BAKUとの出会いは中学生の時。
試験前でも勉強もせずに友達と原宿へ。
目的は当時ファンだった光GENJIのグッズを買いに。
一通り買い物を済ますと今は無きホコ天

当時のホコ天はバンドブーム絶頂期

数多くのバンドが毎週日曜に演奏をしてた
色んなバンドがいて、それを見ている人達も色々で

眺めるだけでも楽しかった
その中で物凄い人の数、しかも若い女の子だらけの

塊がある所があった。

覗いて見ると可愛い感じの若い男の子4人組が演奏してた。

それが最初の出会い。


栃木出身現役高校生バンド

その年の冬・インディーズデビュー、

翌年3月・メジャーデビュー決定。


しかし、年明けてすぐにベースの男の子が

栃木に帰る途中の交通事故で他界した。
BAKU活動停止、3月のデビューも白紙。
FCに入って、Liveに行こうと思ってたのでショックだった
このまま解散か!?そう思った矢先、

残された3人で亡くなったメンバーの意思を継いで

バンドを続けて行くことになり、

6月にメジャーデビューした。


初期の頃は『ぞうきん』『サボテン』『消しゴム』

『はぶらし』といった擬人化した歌詞が多かった。
その中でも私は未だに好きな歌詞がある。『消しゴム』
  いつも見てた君の顔も 

  今日で見おさめだから 
  最後に君のその涙 きれいに消すよ

  苦しい事や悲しい事は 

  僕が全部消してあげるよ 
  誰にも真似できない 不思議な力で
  いつかきっとまた会えるよね 

  君と巡り逢って良かったよ 
  体にだけは気を付けてね 

  それでは さようなら
切ない・・・切な過ぎる 

消しゴムを大切に使おう・・・

真面目にそう思ったwww

BAKUで1番有名な曲と言えばやっぱ『ぞうきん』
切ないなぁー。哀愁ただよってるなぁー。海山商事の粗品タオルさん
昔のバイト先で後輩と合唱しながら掃除をしたものだ。
  どうせ僕達は (ぞうきん ぞうきん)  
  明日になったら (ゴミ箱行きかも)
  いつまでたっても (ぞうきん ぞうきん)  

  もう嫌だぁ!!
切り抜き軍団
高校生になると私はバイトを始め、

バイト代の殆どをBAKUの為に使った。
FC会費・CD&ビデオ&雑誌の購入・チケ代等で

少ないバイト代は消えてった
高校の友達にもBAKUファンの子が居て、

一緒に大宮でのLiveへ行った。
Live帰りに大宮駅で同じLiveを観に来ていた

ファンの子に声を掛けられ、
「メンバーの実家の住所と電話番号を教える」と言われ

¥500払って教えて貰った。

知ったところで何する訳でもないけど・・・

本当なのかも怪しいし
今考えれば馬鹿な話だけど、

当時はそんな事さえ金払ってメンバーの事が知りたかった。


未だに悔しくて堪らない事が1つ。

初の本出版で新宿・某店にて握手会が行われる為、

友達と学校をサボッて握手会の整理券を貰いに行った。

200人限定の整理券Noが190番台だったから

ギリで握手出来ると友達と大喜び


握手会当日、早めに新宿へ行き

買い物・昼食を済ませ握手会15分前に到着。
すると係員が「BAKUのメンバーは帰りましたので・・・」

みたいな事を大声で叫んでいた。
言ってる意味が分からなかったので

近くに居たBAKUファンの子に聞くと、

物凄い数の人が集まり過ぎて、

これ以上集まると危険なので急遽握手会を早めに始め、

もうメンバーは居ないからから帰れという意味だった。
・・・・・・・・・・はぁっ!?握手会終わったの!?

納得行かなかったので係員の男に声をかけた。

女の子が言った事を繰り返されただけ。

友達はショックのあまりに泣き出してしまった。
「なんの為に整理券なんて配ってたのよ!!

なんで予定時間より早くやんのよ!!

人が集まり過ぎて危険!?

日曜の真昼間にやりゃぁ人が集まるに決まってんでしょーが!!

BAKUファンどんだけ居ると思ってんの!?えぇ!?

