『お歯黒』
かつてあった日本の風習

 

私が子供の頃、沢山の時代劇映画を見ましたが、特にリアルな時代考証を売り物にしていた大映の時代劇には,衣装の時代考証も然る事ながら、『お歯黒』の女性がよく登場していて、子供心にとても奇異な感じを覚えたものです。

私たちが映画や歌舞伎で見ているお歯黒はほとんど江戸時代のものです。
江戸時代の既婚女性は、歯をお歯黒にした上に眉毛も剃り落としていました。

ちょっと、想像してみました。

旦那が夜、家に帰ると、薄暗い行灯の明かりに照らされて、真っ黒い歯で眉毛のないノーメイクの女が出迎えてくれるのです。
はっきり言って怖いです。
ニヤッと歯を見せて笑われたりしたら、もうおしまいです。
恥ずかしながら、お小水をチビッてしまいます。
そんなのが家にいると思うと恐ろしくてシラフでは絶対家には帰れません。

江戸時代の男性が短命だったのは、これが原因だったのでは?(笑)

とにかく、現代にそんな風習が無くって本当によかったです。

さて、当時のお歯黒(鉄漿)は一体何を意味したのでしょうか?

以下は私が文献をひも解き調べたものです。興味のある方は読んでください。
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その歴史は平安時代まで逆のぼります。
文献によりますと、平安時代において、貴族の娘は17~18歳でお歯黒をしていたようです。

それは娘の成人したことを表しました。
上流階級の娘の成人式は一般人のそれよりも早く行われました。
一方、男性のお歯黒はファッション(流行)で行ったと言う説や、武士が一生涯の内に二君を持たないと言う忠誠の証に行われたという説、高級武士だけがお歯黒をしたと言う説があります。

ここで皆さんは、「えっ!男性もお歯黒をしていたの?」と思われるでしょう。

そうです、そもそも男性がお歯黒するようになったのは、後三条天皇時代(1068-1072)の源有二が最初で、自分の顔を女性のように柔和にし、女性の関心を引こうとしたことから始まった言われています。
これで女性の関心が引けるとは・・・受け狙いでしょうか?

その後、男女共お歯黒をするようになったそうです。
室町時代になると女子は13~14歳でお歯黒をしました。
戦国時代の女子は政略結婚の為にさらに早くなり、武士の娘は8~9歳の年齢でお歯黒をつけ、いつでも結婚できるような体勢をとったといわれています。

江戸時代になると、世の中は平和になり、庶民生活は豊かになり、上流階級と一般庶民との生活レベルが縮まってきました。
特に元禄時代以降はお歯黒の風習が一般庶民の間で全国的に広まりました。
13歳になると11月15日をもって、「歯黒染めの日」と言って祝い、お歯黒を始めました。
反面、男子のお歯黒は戦国時代ごろから減り始め、江戸時代には完全に衰退してしまいました。
そして、女性においてもお歯黒をつけることの面倒くささは、庶民の娘達には受け入れ難かったようで、しだいにお歯黒は、婚約や結婚などはを迎えた女性だけがつける風習へと移行していきました。

こうして、江戸時代以降は比較的身分の高い女性たち(武家、商家)の間で既婚女性の印として施され、この習慣は明治に入るまでなんと千年近く続いたのです。

 

 

伝統文様 研究家成願義夫