人生の大転換(再掲) | 太陽の船に乗る

太陽の船に乗る

ディオニュソスの白夜をゆく

宇宙の風が吹く

 

 

 

寂謬(じゃくびゅう)のほか物なき荒野
 野ずえに紫の靄(もや)はたなびき
 まん丸に落日は静かに沈む。

 

静まりて寂しいシナイの野よ、
 梢(こずえ)に響く鳥の歌もなく
 草間に合奏する虫の音もない。
 

 

広がる砂地、ごつごつとした岩、
 続くは見映えない棘草(いらくさ)ばかり
 例えば一面ボロ切れのように。

 

 

ひとりの羊飼、その群れを追い
 乏しい緑草を求めながら
 目指すともなく山路にかかる。
 

 

以前にはエジプトの宮廷を棄てて
 荒野に待ち受けた春秋40年、
 黙想を日毎の生活としながら。

 

 

この夕べも、沈みゆく陽に誘われ
 故郷を想う旅人のように
 天にある都を慕いながら進めば、
これは奇怪、一群の柴のなかに
 炎々と赤い炎が輝き、
 柴は燃え尽きず、火は消えない。

 

 

驚くべき光景よ、どんな理由で
 柴は焼けず、火は燃え続けるのか、
 近寄って羊飼はそれを見ようとする。
 

 

その時、柴の中からと思われる
 はっきりとした声、「モーセよ、モーセよ」
 呼ばれてかしこまり、「私はここに。」

 

 

呼ぶ者が言う、「ここに近づくな、
 お前の足からその靴を脱げ、
 お前の立つ所は聖なる地である。」

 

 

思わぬ警告に胸を撃たれ
 軽率だったと気づく間もなく
 まず後悔の心を払い除けるかのように、
 

羊飼はすぐに杖を止めて
 足からすべての塵を払い除け
 敬虔に柴の火に目を注げば、
 

柴は元よりありふれたものに過ぎないが
 その中に燃える不思議な炎
 尽きせぬ火の何という聖い輝きか。

 

 

生えては枯れゆく雑木のなかに

 厳然として聖き永遠の炎!
 本当にここが、靴を脱がねばならない地だ。

 

 

(「羔(こひつじ)の婚姻」上篇、第20歌 書き出し)


 

 

 * 人は、本当にこのようにして、人生の大転換を遂げて行く。

 

  巷にはオリンピックの歓声が沸き返り、

  

  出エジプトを前にした古の預言者の静けさとは、

 

  あまりにも対照的な世界の動きだ。

 

 

  この中で、聖なるものの声は聞こえてくるのだろうか?

 

 

 

 しかし、人生の大転換を遂げる人間の精神史は、人には見えることなく たゆみなく続いていく!