「男の子はかっこいい、
   
   女の子はかわいいだよ」


長女の幼稚園のときの先生の言葉。

どんな場面でおっしゃっていたのか、

今となってははっきりしない。

そうなろうね、という意味にも

おたがいをほめようね、という意味にもとれる。

何度となく聞こえてきた

耳に心地よいお言葉でした。




私の大好きな夫がどうして見た目に

コンプレックスを持つようになったか。

小学生のとき同級生に

「きもちわるい」と言われたからだそう。



気にしなくていいのに。

1、2度だったみたいだし

そんなに気にするのは、夫の側の事情もある。

でも、もしかしたら怒ってみればいいのかと

言った子の名前を聞き出して、

「〇〇なんて、サイテー」

って私が言ってみたりした。

夫はぜんぜん喜ばず、私ばかみたいでした。

 


こんな苦い思い出も役に立ちます。 

長女が小学校3年生ぐらいのとき

家の中とはいえ男子がうるさい、キモいと

聞き捨てならないことを言うようになり

パパの経験を伝えて

男子にひどいことを言わないよう話しました。

男の子って、とっても気にするよと。

クラスの子みんな、そのお家の宝物なんだよと。

親ぶってました。

親だし、いいか。

その後だんだんと

男子と楽しく話せるようになったみたい。

私が言わなくても自然にそうなったのかも。
 



幼稚園の先生の言葉、長女は忘れてました。

でも、ママが何回も言うから知ってるって。



「男の子はかっこいい、

   女の子はかわいいだよ」



根拠もなく

幼稚園児なみに無敵なパワーで

自分はかっこいい、かわいい、

とにかくいい!!

と思っていればいい。



私も物心つく前にはできてたっぽい。

またできるはず。

トライ中です。



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嬉しいことがありました。

夫の長年の悩みがなくなってしまいました。

それもこれも
私が助けるのをやめたから。



少し前にもう夫を助けないと決意。
もう悩みを聞くのもやめた。 

私が断固として話を聞かなかったら、
怒ったまま外に出て行ってハラハラしたこともあった。

今まで家が好きで私のことも好きで
家にばかりいると思ってた。

ちがってたみたい。

私がなんだかんだ言っても
話を聞いていたからでした。

話を聞かないことにしたら、
夫はどんどん外に行くようになりました。

この一ヶ月ぐらいの間に
夫は悩みを聞いてもらえるところを調べて、
出かけたり電話したり。

いろいろ出かけている中で、
ある方が夫のことをほめてくれました。

その言葉が、夫の長年の悩みにヒットして
あっけないほど簡単に解消してしまいました。




夫の悩みは、完全な思いこみで「自分の見た目が変なんじゃないか」というもの。

派生して「嫌われてるんじゃないか」とかいろいろパターンがある。

仕事など具体的な悩みではなく、思いこみなんだから家族が助けなきゃと思ってた。

明らかに心の問題だし、なかなか理解は得られないと私が思ってた。

でも、思いこみだからこそ、風のように現れた方に取り去ってもらえました。

家族だと励ましたい一心でほめても「ひいき目」と受けとられたり、こちらもうんざりして全否定してしまったり。 

もう何年も前に友達に「家族で団子状になってても何も変わらない、外部の力を借りたほうがいい」とはっきり言ってもらえてたのに。

その友達の言葉で、心屋のことはやってみようと思えた。

でも何よりもブレーキになってた「夫を助けるのは私」という前提が、私と一体化していてなかなか外れなかった。

繰り返し文章では読んでるはずなんだけど。



夫はほめられて嬉しかった話、何度もします。

これから自分ではそう思えないけど「イケメンとして生きる」そうです。

大賛成!!




これからヒマになる。

なんでも好きなことができる。

とりあえず、ぼーーーっとゆっくりしよう。



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上野のパンダ






何かについて
異常に反応してしまう時がある。

それだけはやめて
どうしてもこうしてほしい
これだけは許せない

こんなとき
「私」と「過去」を振り返ると
答えが見つかることが多い。


「私」
・私も実はやってる(た)けど、
思い出したくないから目の前で見せないで!
・私も本当はしたいのに我慢してる!
・私ならこうするのにどうしてしてくれないの?

私の側にこんな気持ちはないかな?


「過去」
・過去に何かなかった?
・その時どんな気持ちだった?
・子どもにまつわることなら、同じ年頃のとき自分はどうだった?


こんな感じでセルフチェックを実践中。


例えば、私は夕ご飯のとき料理を
「家族にどうしても運んでほしい」
自分でも前々から変だと思ってた。

➀私も?
➁過去に何か?
を自問すると、

➀「私」
私なら料理を作ってもらったら、
せめて運ぶぐらいはする。
よく平気だね。

→そんなにのびのびしてて、いいな。
   うらやましいな。
    

➁「過去」
小学生の頃、母に怒られながら夕ご飯を運んだりよそったりしてた。
嫌だったな。
あなたたち(夫と長女)も同じようにやってほしい。
夫には一緒に手伝いをした兄、長女には小学生の自分自身を重ねていたかも。
やってみたらわかるよ、みたいな気持ち。
いったい何をわかってほしい?

→嫌だった私の気持ち、わかってほしい。



変換すると、

うらやましい
わかってほしい

につながることばかり。

「反応の種」は私の中にある。


で、これに気づいたから終わりでもなく
やってほしい気持ちはあり続ける。
心の恒常性(どこかで読んだ)
のせいかもしれない。

夫と長女、頼み方を工夫してみても
やってくれないときはやってくれない。
存在給が高いのです。

だから、毎回
「また私、反応してるな」
「やってもらえないならゆっくりやろう」
と 仕切り直している。

ゆっくりゆっくり、
なんで私こんなに反応するんだろう、
と思いながら、料理を運ぶ。

そんなことをしてるうちに少しずつ、
「やってほしい」がなくなってきた。
やっとのことで、なくなってきた。



逆に
➀➁が当てはまらないことなら、
一般的に火種になりそうなことでも平気。

うちの下の子、2歳。
夫は、小さい子と遊ぶのが苦手。
かわいいと思ってるのになかなか遊べない。 
長女の小さい時も同じだった。
私はそこは平気だ。

これについても➀➁を自問してみる。

私は子どもと遊ぶのが好きなほう。
無理しているわけではない。

過去を振り返ると2歳ぐらいの時には、
私は親にベタベタに可愛がられてたと思う。

➀➁どちらも当てはまらない。
よって、大丈夫。 

夫への憐れみに似た想いから、
大丈夫なのかと思ってた。

それもなくはないけど、
私の中に反応してしまう何か=種(たね)
があるかないかが、
重要な鍵みたいだと今は感じている。


***


何に反応するか、どんなことが平気か?
毎日、無数のことに
私なりのリアクションをしている。

それが個性なのかもしれない。
でも、過剰な「反応」
自分にも相手にも、きつい。


「反応の種」に気づいては、

うらやましい
わかってほしい

など、
隠れた本音を探り当てて、
まず自分が自分のことをわかりたい。

私は
こんなわけがあって
このことにこだわってるんだな.
と気づくことこそ
大事な気がしている。

そうしていれば
「反応の種」
手放していけそうな気がする。


***
 

「反応の種」という素晴らしい言い方は
どこかで読んだ、どなたかの言葉。

調べてみたら、
やはりぐりちゃんの
このブログで読んだみたい。
検索したら他の方のブログもたくさん出た。
とっても素晴らしい言葉!!


「反応の種」って思い浮かべるだけで
視点が変わるから助かってます。



紫陽花
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紫陽花、あじさい、アジサイ。
漢字がいちばん好き!