私の田舎は、ホントにド田舎で、実家は築100年のしろものです。


その家を、今は兄夫婦が守ってくれてます。

守ってくれてます、と書いたのは、文字通り、守ってくれてるという思いからです。

単に住んでます、というような意味合いじゃないですね。

あそこまで古い家となると。


兄たちは、この古い家をどうしたものかと、それはそれは何年もの間、考えたと思うのです。


で、だした結論が改築でした。


いろいろな業者に相談したようですが、一律で言われたことは、新築の方が安上がりだということでした。

それで、一時は新築しようと思ったこともあったようですが、その都度、親が具合が悪くなったりで、ずっと伸び伸びに。


義姉は『ビフォーアフター』というテレビ番組に手紙を書いたこともありました。

その時は、すぐに番組のプロデューサーから電話があって、ぜひやりましょうと言うことだったらしいのですが、兄が知らなかった応募だったようで、兄はテレビに出るのが嫌だと断ってしまったそうです。


そんなこんな、業者の中には、うちでは扱える大工がいないと断られたり、いわゆるメーカーハウスは、どこも新築を薦めてきて、改築費用の見積もりは5千万を下らなかったようです。


ですが、個人の建築士の方で引き受けるという方がでてきて、大工さんとかの手配もその方がしてくれるということで、ついに今年の年初から改築工事が始まったわけです。

それまでに、何年かかったのやら・・・。

関係のない私まで、ホッとしました。


前にも書きましたが、義姉という人は、とても良い人で、兄のところに嫁いで来てから、一生懸命に親にも尽くしてくれ、ほんとに頭のさがる思いでいっぱいなんです。

そんな義姉は、この家の良さを一番理解してくれて、後世に残したいと、兄や私以上に思い入れてくれてました。

だから、兄も、義姉の好きなようにやらせてあげたいという思いがあったようです。


そして、この夏に、やっと完成するようです。

いや、ほぼ完成しました。


その間、『古民家再生』なんて看板建てられて、工事中に、知らない人まで勝手に入り込んでみて行くような、そんな大掛かりな工事でした。(道路沿いにある家なもので、日曜とか大工さんがお休みの日に勝手に上がりこまれたようです)


義姉の思いのこもった家です。

夫婦二人の、平屋の(だけど、階段付きの屋根裏部屋を孫のためにつくりました)家です。


道路沿いだったので、土台を曳いて後ろに送ったということです。

家を曳くって、私も昔、みたことありますが、すごい技術ですよね。

兄たちいわく、最終的に綱をひっぱたのは一人の人間なんだそうです。

その作業に1週間以上かかったんだとか。


来月にはそこに住めるようなので、今から私も楽しみにしてます。

家具や荷物が入って、人が住んで、初めて家になるわけですから、その時に、兄と義姉の喜ぶ顔が見られれば、私もホントに嬉しく感じると思うのです。


楽しみで~す。

昨年の10月に膀胱がんと診断された私は、これまでに2回入院して、腫瘍切除術を受けました。

1回目が11月。2回目は3月に。

そして、先月の検診時に再発と言われ、本日、3回目の手術となったわけです。

1個、小さいのが出来ていたと言うことです。


膀胱内に局所麻酔をして、内視鏡でつまんで切除して、レーザーで固める手術でした。

手術説明書の記載は『経尿道的腫瘍電気凝固術』です。

保険のおりる手術のようです。


日帰り手術は、はじめてのことでしたので不安はありましたが、終わってみての感想は、やはり、今までで一番楽な手術でした。


ただ、痛かったと騒ぐほどではないですが、でも、やはり、ちょっとと思ったところは、最初にカメラを入れられるときです。これは、検査をすればするほど、こちらが萎縮するのか、だんだんとつらくなってきてるように思います。


腫瘍をピンセットのようなものでつまみます、と声をかけられましたので、そのせいもあるかと思いますが、そのつままれてる感覚もはっきりわかりました。


その後に、カタカタカタ・・・カタカタカタ・・・カタカタ・・・カタカタカタ・・・と何かされてる感じが、だんだんと痛みを感じて、おもわず、アッとかウッとか、声がでそうになりました。(出てたかもしれない)


