思考

思考とは言葉

思考は言葉でできている

精神は思考でできている

思考は心の中にある

心は言霊でできている

 

言葉を浄化するのが

天津太祝詞音図

 

言葉は多様に奔放に心の宇宙を駆け巡り

人は心の流れに翻弄され踊り続ける

 

 言ノ葉が はらはらと散らばる様子は

心の乱雑さのよう

それをまとめるのが五十音図

 

 

 

父韻が⚡️神鳴る…

 

 

 

というわけで

きっと次の作品も言霊です

 

ご静聴どうもっ

 

 

 

いなつまわ

とこしえはえる

むらくもの

こころひらめく

ためにあかして

 

お粗末です

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蔵と現代美術展開催中!

 

ぬしも参加中してるぞ

11月2日(日)〜11月16日(日)

街中アートです

川越の蔵造りの町並みの中にアート作品の数々

 

 

 

https://www.instagram.com/kawagoe.kurart?igsh=MXRjcXh3Nm5nZWg1Mg==

 

言霊を題材に

見るものとみられるものを作品に込めて

あなたとわたし

我と吾

哲学のトピックを作品に込めて

 

 

 

 哲学主題をアートで形に

 

なかなか言語化できないコトタマの世界だけど、アートならわけがわからなくても全然オッケーだよね!というわけで…

 

 インスタレーションで言霊学を作ってみた!楽しいッ!💕

 カタチ達の不思議なおしゃべり!

 聞いて❤️聞いて

 

 言ノ葉が はらはらと散る

 ほらほら…

 

 

フシギカタチのおしゃべり

 

2025秋

「コトタマの結界」

日本的な言霊の哲学を

アートに昇華して表現

コトノハの世界をカタチで伝える 

三十一文字(ミソヒトモシ)の言霊の道を

作品に込める

言霊に秘められた心のこと

我と吾

見るものと見られるもの

シニフィアンシニフィエ

あなたとわたし

表現者と鑑賞者

アとワ

スの神などなどの主体客体の哲学

父韻が⚡️神鳴る…

シニフィアンシニフィエの哲学
あなたとわたし──心の言葉
コトノハのおしゃべり

 

私の作品は街中8箇所ある展示場所のうち「旧山崎邸別邸」児童部屋にて展示中です

 

秋は芸術祭の季節

街中には

他のアーティストの作品もあります!

 

 

他の作家さんの作品たち

 

 

OSUMI Mika

 

HUJISAWA Eriko

 

 

SASAOKA Keihou

 

 

TAKANO Yasuhumi

 

YOKOTA Ryoko

 

MATHIDA Kanako

 

 

YANASE Toshio

 

 

 

 

 

 

というわけで

ピンときた方、おひまな方

川越で観光がてらの方

お待ちしております

 

ご静聴どうもっ

 

 

 

われとあれ

ひふみよとなえ

ももちたり

あまとひらくは

みちのことわり

 

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「言葉」と向き合う時

ふと気づくこと

例えば

実物の石と、石という単語には

なんの繋がりもないのだということに

愕然とする

うそッッッッッッ

 言葉を深掘りして見ると

 

実に、何十年も生きて言葉を喋ってきたのに、自分が話している言葉のことを何も知らないのだと気つく。

ソクラテスも言っている

「無知の知」と。

知らないことに気がつく重大事件。例えば、万有引力の法則だってみんなその法則に従って生きているにも関わらず、そこに固有の力を見つけることはなかった。でもそれを発見して言語化したのがニュートン。コロンブスの卵もそうかもしれない。

そして日々日常あまりに当たり前に使っている言葉というものの不思議。それを掘ると、人間の存在・『意識』・私はだれか?という主題の、恐ろしい深淵を覗くことになる。。。。

………………………コワイ

 

 

フランスの言語学者ソシュールの提唱した「シニフィアン・シニフィエ」…私程度の頭では到底理解できないむずかし〜概念ですが。でも、それはふだん私たちが何気に使っている言語を『意味化』して説明しようと試みる、コペルニクスの地動説にも匹敵する説なのでした。。。。

頭がついていかんimage

 

人は成長する過程で、とてもとてもとてもとてもとーっっても難しい「言語の習得」という難事業を、いとも簡単に成し遂げてしまうのでその神秘に気づかない。。。。気づかないっていうか、どうやって言葉を覚えたのかを説明できる人っていないよね。その説明を試みる人たちが言語学者や哲学者でした。

フェルナンド・ソシュール 

 

インド古代の文法学者パーニニ

 

