昨夜、小樽から帰京しました。

 

昨日は「FM小樽」で放送中の、お昼の生放送「住職岩本のラジオンキング!心配ないさー!」に出演させていただき。

そこで、8月24日開催の道新文化センターでの講座「ミュージカル『レ・ミゼラブル』の魅力」についてもお話ししてきました。

 

 

そこで、その魅力について、こんな風にまとめさせていただきました。

(おおよその内容を、意訳します)

 

 

 

「『レ・ミゼラブル』は、本当の自分として生きられない『生きづらさ』を抱えた人たちの物語。

それが『悲劇の人々』というタイトルの意味です。

しかし、例えば主役のジャン・バルジャンは、その『自分ではない人生』(彼が、自らの名前を語れないことに、それが表現されています)を経て、最後に『本当の自分』を獲得します。

人生は、悲劇のままに終わっていくのではなく、人生とは『本当の自分を獲得する旅』なのだという事を伝えているのが『レ・ミゼラブル』という作品のテーマであり、最大の魅力だと思っています。

今、自分らしさを獲得できず、自己の無価値感に苛まれている人たちも、そこからそれを発見することにこそ人生の目的があると知ってほしい。

特に、インターネット時代になり、そうした『自分らしさ』や『無価値感』といった問題を抱えている人は、圧倒的に増えています。

そんな今だからこそ、ぜひ見てほしい作品です。」

 

 

 

 

……もし。

 

今、自分らしさを獲得できずに悩んでいる人がいたら。

自分の無価値感に、心細さを感じている人がいたら。

 

自分の望みが叶えられず、未来への不安に押しつぶされそうな人がいたら。

他人の目を気にして生きることで、本当の自分を表現できずに縮こまっている人がいたら。

 

自分を押さえつけ、他者の意見を優先させることで、人生が他者に振り回されていると頭を抱えている人がいたら。

そうなることで、自分の苦しさを他者のせいにして、他者を嫉妬し、他者を恨む人生を送っている人がいたら。

 

思い出してほしい。

 

人生とは、そこから「本当の自分」を探し出す旅であり。

自分の「本当の価値」を発見する旅であり。

自分自身を認め、他者を心から愛せるようになるための旅であることを。

 

そのゴールのために、人は、わざと「弱い自分」からその旅をスタートするのです。

 

 

 

人は、赤ちゃんという肉体を持って生まれ。

無力感や無価値感を抱き、そしてそこに違和感を感じることで、旅を先に進める事を決意する。

「本当の自分」を手に入れ、力強い人生を送るというゴールに向かって。

 

だから、今、そうした悩みを抱えている人がいたら、どうか安心してほしい。

それは、人間として「あるべき姿」なのだから。

 

物語は、初めから最強の自分では、ドラマは生まれない。

自分に絶大なる自信があるところからスタートしたら、そのドラマは盛り上がらない。

 

もし、あなたが、強烈な生きづらさや苦しさを抱く時があるならば。

それは、あなたという人生のドラマが盛り上がろうとしている、何よりの証拠なのです。

 

 

 

 

『レ・ミゼラブル』の冒頭。

ジャン・バルジャンは司教に、新たなる人生のスタートの機会を与えられます。

そして、彼自身が「名もなき男」として人生を再出発させる決意をするのです。

 

それはつまり「無力で、無価値で、自信のない男」という「ゼロ」の状態からスタートする事を意味します。

 

言い換えれば「悲劇の人」として人生を再出発する。

長い長い、人生という旅の果て、「幸福の人」としてそのゴールに到達するため。

本当の自分、価値、チカラ、自信を手に入れ、そのゴールにたどり着くためです。

 

彼は、司教館でのエピソードと、それに続く独白により、新たな『悲劇の人』=『レ・ミゼラブル』から立ち上がっていく旅のスタートを切るのです。

 

新演出版では、その場面の後に「Les Misérables」というタイトルが映写されますよね。

それはまさしく、彼が黄色い通行証を破り捨てた瞬間から「悲劇の人」の人生がスタートし。

その「悲劇の人」というタイトルは、それで人生を終えていくという事などではなく、「そこから幸福というゴールへと向かう旅人」を意味するのです。

 

 

そして、司教という人物に関して言えば。

冒頭の場面、なぜ彼をまた牢獄に送り込まずに解放するという行動を取ったのか。

それは。

ジャン・バルジャンという人間がそこから、幾つもの悲劇の人生を経験し、それでもその旅路の果てには必ず「本当の自分」と出会える、至上の幸福の瞬間が待っているという事を信じていた(信じたかった)からなのですね。

(だから彼は、きちんとゴールでも待っていてくれるのです。)

 

おそらく、司教自身ですら、本当にこの「人生」という旅路の果てにそんなゴールが待っているということの証拠などないはずです。

彼は、あくまでも肉体を持った人間です。

全知全能の神などではありません。

そんな彼の中にあるのは、ただただ「人生とは、そのゴールに向かう旅だ」という事への「信念」。

それを「信仰心」と呼ぶのかもしれませんね。

司教の立場に立ってみれば、ジャン・バルジャンを新たな人生に送り出すという行為は、その信念、信仰心を賭けた選択だと言えます。

「すべての人生に価値がある。だがそれは、無価値観や無力感からスタートする。なぜなら、人生とは、そこから本当の価値に気づいていく旅路なのだから」

という信仰心を、彼自身がジャン・バルジャンの人生を借りて証明しようとしていたのかも知れない。

 

そう考えると。

そのゴールで、バルジャンが「本当の自分」として昇天してきた時。

司教の心にはきっと、言葉では言い尽くせないほどの感謝と、幸福感と、安心感に包まれていたに違いない……。

 

 

 

 

司教という人物を「神」のように扱うのではなく、あくまでも一人の「人間」として分析してみると。

あの、冒頭での司教の場面には、彼の大きな葛藤を読み取ることができます。

 

司教は、あの冒頭の場面で。

自らを「神」として、バルジャンの人生を解放したのではなく。

あくまでも「自分にとっての人生の創造主(神)は、他でもない、その人自身なのだ」という信念の中で、バルジャンを解放したのだと思います。

バルジャンの人生を創造するのは、司教ではなく、バルジャン自身である。

司教もまた、肉体を持つ一人の人間として、悩み、苦しみ。

時に、その信仰心が揺らぐこともあったのでしょう。

 

 

魂として天国に帰ってくるバルジャンを見て、誰よりも安心し、嬉しかったのは。

もしかしたら、その信仰心の証明をバルジャンに託した、司教自身だったのかもしれませんね。

 

 

映画「レ・ミゼラブル」より、司教のシーン。

演じるのは、舞台で初代ジャン・バルジャンを演じたコルム・ウィルキンソンさん。

 

 

 

 


 

世界一受けたい『レミゼ』講座・第2弾

「夢やぶれて、果てなる星へ。」

 


 

◆日時:7月7日(日)13時〜15時
◆会場:カフェバー キツネシッポ
     (地下鉄千日前線 今里駅から徒歩6分)
◆会費:1,500円
◆定員:15名様
◆ホスト:谷口浩久
 ゲストプレゼンター:Ryu

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◆年会費:1,000円(入会費  2,000円)

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