わたしが、わたしとして生きる根源的変容(再掲) | 太陽の船に乗る

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ディオニュソスの白夜をゆく

 

自分が、自分として生きる根源的変容について;(再掲)

 

 

必要性から生じる関心というものがある。

失職したので、生活のために新しい仕事を探す。

これは生活の必要性である。

 

 

今の仕事にはもう不満で我慢がならなくなってきているので、

「私は何をやったら良いのだろう?」と問いかける。

これも、

納得できる仕事が見つかれば、問いかけは終わる。

 

 

もっとお金が欲しいか、もっと安楽な生活にしたいために、

足りない技術、足りない資格、足りない知識を求める。

この探求も、生活が楽になれば終わる。

 

 

人間関係の虚しさから、人生に疑問を持つ場合もあるが、

これも、

信頼できる先生や友人、うまくつき合える恋人ができれば、

「探求らしきもの」は終わる。

 

 

放射能が恐いので、自分のためにも家族のためにも、

安全な別の居住区を探す。

これも、

気に入る場所が見つかれば、探求も不安も終わる。

 

 

何の必要性とも無関係な、「探求」というものはあるのだろうか?

生きることそれ自体に、根源的な疑問を持つこと。

生きることそれ自体に、根源的な虚しさを感じること。

 

使徒パウロが、

「義人はない、一人もない」と、その時代の言葉でぶつけた、

あの疑問である。

 

岡本太郎が、

「朝は夜よりもいっそう暗い」と叫ばずにはいられなかった、

あの若き日の、世界との触れ合いである。

 

 

人はこの問題の前に、

何の感傷も、何の自己憐憫もなく向き合えれば、

ある日、驚くべき宇宙が誕生してくるかもしれない。

 

 

 

夜明け(岡本太郎)

 

夜の夢は濃く甘い

幻がきえ

太陽が白々と姿をあらわす

死臭ーーー

朝は夜よりもいっそう暗い

人も禽獣もおびえ

不吉な予感は嘔吐色

天地を塗りこめるーーーこの朝

総身は歓喜に満ちーーー

 

 

 

朝は夜よりもいっそう暗い

だが、総身は歓喜に満ちーーー