今使っている言葉や心を言語化するって難しいですよね。

その難しさを言語学者や哲学者は挑戦してきた。尊敬に値する。

私たちは何を見て

何を言葉として

表現しているのか

そもそも言葉とは何か

言葉とは何かとはつまり

私は誰かという問いでもある

さあ、めんどくさくなってきたぞ。

ワクワク笑い泣き汗汗汗

赤ちゃんはそもそも世界と自分を分けていない。

主体と客体を分けていない。一元の世界に生きている(ほぼ一元…完璧じゃないけど)。それが初めてお母さんと自分は別の存在ということに気がついたところから、二元が始まり、対象と自分は異なるという哲学者が考える主題を体感として覚えて行く。そこから、世界はこういうものなのだということを学んでいき、同時に言語を習得する。赤ちゃんが概念的な言葉を使うわけでないけども、赤ちゃんは不二一元論を体得している。

そして、成長と共に忘れる。。。。。。。。。ガーンびっくり

忘れちゃうのぉぉぉ〜ッ?

人間とはなんと不思議な生き物なのか。

肉体が成長するとともに、ひとつであったことを忘れ、二元の世界にどっぷり浸かって神を忘れる。そして、肉体を離れ死んだときにまたひとつであることを思い出す。

手遅れなんだけど。

だから、インド哲学の師匠は「生きているうちに」という。

生きている間は、あれこれそれと違うことに夢中になってるからね。自分が誰かなんて、やっぱり死んでからじゃないと思い出さないかもね。

きゃ〜

 

というわけで

何が言いたいか

わからなくなってきたので

おしまいだ!!!

ご静聴どうもっ

 

 

「言葉の発達の謎を解く」今井むつみ著

言語学の本です。赤ちゃんがどうやって言葉を自分のものにしていくかの謎と不思議が書かれています。私たちが言葉を喋ることは奇跡なんだって思われます。

 

われとあれ

ひふみよとなえ

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ちょっと気になったので

【神社巡り12】の

ときわ台天祖神社のことです

東北と法華経

石原莞爾と宮沢賢治と法華経

徳川家と日枝神社

 

 

  「天祖神社」社歴

 

image

当社はかつて「神明宮」と称され、日の神、皇室の先祖神である「天照大御神」を主祭神とし、天照大御神の食事を司る「豊受姫命」、徳川の産土神、お酒の神として知られる「大山昨命」を合わせてお祭りしています。

中略

 

お末社の伊勢神社、月読神社からも、当社が伊勢神宮と深いつながりを持っていたことがうかがわれます。日枝神社は江戸時代には権現社と称し旧上板橋向屋敷にありました。榛名神社は群馬県から勧請した社です。

後略

image

江戸の歴史が香る神社ですが、石神井川のほとりということと(縄文起源の可能性)、伊勢神社は末社(メインでは無い、ということ)などから、もとは土着の神域に伊勢をもってきたのかなぁ〜、とか、妄想逞しくし放題😅お目汚しですみません😅
あと、東北イネハポのこの記事も気になってて。
東北と法華経。宮沢賢治しかり、石原莞爾しかりで、法華経がなぜか東北とつながっている。
法華経は、天台法華ともいわれ天台宗と法華経は密接なつながりがある。(天台法華宗ともいう)法華経こそ最高の教えとした日蓮は、天台宗の比叡山で修行している。東北イネハポが説明するように、

日枝神社は、日吉大社(比叡山)より勧請されたものです。天台宗が多い東北なので、日吉・日枝神社は多いです。

 
東北と法華経、天台とのつながりなど、気になる点が色々。そこに川越が絡むのも、面白い。
>先日ワタクシ川越喜多院(→徳川)
で第九を歌いました笑い泣き
仙台出身の飲み友と、東北は法華経のつながりなど話していて、石原莞爾と宮沢賢治の話題になった。「八紘一宇」って、極右みたいな思想と思ってたら、法華経がベースの石原莞爾が日本書紀から作った造語だった。
*石原莞爾は、陸軍軍人。山形県出身。

 

東北は艮。大本神諭にあるクニトコタチ は東北から出て来るのでは?なんて、飛んだ話にもなって、変に妄想が爆走してしまいまして。こんな投稿になっております。
考えてみれば、ひ叡山、ひ枝神社、ひ吉大社、日蓮、みんな「日」です。
「ひ」は「霊」とも書き、ひ=言霊のことです。
とんでも話に聞こえるかもですが、師の師、小笠原孝次先生は真剣に法華経と言霊のつながりを説いていました
>「神道から見た仏教三部書─法華経要義、歎異抄講和、無門関講和」小笠原孝次・著
なぜこれらが言霊というまな板ひとつに乗るのか???というと、どれもが人間の心がベースになっているからです。(「まな板→真名の板…真名を分析し、調理する)
インド哲学も、聖書も、それを書いたり、思惟したりするのは人間であるということです。人は誰でも哲学するし、自己存在について悩み、考えます。そこから、心の学問に発展してきたのが、言霊学です。
 
比叡山に行って見たくなってしまった
imageご静聴どうもっ

 

和歌はお休みっ

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ご縁のある土地って

ありますよね?

