日本語の「雨」を表す言葉は400語以上あるらしい。

さらに「雨」に関連する言葉を加えると1200語以上あるという。
どうして日本人はこんなに多くの言葉を生み出したのか?
日本人の自然観を考えると、その理由が見えてくる。

 



農耕民族の日本人は、自然に抱かれ、自然を崇拝し、自然を観察しその変化に一喜一憂して生きてきた。

私達の祖先は、自然界を「永遠のうつろい」と、捉えて、自分の一生を通じて同じ雨の情景はひとつたりとも無く、さらに全ての人類が地球上に生まれてこのかた、同じ雨が降ったことが一度もないことを知っていたのだと思う。

それが「無常観」や「もののあはれ」という概念を生みだしたのだろう。

無常観といえば平家物語の冒頭の文章を思いだす。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。」

人間の存在自体が自然界の「うつろい」のひとつに過ぎず、それは流れる川の水の一滴のごとく儚い。

だから日本人は、自分の生ある僅かな時の合間に目に映る情景や五感を通じて感じる「うつろいの美」の全てを言葉に表し、伝え、共感したかったのではないだろうか?

だとしたら、「雨」に関する言葉は、1200語では、まだまだ足りない。