実家に行った時の父との会話。

 

 その一。

 昔むか~し、あつばりに行くのに、おふかけがひどくて、3時間もおぐれたので、みんながもらったものもらえなかった。

 何で行ったの?

 じでんしゃ。

 

 いつの時代の話よって感じですが。(どうも昭和40年ごろのよう)


 ただ、この話には後日談があった。


 さしだやつがいて、そんどきもらった人たちは、あとで捕まったんだ。

 何もらったの?

 百円。

 

 理解した私。「おふかけさまさまだったね~」


 その二.

 いとこのご主人が亡くなったと聞いて、いとこもまだ若いのに大変だね~って話になり、それでなくても、あの家はとうれーさんだから、いとこは苦労したろうって。

 あれれ、とーれーさんって言葉、久々に聞きました。語源は何よ?って聞いたら、方言だからで終わり。


 実家に行って親と話すと、知らなかったことが多いんだと再認識。考えて見ると、父とゆっくり話した記憶なんて、ましてや思春期の頃など皆無、のようなものですからね。しかしまぁ、こうして今頃ですが、いやこれから語彙を豊富にしましょうかと思いました(笑)

 なんとはなしに日は暮れて、いつの間にか霜月の半ば。今年もあっという間に終わってしまうんだろうなと、月日の流れの速さが身にしみるこの頃です。


 ブログも書こうとしても、書かない日が続くと、何を書いたらいいのかと思うと、さぁもう指は動かない^^; たいしたこと書いてないんだから、そんなに考えなくてもよいはずなのに、困ったものだと思ったり、思わなかったり(笑)


 今日は、孫の満4か月誕生日。(と書いて今気づいた) 可愛くなってきました。ニコニコ笑うんです。ですが、風邪をひいちゃったようで、ここんとこ家の中で安静にしているようです。ママが一人で孤軍奮闘。こういうとき、遠く離れているとどうしようもなくて・・・。


 孫のパパ(息子)が単身、アメリカに語学研修に行きました。来春までの予定なので、孫とママは二人での生活になっちゃって、ちょっと心細いのかな。。まぁ、そのうち慣れて、いなくてもいいやぁ~なんてことにもなるのかな・・・なんて、余計な心配してます。母親は大バカですね。


 その息子、忙しそうなので、だいぶ前から、何か準備で手伝うことがあればと、声かけてたんです。当人「何もないよ」の返事が数回。さすがに、もう大人なんだしなって、私もそれ以上はね・・・。でも、いよいよになってから「肌着買ってない」「ホームステイ先ってお土産いるのかな」ときたもんだ。そのころ、ベビーのママが風邪ひいていて、ベビーも調子が悪くなってきたころで、自分も動きがとれない状況だった。結局、親バカの登場となりました。おいおい、だから、早く言えよ~って感じでした。そんなこんな、出発の日に成田へ夫と出向き、見送ってきたのですが、正直、ドドッと疲れました。近所の友人に言わせると、私が好きで勝手にやってるということらしいですが、でも、今回はつくづく思いました。もう、息子から子離れしたいです・・・。心配して、気を使って、お金使って・・・私、いいことありません(笑) あとは、もう、元気で頑張ってくれや~ですネ。


 このところ、東京に行くことが多く‘エスカレーター’によく乗りました。エスカレーターに乗るたび、昔、子供のころ、これにうまく乗れなくて、じっと動くのを眺めて、タイミングをはかっていたなと、ふと思い出しました。今、どこみても、そんな子供さんいませんよね。エスカレーターが怖いなんて思わないでしょうね。そんなことも思い出しました。


 それから、近頃、化粧品に興味を持ちだしました。この年になってです。近くのツルハドラッグの店員さんが感じがよくて、ついつい話し込んでしまった結果です(笑) 先日など、生まれて初めて、フルメイクしてもらいました。我ながらびっくりしたのは、きちんと化粧したら、ほうれい線が目立たないんです。驚きです! そんなわけで、使うかどうかわからないけど、化粧品が増えそうな、そんな気配です。


 長くなりました。お付き合いありがとうございます! ではでは。

 今日、近所の友人と昔話で盛り上がりました。

 何の話からか、独身時代に海外旅行したときの話になり、写真を見せてくれることに。

  

 まぁ、驚いたのなんのって(笑)あまりの変貌ぶりに。

 35年ぐらい前の写真の彼女は、細くて可愛くてお洒落さんで、もうびっくり仰天!本人にそう言いましたよ。そしたら「今でもでしょ」って。お世辞にも「そうね」とは言えません。二人して大笑い。


 彼女は、サンフランシスコ、ロス、サンディエゴなど、西海岸をホームスティしながらの旅行だったとか。

 そんな話から、実は私も17の時にサンフランシスコとロスに行ったんだよと話して、そこから昔話に花が咲いたのです。


 あの頃は羽田からの出発で、飛行機は当然JAL、1ドルのレートはいくらだったっけとか、羽田までのタクシーの運転手が道がわからなくて困ったとか(彼女の方)、フィッシャーマンズワーフをしばらくの間ファーマーズワーフと話してたり、グローマンズチャイニーズシアターだねとか、サンディエゴは基地の街だとか、ホテルはどこに泊まったとか、まぁいろいろ、時に話があちこち、噛み合ったり噛み合わなかったりしながら、懐かしい思い出話になりました。


 私は、ロスではビバリーヒルトンに宿泊。そこにゴールディン・ホーンという女優さんがいて見かけたんだって話したら、何と彼女も大好きな女優だと言うことで、彼女の映画で、盲目の男性を好きになる映画があって、それが好きなんだと言うのです。私ももちろん観てるので「いい映画だったよね」となった。けど、題名が二人して思い出せない。あ~う~と唸りながら、どうしても思い出せず。そんなこんなの思い出話は、時間が過ぎるのがアッという間です。

 彼女の思い出のアルバムは、ケーブルカーの切符や、振り込みした銀行の領収書や保険の控えやらもとじこんでありました。あと、その時初めて食べた記念にとアボカドの葉っぱまでアルバムに治まってました。日程の割に写真が少ないけど・・・「フィルムの入れ替えが出来なくて1本分だった」とのこと。あの時代に、使い捨てカメラはなかったねとか、今じゃ使い捨てもないかとか、時代の流れを感じたのでした。


 今度は、私のアルバムを見せてと言われたけど、私なんて、アルバムにするほどの写真も撮ってなく、なおかつ、少ない写真もきちんと整理してなかったので、今じゃどこにあるかもって感じです。


 でもまぁ、子供にも聞かせてない、懐かしい若かりし頃の話がお互いできて、楽しかったおばさん二人でした。