仕事でたまたまご縁のあった駅

そこでみつけた神社が

素晴らしかったので紹介

 

 

 

  天祖神社

 

ときわ台の駅そばに、この佇まい。都会の真ん中とは思えぬ静けさ。武蔵台地の真ん中。

image

古い神社は台地の端や、川のそば、岬などの突端にあることが多いのですが(「アースダイバー」中沢新一)

 

この神社は近くに河川が見当たらないな、と思ったら石神井川がありました。ちょっと離れてるけれど、これは人の手で流れを変えているからだと推測。石神井川を地図を見ると、直線的な流れが見て取れるので、灌漑整備がされて神社から遠ざかったのでは?と。

それに、石神井川沿いって縄文遺跡か多い。「石神井」という地名も「ミシャクヂ」だもんね。(東京以外の人は馴染みが無いかもですが、これはシャクジイ=石神井と読みます)

「石神」…石の神。磐座信仰。縄文。繋がってる。。。

image

・磐座と縄文の情報
「石神」とはなんなのか?という考察は、私にはあまりにハードルが高いのでやめておきますが、縄文人と磐座は切っても切り離せない濃密な何かがあると思います。
 
磐座の「座」は神のいます場所。
 
磐は「イハ」=「五葉」五枚の葉は「五の言ノ葉」=アイウエオ、五母音と考えます。そして「磐」は、レコーダー、記憶装置でもあります。よく水晶はレコーダーの役割があると考えられるのと同じです(→レムリアンクリスタル等)岩には過去の出来事や情報が記憶され保存されている、と、考える人もいます。
有機物より、無機物の方が変化が乏しいので、なん億年も前の情報が岩からわかるのは、地質学で見ても道理です。
 
 
 
江戸の古きを感じさせる良い神社と思いました。

本殿御祭神

天照皇大御神あまてらすすめおおみかみ

豊受姫神とようけびめのかみ

大山咋神おおやまくいのかみ

石祠】榛名神社

 火産霊神ほむすびのかみ

 埴山比賣神はにやまひめのかみ

末社】

伊勢神社:大日孁貴おおひるめのむち

月読神社:月読命つくよみのみこと

日枝神社権現社

:天思兼尊あめのおもいかねのみこと

 :手力雄尊たぢからおのみこと

 :天表春尊あめのうわはるのみこと

北野神社:菅原道真公すがわらのみちざねこう

稲荷神社:宇迦之御魂神うかのみたまのかみ

 

 

 

 地域猫がっ

宵闇の明かり
 
 
 
富士信仰の遥拝所
江戸庶民の富士贔屓が思われる…
富士山のミラーオブジェ
 
ここの方角の先に富士山と伊勢神宮だそうです
レイライン???

 

 

 

そして

なんと。蘇民将来!

庶民の信仰の歴史が感じられます

 

 

でも天津系の天神社になぜ国津系で祀られる蘇民将来が?とか思っちゃいますが、多分、明治維新あたりの混乱期…天照大御神を祀ったほうが有利だったから?とか、神社として生き残るために?とか想像しちゃいました。

そういえば。
蘇民将来といえば。
スサノオ信仰。
スサノオ、牛頭天王とくると、私はシヴァ神を想起する(インド頭なので)>シヴァ神のエピソードで、軽く蘇民将来のエピソードと似てるなあ、と思うものがあるのですが、それをどこに書こうか迷ってます。(〜募集してないけど、アメンバーで書こうかな?とかね)
もったいぶるな〜ワシimage

 

 

 

ご静聴どうもっ

 

 

むさしゆく

いにしえかをる

やしろみや

ひとのくらしは

ちにしずまりて

 

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目は口ほどに

ものを云フ…とか言いますよね

目は「マナコ」とも言う…なまこじやないよ😅

「マナ」から出てくる「コ」は

マナの全てをくるみこんで

出てくる感じがします…

 

 目、は「まなこ」とも言います

「まなこ」を深読みしてみるよ!