どーしてくれんのよぉ!!!!!」

みたいな事を男の胸ぐら掴んで言った様な気がする。

今思い返してみても本当に腹立たしい


少しずつBAKUの名が知られていき、

TVにも出るようになった。
『Mステ』出た時は凄く嬉しくって泣いた。 宗ちゃん走りまくってた
あの『Mステ』タモさんの隣に座り、

光GENJIと一緒にTV出てるし。
2時間のSPドラマ(『オヤジがロックをやめる日』)にも出演した。
Live会場もどんどん大きくなり、

ファンもどんどん増えていった

高校出たての若い男の子バンドで、

カッコイイよりカワイイって感じだから、

音楽やってる人達には“お子ちゃまバンド”とか

“アイドルバンド”なんて呼ばれたりもした。
だから「BAKU好き」って言うと

「あんなのRockじゃねぇー」とよく言われたもんで。

ビデオ&カセット
↑今じゃビデオ見れないし、カセット聴けないのよねぇ
  武道館Liveのチケ代が税込3、090だって!!安っ



そしてついに日本武道館のステージに彼らは立った
武道館Live決まってから凄く嬉しくて

Liveの日来るのが待ち遠しかった。
なんだか今年はいい年になりそうだと思っていたら・・・

解散発表は突然の事だった。

 

とあるイベントLiveの最中に車谷くん

黙っている事に耐えかねて、ブチ切れて言ってしまった。
解散すると聞いた時、私は頭をでかいハンマーで

殴られた様な衝撃を喰らった

解散理由は《BAKUでやる事は全てやりつくした》

《メンバーの音楽の方向性がそれぞれ違ってきた》

《レコード会社・事務所との軋轢》等々。
メンバーの不仲も有った様だ。


1992年8月31日読売ランドEASTにて解散。

みんなが泣いた。私も泣いた
バイト代の殆どを費やすくらい好きだったモノが

無くなってしまった時、これからどうしたらいいのかはてなマーク
何を楽しみに、何を励みに、何を癒しにして

生きていけばいいのかはてなマーク
暫く何も手に付かない程、私にとって

BAKUの解散はショックな出来事だった。


解散後ソロ活動を始めたメンバー。
1stアルバムを一応買ったが、それ以降興味が無くなった。
彼らがそれぞれやりたいと言ってた音楽が

私の好みのモノで無かったのと、

やはりあの3人でやる音楽が私は好き。

それでも音楽雑誌に載ってると思わず手が止まり

「あぁー頑張ってるんだな」と嬉しかったりする。

3人の中でも車谷くんは1番活躍してる様だ。

Spiral Lifeで成功し、その後AIRでも成功してる・・・

音楽的センスは元々有る人だから当然でしょう。
でもBAKU時代の事を殆ど語らなかったり

(経歴も故意に載せてないとの噂)語っても余り良く言わない事を

何度か聞いた。
もし彼の中でBAKU時代の事を恥じているのなら、

それは元ファンとして非常に残念。

彼自身がメンバーを集め、中心となってやって来た

彼のバンドだからどう語ろうと勝手だが、

そのバンドが大好きだった人がいた事を忘れないで欲しい。
他人がボロクソに言うのは我慢出来るけど、

当事者に言われちゃ悲しくて仕方ないし、やり切れない(悲)
ボーカルの谷口くんとドラムの加藤くん

それぞれで頑張ってるみたいで、

この2人は今でも交流が有るようだ。

元々同じ高校の同級生だから解散後は友人に戻ったんだね
2人に交流が有るという事がなんかホッとする。


解散というのはファンにとって本当に辛い出来事だ
先日活動休止を発表した東方神起

いつか解散する日がやって来るかもしれない。

そんな日が来ないことを祈る

BAKUの時の様な辛い思いをするのはもう嫌だ。

でも10代の多感な時期から随分と大人になったと思うので、

周りの事情に関係なく本人達が納得し前向きな解散なら

きっと「今迄お疲れ様です。そしてありがとう。

これからも頑張って!!応援します」と

大人な対応が出来そうな気がする。


そして解散してもメンバー間の交流は有って欲しい。

それがファンにとって新たな癒しになるから。

不仲での解散ほどファンにとって辛い事はない・・・

ここ数年バンドの再結成が多いが、

密かに「BAKUも再結成しないかな」と思ったりするけど

まず無理でしょう
38歳にもなって『ぞうきん』歌えないよな