雲ひとつないお天気の中、声に出してつぶやく。
お天気が素晴らしくて、どこか行きたいけど、これを試す1日にしてもいい。
損してもいい、だ。
下の子がまだ小さくてよかった。
真似されたら困るキケンな言葉。
私は殴ってもいい
私は殴られてもいい
私は暴力を受けてもいい
私は暴力をふるってもいい
「暴力はダメ」と思ったまんまで、言ってみる。
以前、仁さんのブログで暴力のことを読んだときには心屋の『言ってみるカウンセリング』のことをよく知らなかった。
今は一応知ってる。
思ってなくても言ってみるんだね。
実行あるのみ!!
感想。
一言でいうと、体が喜ぶ感じ。
脳のコリがほぐれるとでもいったらいいのか、
かすかにあった頭痛が和らぐよう気もした。
野性的な喜びを感じた。
昔、田んぼの中を素足で歩いたような、
何でもありな無敵な、
怒られる心配もしていなかった、
幼稚園の時ぐらいの感覚。
笑いがこみ上げるようでもある。
我ながら、想像もつかない感想だった。
言葉にすると長いけど、時間にしたら短くて、声に出してみた始めの方で浮かんだ感覚だった。
それから、もう一つ。
ずっとずっと他でもない私自身が夫に言葉の暴力をふるってたことが、言い訳のしようもないほどに、腑に落ちてきた。これも意外な展開。
夫のことは糾弾するくせに、私自身が夫に嫌なことを言うことに関しては、ずっと言い訳や正当化をしてきたんだ。
殴られるべくして殴られたんだ、と感じた。
語弊はあるけど、実際そう感じた。
あの体の痛みと同じかそれ以上に、日常にとけこむような手法で、私も夫を痛めつけていたのだと思う。
基本は親にも言わないけれど、以前に暴力のことが私の親にも伝わった時に、父が「自分は暴力はふるわないけど、手が出てしまう気持ちはわかる」と話していた。
その時は無条件に味方してほしくもあり、複雑だったけど、貴重な意見だった。
それに体の痛みに関しては、その都度やられた分はやり返してたから、まあいい、と感じた。
殴られたことは早くもオッケーになってきた。
殴られた怒りを自分でもそれと気づかぬままに、日頃から言葉や態度で夫にやり返していたから、こんなに早くオッケーになったのかもしれない。
オッケーになったのが早すぎるし気のせいかもしれないけど、今はこんな感じ。
殴った自分に関してはどうだろうか?
この点はあまり心の揺れがない。
特に感慨もなくオッケーが出せそう。
女性である自分が男性の夫にしたので、罪悪感はもともと薄かったのかもしれない。
もちろん暴力は嫌だ。
これはずっと変わらずあるし、そのまま持っていたい。
「言ってみる」ことで、嫌だ嫌だと思うあまりに起こってしまうらしいカラクリが本当だと信じられる気がした。
少なくとも、自分が思った以上に暴力のことで傷つき、気に病んでいたことには気づいた。
言うだけで、あんなに「喜び」に似た反応があるなんて、私はよほど強烈に暴力を忌み嫌っていたのだなとわかった。
緩む余地がたくさんたくさんあったということだから。
暴力を忌み嫌う→そもそものはじめに夫婦げんかに暴力を持ちこんだ夫を絶対絶対、許さない。
常に私の発する言葉、態度すべてに「絶対許さない」が溶け込んでいたと思う。
気がつくだけで変わっていくんだろうか?
そうだといい。
もう少し声に出すことを続けてみようと思う。