言霊学では、まな=「真名」と言い、現象化…世界が現われ出てくるのが「マナ」=32コの子音から世界が現れてくると言います(=>マナの32コ即ちマナコは32個の子音から世界が出現する)それって、どういう事でしょうか???

 

 ・真言とは?マナのこと?

インド哲学では「マナス」manasという言葉が出てきます──この言葉は、思考や精神のことを指します。英語ではマインドです。やはり、思考や精神のことを言います。聖書では「マナの壺」マナという食べ物が出てきます。天から降ってくる真名って、神託のことでしょうかね?確か、アークの中にもマナ壺が入ってるみたいだよ。

 

言霊学で言う「真名」とは。現象として出てくる32個の子音。心の中で子音が…つまり言霊が組み合わさり「言葉」として編まれていきます>>>あくまでも心の中で起きていることで、見える世界のことではありません<<<

 

 ・マントラの定義

インド哲学の「マナス」という言葉の語根√manの意味は「思う、考える」そこからマナスという語に発展して「思考、精神、心」の意味になります。

「マントラ」という言葉を知っていますか?マントラも、語根√manから派生した言葉です。

蛇足)インドには、マントラという祝詞と似た「唱え言葉」(呪文)があります。仏教と共に日本に輸入されて「真言」と訳されました。マントラの定義は

「मननात् त्रायते इति मन्त्रः」

(mananāt trāyate iti mantraḥ)

マナナートトラヤテイティマントラハ

〜思考を護るものがマントラである〜

「真言」を訓読みすると「まこと」になりますよね!?!?まことの言葉が真言=マントラなのかもね!

!?

思考というのはほっておくとどこに流れていくかわからないコントロール不能のものなので、マントラ(となえ言葉)によって心を護る、思考や感情の混乱から心を守るのがマントラ、という…確かに、混乱したマインドにひとつの方向性を与えることで、落ち着くというのはある。祝詞「トホカミヱヒタメ」もいいかも???「ひふみ祝詞」や「いろはうた」もね。

 

散らかる思考

 

 ・我々は、言葉で思考している

どんな言葉で思考するかで、世界の見え方さえ違ってきます。言葉によって世界の捉え方は天国にも地獄にもなる、それが言葉(思考)

思考のモクモク

思考の大事さ、言葉を編むことの大事さが見えてきます。

そして、日本語は言霊を組み合わせて作られた言葉で、世界に類を見ない言葉なのです。ので、この国を「コトタマノサチハフクニ」と申すのです。

私たち、すごい言葉をいただいているのです。

思考を見直し、選び、日本語を使う責任を果たす。

 

 

 ・では、まなことは?

どうも

まじまじです

2017年以来です

…まじまじと見いるマナコ…

目は口ほどにものを云フ、とは、目が心の窓になっている、という意味ですよね。──まぁ、説明しなくたってそれくらいのことはみんな知っているけど、そこに「マナコ」という日本語の読みを投入して深掘りして見ると、何か違う世界も見えてくるのではないでしょうか???という、今回のお話でした。

日本語を編したご先祖は

真名の子であるがゆえに

目を「マナコ」と命名した

その思いの深さに感銘します

ご静聴どうもっimage

 

 

まなこより

みいずるめはえ

ときいたり

こころしらせて

かえるとこしえ

 

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『かみ』と『たみ』

『神』と『民』

言霊の話になりますが

『か行』ってのは厳しいイメージ

『た行』は宇宙が定まってる

だからタカマハラナヤサ?

「み」は身ですね

ヒトはカミを内在させる存在。仏教では「如来蔵思想」が説かれ、神道では神の分け御霊を宿すのがヒト。が、そのことは長らく秘されて語る者も僅かでした。言霊学では、崇神天皇のおりに「同床同殿」が廃され、神という存在を御簾の向こう側に祀り上げてしまったことで、神は向こう側、ヒトの側には居ないということになってしまった>神人分離<文字通り、ひとつである神・人が分裂した。同床同殿の廃止は象徴的に行われた示唆です。

image

神は向こう側

 

 霊主体従

 大本教の神諭「体主霊従」という有名なトピックがあります。日月神示にも「半霊半物質」というトピックがあります。

 

 ・現世利益は唯物主義

 スピ系のいろんな人が、体主霊従のトピを語っています(有名なんですね)体主って、つまり「体はモノ」…ですから体主とは詰まるところ物質主義の今の時代(現世)そのものってことではないでしょうか😅

