連載性春小説  碧いラフレシアの花 -150ページ目

連載性春小説  碧いラフレシアの花

好きじゃない人と天国へ行くよりは


好きな人と地獄に行きたい


ある女の子の80年代


うちの中学の遠足は


鎌倉まで歩けだった。



歩けるか?普通?




それで朝3時台だか4時台に起床して


夜明け前に集合。



そのまま茅ヶ崎から鎌倉まで


歩いた。



恐怖の80年代学校企画。



いいだしっぺは私の担任の先生だった。



私が忘れ物が多いと嘆いて、自分のいらない名刺をいっぱい渡して「これにいつもメモしなさいね。」と言った。イケメンで映画にスカウトされたが俺は学業を選んだのだ・・が自慢の先生だった。(ってかいつもそればっかだったよ、あの先生・・笑・・)


名刺を渡された時「悪用するなよ。人に渡すなよ。」と言われた。



私が先生の名刺をいっぱい持ってるのをヤンキー数人が発見して


「あー、なんでお前そんなの持ってるの?」と言われ


「頂戴。頂戴。」とせがまれ


「怒られるからちょっとだけだよ。」と言って半分くらい分割した。(私品がいいからつい不良が怖くてね・・。気も弱いしね。)



そしたらその後ヤンキーがその先生の前に名刺出して


「俺を誰だと思ってるんだー。K(先生の名前)ちゃんだぞーっ。」とかおちょくりだしたので


焦った。(不謹慎だけどちょびっと笑ってしまった・・。)



その後先生には「悪用するなって言っただろう。人に渡すなって言っただろう。」と怒られた。


それから先生は私にちょっと冷たくなった。


その後先生の残りの名刺も流出して


「Kちゃんだぞっー。」って遊びが流行ったみたい。


1984年ごろ茅ヶ崎駅ビルルミネがオープンした。


横浜のルミネと同じらしい。



しかしすべての茅ヶ崎市民がルミネを愛したわけではなかった。



「高すぎる。」



こういう声もあった。



ルミネなんか行きませんよっ!と言い張った30歳の女の先生は噂で量販店の「アグ」で買ってるらしい・・との噂が広まった。


「アグ」西久保店は出来たとき「ださい。安すぎ。」と不評だったが、こっそり買いにいく隠れ信者に支えられて商売を続けた。


その後「アグ」はどうしたのだろう。


「しまむら」西久保店に殺されてしまったのだろうか・・・。



あと整形外科が当時お★わ整形外科ぐらいしかなくて・・、同級生の男の子が行ったら、診察室からT先生の声が聞こえて「僕・・い★ぽなんです。」と言っていたのでぎょっとして見たららやはりT先生だったそうだ。


ガセではないようで授業中「おい、いん★治ったのかよ?」とか男子が突っ込んだらT先生は何も言わずに悲しそうな顔をしていた。



その後T先生がお見合い結婚をした。


新婚旅行が長野にドライブとか言ったら「だせえ。」との声が飛んだ。


「きょー★(妻の名前)さんを夜満足させてあげられるのかよ?」と突っ込みが入り、女子まで小声で「昔・・だめねえ・・とか言われたのかな・・。」とくすくす笑っていた。


他の先生の話によるとT先生は柔道何段かの達人で、柔道部の顧問で男らしくて優しい人なんだそうだ。


T先生は男らしく弁解しなかった。


あとちがさ★皮膚科は独占市場だったがいつも「ムラサキ」という名の軟膏を出すインチキくさい医者だった。


「いつもムラサキじゃんよ。」と友達と文句を言っていた。


兄の友人の母がそこで看護婦をしていて「ムラサキしか出さない。いんちきくさい。」と言っていたそうだ。


駅に爺さんの皮膚科が出てそこに行くようになったら治った。


ただこの爺さんは腕はいいがすぐに怒るアスペルガー系で怖かった。


「あの昔軍医だったような怖い爺さん。」と兄がコメントしていた。





ところでムラサキ(軟膏)の成分を知りたい。アトピーからニキビまですべてムラサキを処方していた。


オロナイン感覚でしょ、あんた?










70年代茅ヶ崎駅は木造でぼろかった。


駅にはダイクマ(記念すべき一号店)と西友しかなかった。



西友に80年代初頭「無印良品」なるものが上陸した。


わしらが子供の時店で「なんだよー、これ。何もかいてないじゃんよ。だっせー。」とか「インチキのぼったくりじゃん。」とか生意気なことを言ったものだ。


その中でひとりサンリオじゃなくて無印に走るSちゃんという子がいた。


缶ペンは無地のシルバーで鉛筆は木目調の柄なし。頑固一徹で無印を通した。


いいの、わたしは無印が好きなの!



Sちゃんは孤独に無印道を突き通した。



「つまんなくね・・?」とSちゃんに聞いたら「そこがいい。」との回答だった。





数十年後ロンドンで無印良品が「MUJI」生意気な名前で店を構えてるのを発見した。


関税のせいかふざけた値段だった。


西武グループの生意気な野心を見た。



私の中では無印は永遠に


茅ヶ崎の西友に入った


可愛くない缶ペン売る店だ。




イトーヨーカドーがダイクマ西友の2頭体制に割り込んだのは1980年だったように思う。



「こどもだけでイトーヨーカドーに行ってはいけません。」と先生に言われた思い出がある。



何でダイナミック・ダイクマはオッケー(笑)?