終わりました、と声をかけられたので、先生に、カタカタカタは何ですかと聞いたら、レーザーだと言われました。

あれは、ちょっと、これから先も、もしまたこの手術があるような時は、だんだんつらくなるかも・・・って思っちゃいましたね・・・。


でも、まぁ、そんな感じで、無事に終了しました。


病理検査をして、今後の治療方針を決めましょうっていうことです。


術後の最初の排尿時は、それほど痛くもなかったです。血尿はありましたが、2回目の排尿時からは、目に見える血尿は確認してません。


点滴も注射もないです。

投薬は、昨日からクラビット錠250ミリグラム2錠を朝1回服用。昨日今日明日の3日間。これは、先月の診察の時に処方されていました。

食事制限なし。

入浴もOK。

激しい運動だけは避けるようにとのことです。


ガンも、こういう時点で発見されたら、処置が楽だっていうのを実感しました。


あとは、ガンのタチが悪くないことを祈るのみです。

先生たちは、顔つきがどうのこうのと言ってます。


全体として、股のところに鈍い違和感は感じますが、この程度なら大丈夫です。


最後に今日かかった費用を書いておきます。¥31,650。

再診料、手術代、病理診断費用でした。



前のブログでも、ムッとしてるって書きましたが、今日は、もっともっと、さらに更に、バージョンアップしてムッとしてる話です。

最初に、あしからずです。


夫は、基本、穏やかな、人様いわく、よい人です。


でも、私から言わせると、問題多き人なんです。


まず、お酒が大好きなのが、ちょっと度を越してきたかなと。

でも、飲んで、人が変わるとか、暴れるとか絡むとか、そういうことはないです。

ただ、黙々と、にこにこ飲んでます。

一緒に楽しく飲んでくれる人がいたら、夫はそれがきっと至福の時なんでしょう。


もんだいは、その後です。


帰れなくなる。連絡もなし。心配が尽きないのです。


昨日も、上京して、飲み仲間との暑気払いでした。

往復の高速バスの切符を購入してた。

朝早く行って、帰りは、東京駅発夜11時過ぎの最終バス。

こっちへは、夜中の1時半ぐらいの予定でした。

バス停まで迎えに行かなきゃならないので、起きて待つよりほかにありません。


でも、連絡なし。

バスに乗ったのかどうかも怪しいと思いながら。

しかし、夫はネットの掲示板に、予定通り帰れるようなことは書いていた。それが9時半のころ。


夜中の2時になっても、連絡がなく、仕方ない、わたしは、一緒に飲んだ方に、電話はかけられないから、メールを送ってみました。

そのメールに一番早く気がついた方が、朝の5時半に電話をくれました。

駅で別れて、その後はわからないとのこと。


夫は、今日も予定が入っており、それも人と約束してるので、それには家を9時前には車で出かけなければならない。

そのことがなければ、私も、もうちょっとほおっておけたのかもしれないのですが、いかんせん、夜中の2時過ぎのころから、気が気でなくなった。


もう一人の友人がが連絡をくれ、東京駅に二人で向かったが、気が付いたら折り返していて、水道橋であわてて起きたんだとか。

その時点で、バスには乗れないと、上野に向かうと言ってたと。

でも、電車はもっと早い時間でないと、こっちまで帰れないのに。


まぁ、そこまで判明したので、ちょっと一安心。


そうなると、普通は、朝一番の鈍行列車で帰って来るのだが、その時間になっても帰らないので、これまた不安になってきた。


連絡がついた二人の友人と、何回か電話しながら、申し訳ないと思いながら、ヤキモキ・・・。


ついに帰って来たのが、9時半。

汗だくで、携帯は案の定電池切れらしい。

車のキーだけ持って、30秒もいないで、何の話もなく、また出かけた。


私の気分はサイテーに。


9時過ぎに待ち合わせてる人には、結局、私が遅れる旨のメッセージを入れて謝った。


私は、夕べ、結局一睡もできなかったので、昼寝をしようとしたが、町内の子供会のお祭りさわぎと、ちり紙交換の放送に邪魔されて、なにより、腹が立って眠れない。


しかし、足はだるく、明日の手術は控えてるし、家でごろごろしてた。


夫は、さきほど5時ごろに帰宅。

シャワーを浴びて、7時からの、今度は電車とバスを乗り継いで、今日もまた飲み会。

5時半に、駅まで車で送った。

はてさて、何時に帰って来るのやら・・・。

また、駅まで迎えに行かなきゃならないし・・・。



なんなんだぁ~、バカヤロー亭主だぁ~。

誘われれば、どこにでも飲みに行く、アホおやじ。

必要以上に金は使うし、きっぷは無駄にするし。

いつだって、こんな調子。


この人の心配するんで、こっちは具合が悪くなっていくようなきがしてならない。

ついでに、子供二人が、また、このおやじと同じなの。


だから、3人は、とても仲がよいんですけどね・・・。


は~ぁだ。

ため息しかでない。


明日は、私、朝が早いのだけど、大丈夫かな・・・。