物質主義が「現世」のことなら、現世利益を追いかけることは、現世を生きる人類の果たすべき目的だったとも言えます。ただし「今までは」…ってことですけど…😅体主霊従が悪いというより、そういう時代でしたから、そこから受け取るものを受け取り次に生かせば良いのだと思います。今を否定した上に未来は作れない。反省することも含めて未来に活かしていく事が、物質偏重を経験した人類の役目とも言えます→「建て替え建て直し」by大本神諭

 

モノであるより前に人は心で生きている

 

 ・これまでの宗教

これまでの時代は、宗教でさえ体主霊従現世利益『物質主義』でした。例えば免罪符を配布する、お布施で願いがかなう……パワースポット巡り、ラッキーアイテムゲット、etc

キリスト教の免罪符

諏訪大社の鹿食免

 

現世のご利益求めて東奔西走してきたのが、これまでの人類史です。そのおかげで物質の豊かさを享受できました。多大な犠牲を払いつつでしたが…物質的豊かさこそが幸せ、と、信じてきた。体主霊従の悲しさで、精神性よりも生活、日常が一番。

 

しかしこれからは「霊主体従」の時代という。虚妄は姿を消して、真実が出てくる。本当の幸せは、モノの中にはない、という時代がはじまった。パンドラの箱、空いちゃった!

前も書いたけど

人間は真実よりも虚妄を

好む傾向があるから…どーなる?

霊性を高める生き方にシフトする時代にどう対応するの?

 

 不二一元論

 

もっと深い話をしましょう…

物質霊性という相対することについて。

客体主体(→もちろん心が主体)

ここで冒頭のトピック、かみ、と、たみ、の話へ。

 

古事記神代紀に「たかみむすひ」「かみむすひ」の二対=主体客体の二対──が出てきます。

→言霊学風にいえばね

 ・神は「客体」

「神」は、客体の存在です。

因果で言うと「果」結果の「果」です。原因は主体であるヒト。神は人と対になる結果として存在している。客体に意思はありません。

神を祀るのはヒト(=主体)神はあくまで人が祀る対象としてある>同床同殿の廃止で神と一体であった『』を忘れる<

その神を大事に崇めてきたのが、この何千年かの「体主霊従」の世の中でした。これは二元論の世界です。

本来ならば、神と人は一体であり、対象(客体)として崇められるものではなく「ヒト」と共にありました。

それを内在神と言ったり大日如来→如来蔵思想と言ったりアートマー=真我(本当の自分)と言ったりします。聖書では『私は私で在るものである』I am that I am.『私は存在である』と言ったり(「I 」は文章のどこにあっても大文字→主体だから)

神と人はひとつ、大日如来は人の中にあってひとつ、二元ではない、一つのもの、不二である一元のもの、そこが始まりで「二」に分かれる…この単純な論理を忘れた。

 

この真実を理解するにはどうしたらいいのか?

 

 川は流れない

」について説明する哲学や宗教は少なく、また、それを説明するのは困難でもありました。

「私は誰か?」その問いが神性の扉でもあります。これが、体主霊従のこれまでの世界では隅に追いやられ、物質主義の享楽に酔っぱらいまくってました。

 

行く川の流れは絶えずして

もとの水にあらず

『方丈記』鴨長明

鴨長明って鴨氏なの?って

トピックずれとる

ギリシャ哲学では

『万物流転』とも

川は流れない、と云う哲学のトピックがあります。川の水は流れるけど、川は流れていっちゃったりしません。川はずっとそこにあり続けます。

これは、深い哲学的命題のひとつです。

この哲学は「私」という主体を説明するのに良いトピックです。

つまり、主体とは「川」

客体は「水」>川を流れる水が客体です。

image

客体は川がなければ存在しないし、水のない川はそもそも川とは言わない。川には水があって当たり前。これが主体と客体をとてもよく表す表象です。

神と人も同じ。

神は人がいなければ存在しないし、そもそも人には神が居て当たり前。そう言うもの。これが、陰と陽と言うものの正体。お互いが補完しあう存在であるものを主体と客体と言ったり、言霊学では「ア」と「ワ」の母音と反母音と言ったりする。

そして、アとワはそもそも「ウ」が別れたもの。そのウは、スの宇宙から出てくる。

スの神、マルチョンとも表現するimage

仏教では「空」シュンニャ、つまり「ゼロ」

車輪の真ん中がゼロです

ゼロを中心にして世界が回る。

これが世界の真実。

インド哲学も仏教も聖書も同じことを言っている。

ただ人間が忘れてしまっただけ。 

 

 

 

よどみに浮かぶうたかたは

かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし
 
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うたかたに

みちのゆくえを

うらないて

こころまどえり

さをとりはかる

 

 

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